新たな関係 1
そして、一週間が経った。
それまで華は学校を休み、沈黙を保ってきた。だが弥勒門財閥が騒然としていたのだから、周囲から怪しまれることはなかった。当主である響兵衛氏が現役を退くという大ニュースの方が世間を騒がせていた。
前触れもなく、脱税などの違法行為、脱法行為、組織的な不正を自ら表沙汰にして「責任を取り引退する」、「その後、司法の場で裁きを受ける」と記者会見の場で謝罪したのだ。そして跡継ぎとなった響三氏も検察の捜査の受け入れ、財閥の組織改革やコンプライアンスの徹底などを約束した。
そしてその次は、我が家の近所という狭い範囲において激動が訪れていた。
「色々とご迷惑をおかけしました」
俺は、一週間ぶりに華にいつもの喫茶店へと呼び出された。
そこで目にしたのは、華が店員に丁寧に頭を下げて詫びる姿だった。
クビだと脅しつけた店員にだ。
「あ、い、いや……た、体調は大丈夫、ですか?」
ああ、この店員は弱った華のことはまだ見てなかったか。
それならば驚いて変な質問をするのも無理はあるまい。
「今日だけお邪魔させてください。後はもうここには入りません」
「はぁ……」
華は言うだけ言って、客席へ行こうとする。
そのとき、店の入り口にぬぼーと突っ立っていた俺と目が合う。
「なんだ、来てたの」
華は、いつもの服装だ。
制服の上にお気に入りの赤いコートを羽織っている。
だが雰囲気が違った。
これまでのような、人を寄せ付けない覇気はない。
先週のような、今にも死にそうな野良猫のような弱々しさもない。
落ち着き払っている。
ただの一般人のようにも見え、あるいは何か悟りを得た修行僧のようにも見える。
こんな華は初めてだ。
「あ、ああ。今来たところだ」
「見ればわかるわ」
そしていつも座ってる、店の端っこの小さなテーブル席についた。
「ママとパパが離婚することになったわ」
「え!?」
心の傷はほぼ完璧に癒やしたはずだが、失敗したのだろうかと俺は一瞬ひやりとする。
「勘違いしないで。ほとんど別居状態だったし、別れたかったのよ。お互い浮気してたし、関係を清算しましょうってこと。昨日今日ケンカしたとかそういう話じゃないわ」
「そ、そうか」
「……むしろ、離婚が決まった今の方が仲良さそうよ」
「お前は、その……良いのか?」
「別に。パパの顔はここ数年ろくに見てないし。むしろ、ちゃんと頭下げに来たことが驚きだったわ。ママも体調良くなってきたし。円満離婚ってやつよ。私もその方が楽だわ」
「しかし離婚となると……お前はどうするんだ?」
「あんな鬼ババアと暮らし続けるなんてムリに決まってるでしょ。昔よりはマシになったにしても恨みは恨みで覚えてるしね。でもパパも浮気相手のところに入り浸ってたし世話になりたくないのよね、生理的に無理」
はぁ、と溜め息を付いて華は肩をすくめた。
「だから一人暮らしするわ。支度金は十分にもぎ取ったし。近くの賃貸マンション借りるから後で家具買いに行くわよ」
「お、おう」
心なしか、嬉しそうな表情をしていた。
新生活に胸を躍らせている、そんな気配をしていた。
「それより彦一」
「なんだ?」
「質問があるんだけど」
「ああ、聞こう」
「……なんで私だけ記憶を消さなかったの。ママも他の人も、誰も彦一のことを覚えていなかったわ」
「それか。まあ疑問には思うよな」
俺は弥勒門一族の合計五十人くらい催眠にかけて心の傷を癒やしたわけだが、同時に俺に何をされたのかという記憶は消した。そりゃそうだろう。俺がこんな力を使えることなど知られたくはない。
だが、俺は華の記憶については消さなかった。
「消したいか」
「そういうわけじゃないけど、理由は教えて」
「まあ、俺が色々とやらかしちゃったからな。ちゃんと認識した上で考えて欲しかった」
「考える?」
「お前は今、俺の催眠によって操作された状態だ。ついカッとなって殴りかかったり、誰かをとっちめてやろうって思ったときに、心理的なブレーキが掛かる」
「……そうね。なんとなくそういうのは感じる」
「だが怒りを抑えるというのは必ずしも心身に良いわけじゃない。もしかしたら体に負担が掛かるかもしれない。それは一週間前に身にしみてわかっただろう」
「そうね。ママに反抗する気力がなくなって、でも自分もさんざん他人に迷惑かけてるのも自覚してたから吐き出すこともできなくて……凄く堪えたわ」
「それを解除することもできる」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます