第11話<下>
すぐに僕たちは生徒指導室へとつれていかれた。
正確には、そこに行ったのは槙坂先輩だけで、僕は近くの会議室だった。事情聴取は別々、且つ、同時に行なわれるらしい。
遅れてやってきたのは、二年の学年主任と僕のクラスの担任教師、
学年主任は体育の教官でなかなかの強面。一方、担任の八頭司先生ほうは無精髭で、くわえ煙草とよれよれの白衣が似合いそうなタイプだ。担当は現代国語。どちらも男だ。
当然僕は、主に学年主任の先生から、あの教室で何をやっていたのかを聞かれる。
「それは……」
だが、口ごもらざるを得なかった。
どう答えたものかと悩む。
正直に答えるのが筋ではあろう。言語学教室の後片付けをしていたら、槙坂先輩とともにひっくり返ってしまった。ここまではいい。だが、この後がよくない。倒れたのをきっかけに槙坂先輩が悪ふざけをはじめた――確かに僕は被害者で、傷は小さくすむだろう。だが、これでは彼女を悪ものにしているみたいだ。しかも、僕の言葉が足りず少しでも誤解が生じたら、槙坂先輩に対する印象が悪くなって、彼女は必要以上に追い込まれる。
では、自分を悪ものにして話をつくるか?
それだと今度は僕がかなりの窮地に立たされる。何せ最悪の場合、後片付けを買って出たことすら、計画的にいかがわしいことをしようとしたと取られかねない。
残念ながら、僕も我が身がかわいい。できれば重い処分は避けたい。それにテキトーに創作したところで、同じく事情聴取されている槙坂先輩の話と喰い違うのは目に見えていて、話がよけいにこじれるだけだ。
これも囚人のジレンマというやつだろうか。ちがうな。
ふと僕は、今ごろ彼女も同じ質問をされているのだろうなと思い――その瞬間、閃いた。やはり正直に答えることにしよう。
なぜなら、彼女が『槙坂涼』だからだ。
成績優秀、眉目秀麗、そして、教師からの信頼も厚い。言い方は悪いが、彼女はきっとその信頼を利用するだろう。信頼を武器にお咎めなしの裁定を勝ち取るにちがいない。僕の側からの小細工は無用だ。
だから僕は、事実をありのまま、できるだけ客観的に話した。
「本当なんだろうな?」
学年主任である体育教官は、威圧するように僕を睨んだ。
「疑うのでしたら槙坂先輩の話と突き合わせてみてください」
「む。そうだな……」
結局のところ、確認する術はそれ以外になく、先生ももとよりそうするつもりだったはずなのだ。
「あー、先生からもひとつ、質問いいか?」
我らが担任が頭を掻きながら一歩前に出た。
「最近小耳にはさんだんだがな――藤間お前、槙坂と男女として交際してるって本当か?」
それまで学年主任の横で、「厄介なことしてくれやがって」とでも言いたげに面倒くさそうな顔をしていた八頭司先生だったが、ここにきて踏み込んだ質問を繰り出してきた。
その問いに対して僕は――。
最後の質問の後、僕はここで待つよう言われ――今はひとり会議室で待機していた。
今ごろ職員室では、関係する先生たちによる話し合いがもたれていることだろう。つまり、判決待ち。その命運を握っているのが槙坂涼だというのが気に喰わないが。しかし、今は彼女のしたたかさに頼るしかない。
さほど待たされることなく会議室のドアが開いた。
「あー、藤間、もう帰っていいぞ」
入ってきたのは八頭司先生だけ。
「今日の件はお咎めなしだ。槙坂も同じことを言っていて、嘘はなさそうだしな。あっちはずいぶんと反省していたらしい」
「ありがとうございます」
僕は椅子から立ち上がり、頭を下げた。
「ただし、感心できる行為じゃないのも確かだ。学校はそういう場所じゃない」
「はい。すみませんでした。僕も深く反省したいと思います」
それは槙坂先輩に言ってもらいたいものだ。
「それにしても、あの槙坂もそういう悪ふざけをするんだな」
先生はひかえめがらも可笑しそうに笑った。
「槙坂先輩を知ってるんですか?」
その言い方が気になって、僕は聞いてみる。もちろん、彼女は有名人だから、単純に見知ってはいるのだろうが。
「ああ。あいつが一年のとき、俺の授業をとっていたんだ。そのときから心配していた」
