弥勒門財閥、陥落す 1




 華の家は豪邸だ。


 だが、別に大家族というわけではない。

 華の父親は年がら年中不在で、華の兄は留学中だ。

 今は母親と二人暮らし。


 その母親も多忙だ。財閥の総帥の孫娘であり、幾つかの会社を任されているらしい。経済誌に特集が組まれたこともある。だから何が言いたいかと言えば、華の母親は家のことなどしていない。華の世話はほとんどお手伝いさんがしているらしい。今日も華の母親はバリバリ働いている。


 ……その、はずだった。


「なんだこりゃ」


 弥勒門のお屋敷の中に入って呆気に取られた。

 見る影もなく荒れている。

 ゴミは散乱し、まるで掃除のなっていない大学生のアパートのようだ。

 馬鹿な。

 高校に入ってから一度もここに来ていなかったが、こんな有様は流石に信じられない。


「来て正解だったな……こりゃただ事じゃないぞ」


 俺は、保健室に華を運んだあとに学校をサボることにした。


 催眠をかけるには事前調査が足りなかったと痛感したからだ。いや、本当はちゃんと華がどんな生活をしているか知るべきだとは思っていたが、ためらってしまった。ちょっとしたお願いの延長の催眠をかけるくらいならば俺の中でセーフだが、本人が言いたくないこと、秘密にしておきたいことまで根こそぎ記憶を読み取るのは避けたかった。邪悪な催眠術にも仁義というものはあるのだ。


 だが学校での華の様子を見る限り、これはもう四の五の言ってはいられない。


 そうして俺は、屋敷の前にいる警備員に催眠を掛けて屋敷に潜り込んだ。正面から堂々と入り、大きな玄関に入る。まるで映画のセットのような瀟洒な洋館だ。絨毯の上を歩き、華の部屋を探す。そのとき、どこかで物音がした。


「……誰かいるのか?」


 音の鳴った方へと進む。

 そのとき、俺の足下にごろごろと転がってくるものがあった。

 ワインの空き瓶だ。


「酒?」


 かすかにアルコール臭が漂ってくる。

 こんな昼間から飲んでる奴がいるのか?


 俺はその匂いの元へと足を向けた。

 そこは、食堂だった。

 普通の家ならばリビング・ダイニングと言うべきなのだろうが、この広さでは厨房と食堂だ。ちょっとした小粋なレストランくらいならば余裕で開業できる規模だろう。


「……華の、お母さんか?」


 そこには、ソファーに女性が横たわっていた。

 テーブルには飲みかけのワインの入ったグラスと、中身をこぼしながら転がる瓶があった。


 良いご身分ですね、とは言いにくい。というか羨ましくない。

 気分良さそうに寝ているならまだしも、記憶に残る姿と比べて見る影もなく衰えている。

 長い黒髪は艶やかさを失い、白髪交じりだ。

 肌も荒れており、全体的に生気がない。

 以前写真で見たときは実年齢より十歳は若く見えたが、今は逆に十歳は上に見える。

 これが華の母親にして経済誌を賑わせた財界人、弥勒門響子なのか。


「うん……だ、誰!?」


 起きたようだ。

 寝ぼけた目で俺を見ていたが、すぐに他人が家に入り込んでいるという異常事態に気付いたようだ。俺から離れようとする。


【動かないで。静かに。この状況を疑問に思わず、俺の質問に嘘偽りなく答えて】


 だが、酔っ払っているのは幸いだった。

 一切の予備動作なく催眠を掛けることができる。


「うっ……?」

「申し訳ないんだが華とは友達だけど、あなたとはあんまり面識がない。手早く行きましょう」

「華の友達……?」

「ああ、覚えてませんか。まあ、華が小学生のときに一度か二度会ったくらいですしね」


 だが、ぴんと来なかったのだろう。

 俺の顔を見て理解した様子はなかった。

 この人も、華の三者面談のような最低限来るべきときに来たくらいで、授業参観であるとか華がトラブルを起こしたときに顔を見せたことはあまりなかったように思う。俺もこの人の顔よりも執事さんや顧問弁護士さんの顔を覚えてるくらいだ。


