第四章 1

 白い天井。窓から差し込む夕日。ここは、どこだ。体中が痛い。いてて……これは起き上がるのも大変だな。ここは……病室? 左手は包帯でぐるぐる巻き。この締め付けられる感覚は、どうやら頭にも包帯が巻かれているようだな。ぼくは死んだんじゃなかったのか。あぁ、まだ頭がふわふわする……えっと、ぼくは黒猫の案内でおじさん――いや、千代崎の家に行って……そうだ! 遥! 遥は無事なのか?


「やあ。やっと目が覚めたようだね。二日も眠ったままだったから心配したよ。君が無事で良かった」


 声がした方向を見る。椅子に座って本を開いていた高角先生は、本にしおりを挟んで閉じると共に立ち上がった。そのままベッドの脇に近寄ってくると、いつか遥にしたように、ぼくの肩に手を置いた。


「よく頑張ったね。君のおかげで磯山は特に被害を受けることもなく無事だったよ。まぁ、君のそのボロボロな状態の心配と、千代崎に裏切られ、暴行されそうになったっていうショックはあったみたいだけどね。ついでに、君が連れていた黒猫も無事だったみたいだよ」


 遥は無事だったのか。本当に良かった……。あとはこの事件が原因で、後々塞ぎ込んでしまわないよう、ちゃんと寄り添っていかないと。あの黒猫も迷惑をかけてしまったな。退院したらきちんとお礼を言いに行こう。


 そういえば、先生には悪いことをしたな。勝手に犯人扱いをしてしまっていたし。


「助けてくれてありがとうございます。あと、謝らせて――ごめんなさい! この千代崎の起こした事件、犯人は先生だと思ってた」

「ええ? ひどいなぁ。いくらなんでも俺にそんな幼女趣味はないよ。俺は大人の女性が大好きだ!」

「いや、そんなはっきりとぼくに宣言されても……」


 思わず吹き出してしまった。反動で肋骨が鈍く痛む。たぶん折れてるんだろうな――でも先生はなぜそんなに詳しく知っているんだ?


「はは、不思議そうだね。なんで俺がそんなことを知っているのか、って顔をしているよ――俺が呼んだんだ。救急車」


 本当にこいつは超能力者か! ――どういうことだ? あの決着がついた後、助けに来てくれたのか? ちょっと都合が良すぎないか?


「なんで先生はぼくたちが千代崎の家にいるって、気付いたんですか?」

「いやぁ、磯山のお母さんから連絡があってな。俺も探していたら、千代崎がちょうど車で出かけていくところを見たんだ。そうしたら家から磯山の声が聞こえてきた。だからだよ」


 高角先生に連絡する手段があったのは驚きだが、恐らく遥の母さんが連絡したのは本当だろう。でも助けに来るタイミングが絶妙すぎる。ちょうど見かけたというのはおそらく嘘だ。それに以前にも感じたが、なんなんだこの違和感は。この際だ。先生には悪いけど、はったりをかけてみるか。


「ぼくがまだ生きてるのは、先生のおかげなんですね。ありがとうございます」

「いやいや、どういたしまして」

「それにしても先生。一つ疑問があるんです」

「なんだ?」

「高角先生はただの先生じゃないんでしょう?」

「……なんでそう思うんだい?」


 否定はしないんだな。これはやはり、何か裏があるって事なんだろうか。


「理由は三つあります」

「ほう? 三つもかい?」

「まず、ぼくたちが洋菓子市専門店の行列に並んでいるとき、先生はぼくの過去をまるで知っているみたいに話していた。そして全て当たっていた。これはもう洞察力の範囲を超えてる。そこで思ったんです。『先生の背後には普通じゃ知り得ないようなことを知ることができる何か』があるんじゃないかって」

「ふむふむ。それで、二つ目は?」


 心なしか、先生は楽しんでいるように見えるな。それに、値踏みをされているような気がする。


「ぼくたちを助けてくれたこと。決着がついた直後に助けてくれたのは、偶然だと言っても都合が良すぎる。もしかしたら先生は近くで待機していたんじゃないかって考えが浮かんだ。じゃあなんで待機していたのか。『先生にはあの戦いの中で、何かの情報が欲しかった』」