「心配?」
先生の口から飛び出したのは、槙坂涼とは無縁に思える言葉だった。
「確かに成績優秀で品行方正、絵に描いたような優等生だ。それくらいなら今までもけっこう見てきた。だけど、あいつは一見してお堅いわけでもないのに、どうにも隙がなさすぎる。完璧すぎて怖かったよ」
何となくわかる気がした。
自分を厳しく律しているのなら隙がないのもうなずける。或いは、ひたすら勉強に打ち込み、成績と先生の目だけを気にしているのなら、ガチガチの優等生にもなるだろう。だが、あの通り人当たりもよく、先生からも生徒からも人気が高い。その上で隙がないのだ。大人からすれば怖くも見えるだろう。
「それが悪ふざけを見つかって生徒指導室行きとは、ずいぶんとかわいげのある話じゃないか。ある意味、安心したよ」
「……」
いや、断言しよう。あれはそんな生易しい状況ではなかった。
「逆に、お前はもっと真面目に高校生しろ」
「そんなに不真面目に見えますか?」
これでも槙坂先輩ほどではないにしても、先生から信頼は得ていると思っているのだが。
「いや、俺の個人的な意見だ。女友達ばかり増やしやがって。俺が学生のころは女子の友人なんてほとんどいなかったぞ」
十代のガキに嫉妬するかよ。これだから四十近くして独身の男は。
「実際、お前はこっちでも受けはいいよ。今日の件も、たまたま横で聞いていたサイモン先生がえらく熱心に擁護していたしな。……お前、あの先生の授業とってたっけ?」
「いえ。でも、普段からお世話になっていますので」
生徒を捕まえては英語で話しかけてくるサイモン・メラーズ先生は、実践的な英語を身につけるにはとてもありがたい存在なのだ。加えてつい最近、個人的に頼みごともしている。
「何にせよ無罪放免だ。よかったな夏休み前で」
「本当ですね」
僕は対先生用の笑顔で答える。
夏休み前最後の授業の日だからか、言語学教室からここまでほとんど生徒とすれ違わなかった。おかげでもし話題になったとしても、明日からの夏休みが明けるころにはすっかり風化してしまっていることだろう。
§§§
会議室を出て、ロッカーまで行ってようやく槙坂先輩の姿を見つけた。ここで僕を待っていたようだ。
どういうわけか彼女は嬉しそうに笑顔だった。
「何を笑っている。僕に何か言葉はないのか?」
僕はついつい恨みがましく、半眼で睨んでしまう。いったい誰のせいでこんな目に遭ったと思っているんだ。
「ごめんなさい。やっぱりあなたの言う通り、もっと場所を選ぶべきだったわ」
「そうじゃないだろ」
場所を選べと言った覚えもない。
「じゃあ、結局なにもできなかったから? わたしとしては少し焦らすだけのつもりだったのに、あんな邪魔が入るとは思わなかったの。不満なのはわたしも同じよ?」
「……わかった。もういい。帰ろう」
どうやら致命的に話の噛み合わない何かが僕たちの間にあるようだ。
ロッカーで荷物をまとめ、鞄をもって校舎を出る。だが、そこまできても槙坂先輩は嬉しそうに笑ったままだった。
「まだ笑ってるのか」
いったいこの人の頭の中には何が渦巻いているのだろうな。
「知ってる? わたしと藤間くんの話、喰い違いもなくちゃんと内容が一致したそうよ」
槙坂先輩はそう切り出す。
「お互い事実を話せば食い違いは生じない。当然の帰結だ」
「ええ、そうね」
そこでくすりと微笑。
「ところで、わたしは先生に、藤間くんと交際してるのかと聞かれたけど……そっちは?」
「……普通、そういうプライベートなことは聞かないだろ」
時々聞いてくる先生もいるようだが。
「じゃあ、聞かれなかった?」
「……あー、うん、まぁ」
自然、僕の返事は曖昧になる。
すると槙坂先輩は自分の頬に掌を当て、どこか芝居がかったような口調で返してきた。
「そうなの? おかしいわね。先生が言ってたのよ? 藤間くんにも同じ質問をしたって。その答えも含めて、ちゃんとわたしと話が合ったそうよ」
「もちろん、わたしはつき合っていますと答えたわ。……あなたは?」
「……」
