第6話<7>

 槙坂先輩とは学務課前の掲示板の前で待ち合わせた。


 連絡掲示板という性質上、ここに模擬店を配置して見えなくしてしまうわけにはいかず――まぁ、学園祭の最中に掲示板を見にくる生徒などいないだろうが、しかし、そのおかげでここは相変わらず待ち合わせのメッカだった。


 その掲示板前に行けば、槙坂先輩はいつもの通り話しかけてくる同輩後輩には事欠かないようで、数人の女子生徒と談笑していた。が、僕の姿を見つけると手を振って別れ、笑顔でこちらに近づいてきた。


「お疲れ様。いま大丈夫なの?」


 僕のそばまでくると聞いてきた。


「大丈夫だからきてる。大丈夫じゃないならこないさ」

「そういうときは、仕事はほうってでもくるとか、無理にでも時間をつくるとか、そう言っておくものよ」

「僕にそんな器用な芸当を期待しないでくれ。それに僕が仕事を放り出したらあちこちに迷惑がかかる。……ところで、雨ノ瀬……槙坂先輩も見た僕の友人だけど、ちゃんとそっちに行っただろうか?」

「ええ、きたわよ」


 そうか、無事美沙希先輩と合流できたか。あいつの方向音痴は時々僕の予想の上をいくからな。あれだけお膳立てしておいても迷いそうで怖い。


「わたしも少し話をしたわ。藤間くん好みのちょっと変わった子ね。楽しかったわ」

「その言い方、自分もちょっと変わってるって自ら言ってるのと同じにならないか?」

「そうね。この言い方、わたしが藤間くん好みだと言ってるのと同じになるわね」

「……」


 なる、か?


「まぁ、気が合ったのなら何よりだ。……よけいなことを言ってないだろうな?」

「あら、それはどっちへの心配? わたし? それとも彼女?」

「……最悪なことに、どっちもだ」


 どっちも僕が望んでないことをぺらぺらとしゃべりそうだ。


「それでどうする? 藤間くんはどこか見たいところはある?」

「いや、僕は特に。そっちにつき合うよ」


 見たいところがないと言うよりは、ひと通り見てしまったというほうが正しいだろう。何せ実行委員の仕事の中には校内の巡回もあるし、今日の午前中には雨ノ瀬とあてどなくぶらぶら見て回っていた。もうあらかた見終った気がする。


「そう? なら、特別教室のほうを見て見たいわ」


 まだあっちは見ていないの、と槙坂先輩。


 どうやらクラスのお化け屋敷の客寄せとして存分に利用されていたらしい。

 家庭科室や礼法室などがある特別教室は、僕らの目の前に建つ学務棟の二階より上にある。僕たちはさっそく近くの入り口から中に入った。


 


 槙坂先輩が興味をもったのは、奇しくも雨ノ瀬と同じ礼法室の催しだった。

 ただし、そこを使っていたのは茶華道部ではなく、今は筝曲部だ。


 近くまでくると筝の独特の音が聞こえてきた。でも、それは経験者の演奏ではなく、ただ鳴らしているだけの曲とも言えないような無秩序で雑多な音だった。どうやら午前の茶華道部が茶道の体験教室をやっていたように、未経験者に筝を触らせているようだ。


「槙坂さんもどうですかー?」


 礼法室の前で呼び込みや案内をしていた筝曲部の部員と思しき女子生徒が声をかけてきた。


「興味はあるし触ってもみたいのだけど、時間があまりないの。見せてもらうだけにするわ」


 愛想よく笑顔で断る槙坂先輩。しかし、興味があるのは本当らしく、足を止めて開け放たれた窓から中の様子を窺うのだった。


「お箏は結局やらなかったわね。何だか一度はじめると大変そうな気がして」


 彼女はそう言って苦笑する。


 確かに両手で抱えるほどの筝を見ていると、その気持ちもよくわかる。あれだけ大きいと持ち運びも楽ではないだろうし、練習するにしても場所を選びそうだ。


「ほかには何か?」


 筝はやらなかったということは、何か別のことならやっていたのだろうか。今のところ聞いているのはテニススクールに通っていたことくらいだが、筝と並べるにしてはカテゴリがちがいすぎる気がするな。