「……あのできそこないにも友達くらいいたのね」

「できそこない?」


 何言ってんのこの人。

 自分の子供に何を言ってるんだという怒りと、華の優秀さを知らないのかという気持ちが湧き出る。とはいえそれを表に出しても仕方ない。むしろこの言葉は、華の状況を知るためのヒントだ。


「何故です? とても優秀では?」

「あなたたちみたいな普通の人間に比べれば当然よ。でも、響一に比べたら……」

「それは……華のお兄さん?」


 何度か見たことがある。

 眼鏡の似合うインテリって感じの人だった。

 俺と華が中学くらいになる頃に留学のためアメリカに渡り、それ以降見たことはなかったが。


「そうよ。響一が……なんで死ななきゃいけないの……! あんな子だけ生き残っても、何の意味もないのよ!」


 その不穏な言葉に苛立ちを覚える。

 だがそこから続く華の母親の言葉は、俺の想像を超えるものだった。







 今から弥勒門財閥の人間の名前を幾つか列挙するが、安心してくれ。

 基本的に忘れて良い。

 胸クソ悪い話も多いから。


 まず、弥勒門財閥についてざっと説明しよう。弥勒門財閥とは明治維新で活躍した武士が貿易商へと転身して大成功を収めた、伝統ある財閥である。


 今現在、トップに君臨するのが華の曾祖父、弥勒門響兵衛だ。八十八歳という年齢でありがらバリバリ働いている、一種の超人である。


 その響太郎の息子であり、跡継ぎとされているのが弥勒門響三。

 その響三の娘であり創業者の孫娘が、今俺が催眠をかけた響子さんだ。


 また当然、それ以外にも兄妹や従弟、嫁や婿がたくさんいる。


 彼ら、彼女らはそれぞれ弥勒門財閥に属する会社の重役を務めている。会社経営するスキルも興味もないために名前だけ貸してる者もいるが、ほとんどは経営学なり何なりを学び、弥勒門一族の名に恥じない活躍をしている。弥勒門財閥の一員たるもの、恥じる生き方をしてはならない。


 だが、もしその一族の名を汚すような人間がいるとしたら?


 ここからが胸クソ悪い話だ。

 華の兄である響一さんは、アメリカに留学していた。

 だが彼は、途中で大学を辞めた。


 彼は弥勒門財閥の跡取り候補として期待されているのを嫌がっていたのだそうだ。高校で演劇部に入って演劇の世界に魅入られ、夢は映画俳優。アメリカのケーブルテレビのドラマや低予算映画に出演したりするくらいには活躍していたらしい。そのまま活躍できれば良かったのだが、そうはならなかった。どの国でもありそうな、自動車事故によって急死した。


 このとき、事故を起こした車内で麻薬が発見された。


 合法のものではない覚醒剤だ。もっともこれは響一さんのものではなく同乗者の所持品だったらしいが、マスコミに露見したらどうなるかわかったものではない。財閥のスキャンダルとして世間は好き勝手に話を盛り上げて弥勒門財閥の恥部として騒ぎ立てるだろう。


 そこで弥勒門財閥の総帥の響兵衛は、隠蔽を図った。


 金と権力を駆使してマスコミを黙らせ、箝口令を敷いた。葬儀さえも秘密裏に行われた。こうした響一氏の死を知る者は関係者以外ほとんどいない。俺も初めて知った。


 そうして、響子さんが心を病んだ。


 手塩に掛けて育てた息子が旅先で死んだ上に、大っぴらに死を悼むことさえもできない。その苦悩は計り知れないものだろう。


 その行き場のないストレスの矛先は、華だった。


 そもそも華は、響一さんが死ぬ前から響子さんに疎まれていた。ここがまた複雑なところなのだが、響子さんにも家庭の問題がある。響子さんの夫は敏腕経営者であると同時に、弥勒門響兵衛のお気に入りだ。そのため、婿養子として弥勒門財閥へ入ることとなった。政略結婚そのものだ。