「面白いことを言うね。それで、三つ目は?」

「先生が今、全然驚いた様子がないこと」

「ん? それはどういうことだい?」

「ぼくに声が戻ったことを知った人は、驚いて必ずこう言うんです。声が戻ったんだね、って。でも先生は少しもそういうそぶりを見せない。『まるでぼくの声が戻ることをあらかじめ知っていたかのような反応』にどうしても違和感を感じる」

「……やっぱり君は小学生とは思えない考察力を持っているよ。さすがだ。信じられないことに、君の言うことはおおむね当たっている」


 まるで先生としての顔を脱ぎ捨てるかのように、先生の顔つきが変わる。


「私は政府直轄の極秘組織『異能者犯罪対策本部』指揮官補佐の高角誠だ」

「異能者犯罪、対策本部」


 聞いたことのない名前だが、意味は何となくわかる。まさか三人を殺したぼくを捕まえに来たのか。でも四年も経った今になってというのは違和感がある。慎重に聞いた方が良さそうだ。


「そう。ださい名前だろ? 政府が追って命名するとか言ってるが、全然正式名称をよこさないんだ」


 先生はやれやれ、と言わんばかりに溜息をついた。少し緩んだ顔を引き締めて続ける。


「我々は主に異能者が関係していそうな事件の調査と、その存在の確認を行っている。とか言ってる私も、異能者なんだがな」

「異能者って、先生も何か特別な力を持っているんですか?」

「私は人や物に残る『過去』を透視することができる。過去に起こった出来事を、こう、上から見下ろすような感じでね。小説で言うところの三人称視点――神の視点、というやつと感覚は似ているのかな。君が七歳の頃に起きた事件も、当然調査に赴いた。何せ同日に三人もの小学生が自殺したんだからね。調べる理由には充分だ」


 四年前に過去を透視して、ぼくが殺したという事を知っているのに、なぜ今になって現れたんだ。何が目的なんだ。


「……ぼくの過去も見たんですね」

「あぁ、あの公園で起きたことは全て知っている。君に特殊な能力があることも、ね」

「そこまで知っているなら、ぼくの秘密も先生は気付いているんでしょ」

「秘密――ああ、君が自分自身を言葉で縛ったことかい? 知っているよ。でもなぜそんなことをしたんだい?」

「怖かったんです。ぼくはまたこの力で人を殺してしまうんじゃないかって。それがもし身近な人だったら思うと耐えきれなくなって。だから、自分を縛った」

「能力をコントロールできないのなら、いっその事使えなくしておいたほうがいい、ということか。それは賢明な判断だったね」


 一つ疑問が浮かんだ。先生はぼくが自分を言葉で縛って、声が出なくなるようにしたということを知っている。それなのになぜ――


「――先生は政府の役人なのに、なぜ小学校の先生として転勤してきたんですか? まるでぼくでさえ知らない縛りが解ける時期を知っているかのようなタイミングで」

「持続系の能力はどの能力も最長四年しか続かない。だからもうそろそろ能力が戻る頃だと予想はついていた。戻った時君はどうするのかを確かめるため、教師として今年から潜入捜査をしつつ、君を監視していたんだ――でもびっくりしたよ。君と磯山が千代崎の家から帰る時、監視している私の方に走ってくるんだから」


 そうか。疑問に思っていたんだ。遥の感じた視線は二つあった。そのうちの一つは、千代崎がぼくたちに釘を刺した後、本当に調査をやめるかどうか監視していたものだった。でももう一つはつじつまが合わなかった。遥が最初に視線を感じた時、千代崎は車に乗っていた、あるいは乗ろうとしていたはずだから。いくらなんでも、ぼくたちを監視した後すぐに自宅に戻って車に乗り込むとは考えにくい。あの時の視線は、高角先生だったんだな。


 それにしても監視って、なんだか嫌な感じだ。


「君が不快に思う気持ちもわかる。すまない。だが、どうしても必要なことだったんだ。能力が戻った時、君が危険な人物になるのかどうかを判断するためにね」


 そうか。周りには決してしないくせに、ぼくには突っ込んだ話をしてくるのは、監視が目的だったからか。今まで感じていた違和感の答えが出る。わざわざ学校の応接室で、いきなり声が出ない話やコミュニケーションの話をされて。洋菓子専門店に並んでいたときも、まるでぼくを見透かすような物言いをされて。先生は所々でぼくに過去を思い出させるような負荷をかけて、その反応を危険判断の材料にしてきていたわけだ。