さて、僕は何と答えたのだったかな。
口をつぐむ僕の横で、すべてお見通しといった表情の槙坂先輩。きっと彼女に聞けば、僕が何と答えたかわかるに違いない。
「そういえば、もともとは何の話をしていたんだったかな」
「あら、ずいぶんと強引な話の逸らし方ね」
ほっといてくれ。
ここはむりやりにでも話題を変えないとジリ貧だ。
「確か夏休みの旅行についてね。ホテルはどうするのかって話」
くすくす笑いながら、槙坂先輩は律儀に答える。彼女にとって僕が先に質問に何と答えたかなんて、たいして気にもならないのだろうな。
そんな話もしていたな。……まぁ、さっきまでの話よりは、まだこっちのほうがマシか。
「シングルふたつだ。日程は決まってるから、詳細は後で連絡する。飛行機のチケットももうとってあるけど、それは空港で渡すよ」
「え?」
早口でまくしたてる僕の話についていけていないのか、槙坂先輩は間の抜けた声を発した。
「えっと、あの……」
「だから、最初に言っただろ。シングルふたつに決まってるって」
こっちの都合に合わせるといった言葉に二言はないと思い、勝手に決めさせてもらった。国際線のチケットなんて初めてとったけど、案外どうにかなるものだな。ホテルの予約は、さすがにホテルマンである母親に頼んだが。
「本当に、いいの?」
槙坂先輩はおっかなびっくり聞いてくる。
何を突然我に返っているのだろうな、この人は。まぁ、尤も、僕もこんなことになるとは思いもしなかったけど。流れとは恐ろしいものだ。
「ああ、冗談だったのなら、今のうちにそう言ってくれ。あと、キャンセルは当日まで受けつけるから。僕は喜んでひとりで出発するよ。キャンセル料も気にしなくていい」
「ううん。絶対にそんなことしないわ」
槙坂先輩は不意に僕の腕に自分の腕をからませ、しなだれかかるようにして身を寄せてきた。
「嬉しい!」
「お、おい。離せよ」
僕が慌てて腕を抜いた。まだ学校の近くだというのに。先生に見られたりしたら、また面倒なことになる。下手すると技ありふたつで一本だ。
さらに、今度は数歩前へ駆けていき、振り返りながら嬉しそうに問うてくる。
「行き先はどこなの?」
後ろ向きで歩くと危ないぞ。
「イギリス。本当は北欧まで足を延ばしたかったんだけどな」
「そう、イギリスね。一度は行ってみたい国だわ」
槙坂先輩は再び僕の横に並んだ。さっきからくるくると動きが目まぐるしい。
前はイギリスだフランスだ北欧だと気前のいいことを言っていたが、さすがに初めての海外旅行でそれはハードルは高すぎる。身の程知らずを反省し、イギリスひとつに絞ることにした。
因みに、現地ではサイモン先生の母校である某大学の図書館を見せてもらえることになっている。もちろん、口添えをしてくれたのも先生だ。
なので、図書館巡りというよりは観光に近い。できれば大英図書館も行ってみたいところだな。
「北欧はまた今度?」
「そういうこと。もちろん、そのときは行く前に口を滑らせないよう気をつけるつもりだ」
しかし、槙坂先輩は僕の言葉を聞いて悪戯っぽく笑う。
「そううまくいくかしら?」
「うん?」
「だってわたし、藤間くんのそういう天邪鬼なだけの隠しごとは、ちゃんとみんな見抜いてあげるもの」
「……」
そうか、世の中には気づいてほしい隠しごとなんていうカテゴリがあるのか。……わかった。次こそは絶対にひとりで行く――僕は密かに固く心に誓った。
にしても、いったいどこでこんな流れに変わったのだろうな。最初は槙坂先輩の同行を冗談じゃないと突っ撥ねていたはずなのに。
思い返してみるに、おそらく僕が世界に何を見にいくのかを知りたいと言った彼女の言葉からだろう。……最初からかよ。なんだ、やっぱりあのとき罠に嵌まっていたんじゃないか。
何はともあれ、明日から夏休みだ。
学校からは解放されるが、きっと誰かさんからは解放されないのだろうな。僕の愛する退屈がどこかにいってしまわなければいいが。
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