 新婚当初は仲睦まじかったそうだが、響子さんのプライドの高さに辟易して夫は浮気三昧になった。響子さんは響兵衛に不満を漏らしたが、響兵衛も愛人を多く囲っていたため逆に響子さんを叱る有様だ。その結果、響子さんは自分の面影の強い息子に執着するようになり、その一方で父親の血筋の顔立ちの華を疎むようになった。


 俺は、華がそこまで歪んだ家庭環境にいることに気付かなかった。少しくらい家庭環境が悪いくらいのことは想像していたが、両親が喧嘩ばかりとか不倫してるとか、そのくらいのものだと思っていた。ここまでひどいとは流石に予想外だ。


 華は常に威風堂々としていた。愚痴をもらすことはあっても、弱音をもらしたことは今まで一度もなかった。特に家族に関わることなどおくびにも出さなかった。


 それでも華はあらゆる才能に恵まれて生まれながらも、ずっと兄と比較され、母から見下されてきた。


 確かに兄の響一は、地元でも評判……どころか全国レベルでの天才だった。生まれた国が違えば大学飛び級さえも余裕だったと言われた。本人の意志はともかくとしても、ゆくゆくは弥勒門財閥を背負って立つ人材だろうと目されてきた。知力という一点においては確かに華を上回っていたかもしれない。


 だが、僅差だ。華は学業の上で申し分ない結果を出していた。そして響一氏のもたなかったスポーツや芸術の才能さえ持ち合わせていた。それでも、兄と比べられて「駄目な子だ」と響子さんは何度となく口にした。罵声と平手打ちと差別を与え続けた。金銭は与えても愛は与えなかった。


 華はそれでも、結果を示し続けた。試験で一位を取り、スポーツで結果を残し、だがその一方で家庭の秘密を決して口にしなかった。かわりに俺が蹴られたり殴られたり、無関係な店員が八つ当たりを食らったり、バカな男子学生が窓から落っこちたりしていた。


 俺が華に催眠をかけようと決意した日。

 やたらと華の虫の居所が悪かった日。

 そのときに何があったのか、響子さんは答えた。


 予備校の模試の結果を、破り捨てた。響一さんよりも高い得点を取ったのに……いや、響一さんよりも高い点数を、取ってしまったために。そしてあらん限りの罵声を、自分の子供に向けて言ってはいけない言葉を、遠慮なく投げつけた。その中の内の一つだけを選んで教えておこう。「お前が死ねば良かったのに」だ。







「負の連鎖だ。ひどいもんです。治療が必要だ」

「何者だ、貴様……!?」


 ここには日本で一、二を争うと言われる庭師が整える庭園があり、池には高級車と同じ価値があると言われる錦鯉が悠然と戯れている。そんな豪勢な庭に面している瀟洒な寝室で、俺は老人と対面していた。


 俺がいる場所は、弥勒門家の本邸だ。

 時間は深夜0時。

 夜分の来訪になってしまったのは申し訳なく思う。

 当然ながら老人――弥勒門財閥の総帥、響兵衛は怒りと警戒の目で俺を睨む。

 だが俺は無視して話を続けた。


「本来だったら華を通してお近づきになって信頼関係を築いて、専門家によるカウンセリングを薦めるとか、時間を掛けるべきだったとは思うんですよ。ただ華のことを思えばそうもいかないわけで」

「……何が目的だ。恨みか? 金で雇われたのか?」

「ですから、治療です。響兵衛さん。あなたの問題が一族全員の心を病ませている。なのでこうして訪問させて頂いたというわけです」



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