「この類なら茶道をやったわね」

「……お嬢様だな」


 素直にそんな言葉が口をついて出てしまう。


「そうでもないわよ。父が会社で役員をしているから金銭的に不自由しなかったのは確かだけど、家柄は普通だもの」


 などとしれっと宣う槙坂先輩。


 だとしたら、このいかにも育ちのよさそうな雰囲気は本人の素養か。尤も、それすらも仮の姿で、中身は悪魔なのだが。


「そんなことを言ったら藤間くんだって――」


 と、そこで彼女は発音を途切れさせ、


「ごめんなさい。あまりいい話ではなかったわ」

「いいさ。境遇や家庭環境を嘆いたことはないよ」


 うちも槙坂涼に負けず劣らず物質面で恵まれている家庭だが、それもこれも母があまりまっとうとは言えない恋愛をしたせいだ。槙坂先輩はそのあたりを気にしたのだろう。僕としては自分から言って回るつもりはないが、ことさら隠すつもりもない。気を遣ってもらわなければならない部分でもないのである。


 槙坂先輩が必要のない気まずさを感じて黙ってしまったせいで、僕たちはしばらく礼法室の中の体験教室をおとなしく眺めることになった。


 あらかた見てしまったと言っても、こういう時間が限定された催しものは見れていないものも多い。この筝曲部も初めて見るものだし、筝自体生まれてこのかた生で見たことがなかったので、なかなか興味深い。


 部員たちには明確に役割が決まっているようで、説明しつつ実際に演奏してみせる生徒は着物で筝の前に座っている。大会のような公式の場で演奏するときはこういう恰好なのだろうか。それとも人目を集めることを狙ってのパフォーマンスだろうか。筝の腕前も上級者にちがいなく、高校生ながら貫禄があった。


 それとは別に、わからない人のそばまで行って手取り足取り指さしておしえる生徒は、動きやすさを重視して制服のままだった。


「茶道も着物でやるんだったかな?」


 僕はこのあたりの知識が薄いな。今度調べてみよう。


「そうとも限らないけど、わたしは着せられたわね。どうも父も母もかたちから入る人みたいで」

「なるほど」


 その気持ちがわかってしまった。かたちから入るというよりは、何を着ても似合う娘にここぞとばかりに着物を着せてみたのだろう。


「着物も確かに似合いそうだけど、これに関しては切谷さんのほうに軍配が上がりそうだな」


 何せ彼女は老舗料亭の娘で、相貌もなかなかに和風だ。家業を手伝うときは和装らしいので着慣れてもいるだろう。案外、茶道だけではなく筝の経験もあったりするかもしれない。


「あのね藤間くん、女の子と一緒のときにほかの子の話はやめましょうね?」

「……」


 さっき雨ノ瀬の名前を出したときは何も言わなかったように思うが。切谷さんを褒めたあたりが地雷だったか。……いや、僕が無神経なのは確かだが。


「自分で言うのあれだけど、わたしの着物姿、けっこう様になってるんだから」


 なんか対抗しはじめたな。


 そりゃ似合うだろうさ。夏休みには浴衣姿を見ているし、だいたい想像がつく。浴衣は似合うが着物では今ひとつ、なんてことはあまりないだろう。むしろ似合わない恰好を探すほうが難しいのではないだろうか。当然、突飛な格好をさせれば似合わないものだって出てくるだろうが、通常日常の範囲内なら何でも着こなすことだろう。


「それに着付けもできるわ。安心ね?」

「安心? 何が?」

「もちろん、着ていた着物を脱ぐことがあるかもしれないし――その、き、着たままで、とか……」


 しかし、勢いよく発した言葉は、後になるにつれ弱々しくなっていった。


「……恥ずかしくなるくらいなら最初から言うなよ」

「ご、ごめんなさい」


 槙坂先輩は項垂れるが、むしろ項垂れたいのはこっちのほうだ。


 彼女は、こほん、とわざとらしい咳払いをひとつ。それから仕切り直すように口を開いた。


「ね、お正月には一緒に初詣に行きましょうか」

「初詣?」


 唐突な提案に僕は鸚鵡返しにその単語を繰り返した。


「ええ、どうしても藤間くんに着物姿を見せたくなったわ」


 どうやら着物が似合うことをわからせたいらしい。基本的にそこは否定していないつもりなんだが。それでも僕の勝手なイメージの中でとは言え、切谷さんに負けたことが悔しかったのだろう。意外と負けず嫌いだ。


「べ、別に変な意味で言ってるんじゃないから」

「……」


 そして、自ら蒸し返してしまうのも槙坂涼という女性である。


 もうそこには触れないようにしつつ、


「そうだな。行けるうちに行っておくとしようか」

「真」


 と、そこで名前を呼ばれる。振り返れば、そこにいたのは切谷さんだった。


「切谷さん。まだいたんだ」

「別に。……悪い?」


 彼女は恥ずかしかったのか、不貞腐れたようにそっぽを向いてしまった。もちろん、悪くはない。楽しんでもらえているようで、実行委員としても嬉しい限りだ。


「この子まで連れ込んでたの?」

「壮絶に人聞きの悪い言い方をしないでくれ」


 呆れたように言う槙坂先輩をあしらいつつ、僕は再び切谷さんに向き直る。


「実行委員の僕が言うのもなんだけど――そこまで面白い学園祭でもないだろうに。普通じゃないか?」

「でも、うちはもっと面白くなかった」


 切谷さんはお嬢様学校で有名な女子高だったか。あれもダメこれもダメの、ガチガチな学園祭なのかもしれない。


「その言い方だともう終わったのか」

「先週。……なに? 興味あるの? 女子高の学園祭に」

「ま、男だからね。そりゃあ見てみたい気持ちはあるさ」


 次の瞬間、がすっと脇腹に肘打ちが入った。もちろん、槙坂先輩である。


「うち、そのあたり厳しくて招待券がないと入れないわよ」

「それは残念」


 さすがお嬢様学校。学園祭とは言えども、誰でも自由に入らせるようなことはしないか。


 切谷さんは聞えよがしなため息を吐いた。


「目の前にいるの、これでも妹なんだけど。来年、きたいんだったらあげるわよ」


 それから槙坂先輩のほうを見、


「二枚用意するわ。見張ってて。この女の敵、何か起こしそう」

「ええ、そうするわ」


 槙坂先輩は苦笑しながらも首肯した。……そうか、僕はそういう認識だったか。


「私ももっと学園祭の面白いところ行けばよかった」

「学園祭を判断基準にする人間も少ないと思うけどね」


 どうやら我が明慧と自分のところの学園祭の差に嘆いているらしい。


 切谷さんのことだ、おそらく母親に言われるがまま今の学校を受験したにちがいない。尤も、彼女の性格では、学校行事が盛んな高校に行ったところで、どれだけ素直にイベントを楽しめることやら。周りで盛り上がれば盛り上がるほど逆に冷めていくのではなかろうか。


「真はどうしてここを? 留学するって言ってたけど、それと関係あるの?」


 そう言えば、彼女にはその話をしていたな。切谷さんはこの明慧に留学をサポートする体制や推し進める制度があるのかと思ったのだろう。実のところ、そんなものはなくて、人に話せるまっとうな志望動機と、人には言えないような実にくだらない理由によりここを選んだのである。前者は聞かれたら答えるのだが――ただ、今の彼女の聞き方とタイミングは最悪だったと言える。


 そして、


 


「留、学……?」


 


 そのことを初めて聞いた槙坂先輩は、唖然としてそうつぶやいたのだった。

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