「今こうやって話をしているってことは、ぼくは危険じゃないと判断されたと思ってもいいってことですか」

「そうだよ。君は今澄んだ目をしている。私にも経験があるが、力を使おうとするとき、心の奥底から負の感情が湧き出てくる。その感情を押さえることができず暴走してしまった者には、そんな目はできない。君は君の中の闇に打ち勝った。危険ではないと判断する材料としては充分だ」


 心がざわつく。ぼくは今、先生に認められたのか。


「でもぼくは四年前、ぼくの中のどす黒い感情に支配されて、三人も殺してる。それなのに危険じゃないと判断してもいいんですか? それになぜ四年前の時に危険と判断しなかったんですか?」

「君が四年前自分に能力を使ったことを知って、君は感情に支配されず能力が使える日が来るかもしれないと思った。だから見守ることにした。上には相当言われたけどね。でもその判断は正しかったよ。君は闇に呑まれた経験から学んだ。君の力は危険な代物で、感情のままに能力を行使すれば人を死に至らしめる、と。実際、能力が戻った時、君は千代崎を殺さなかった。さっきも言ったが、君は闇に打ち勝ったんだよ」


 泣くな。泣いちゃだめだ。


「それでも三人を殺した事実は変わらない」

「ああ、変わらないさ。君のことだから、ずっと悔やんで、自分を責めてきたんだろう。本当によく頑張ってきたな。その果てに決めたことがあるんだろ。瞳に宿る意志が、それを語っているよ」

「遥だけじゃない。ぼくが救える人は全て助ける」

「そんな大した結論に至った少年が、危険だと判断されるはずがないさ。迷わず突き進むんだ。でもこの先、その三人のことで悩んでしまうこともあるかもしれない。間違っても、芯を折っちゃいけないよ。常に前に進むんだ」


 我慢していた涙が溢れて、先生が見えなくなった。嬉しかった。今まで話したくても誰にも話せなかったことを、ぼくは今先生と話している。理解してもらえる。認めてもらえる。心にぶら下がっていた重りが取れて、やっと自由になれたという感覚に包まれた。


 気付けば涙が止まらなくなっていた。ぼくはずっと、誰かに知ってもらえることを待ち望んでいたのかもしれない。先生はぼくが泣くのをやめるまで、その大きな手を肩に置いてくれていた。かつて遥にそうしたように。


 自分が大泣きしてしまったことが恥ずかしくなって、慌てて涙を右手の袖で拭った。


「ごめんなさい、先生。ありがとう」

「いや、良いんだ。気持ちは分かる。他に質問はあるか? この際だ。何でも答えよう」


 とにかく今は恥ずかしさを忘れろ。気を取り直せ……気になっていることは、もう一つ。


「千代崎はあれからどうなったんですか?」

「下半身を露出したまま警察署に出頭したため、公然わいせつで現行犯逮捕。その後自分の罪を吐露したため、連続少女誘拐事件の被疑者として立件されるだろう――というのが一般的な流れだが、異能者の存在が世間に知られていない以上、ただの妄想と思われるだろう。だが大丈夫。彼の身柄はうちの組織に移管された。能力者専用収容所に送られる予定だ。もし能力が知られないまま投獄されたら、普通の刑務所じゃ能力によっては簡単に脱獄されてしまうからね」

「それだと脱獄の心配もありませんね。千代崎は人を苦しめた。たとえ記憶を失ったとしても、被害者自身の体がその体験を覚えていると思う。ちゃんと反省して、罪を償ってほしい」

「千代崎は自分を想ってくれる、良い友人を持っているんだな」


 この罪はたとえ償ったとしても、一生背負っていかなきゃならないものだ。ぼくの殺人と同じように。もし千代崎がその覚悟をして、改心して出所してきたのなら。ぼくはまた彼をおじさん、と呼べるのだろうか……いやいや、だめだ。何を考えている。あれだけのことをされたんだ。決して許してはいけない。それに――


「――彼はぼくたちを裏切ったんだ。その内側の狂気を優しさで塗り隠して。友達なんかじゃない。ぼくたちの知っている『おじさん』なんて本当は存在しない、ただ演じていただけだったんだから」


 先生は腕を組み、真剣な表情で口を開く。


「それは少し違う。演じているのではなく、豹変する。闇に堕ちた異能者の特徴だ。普段は素の自分でいられるが、スイッチが入ると途端に闇の顔が現れる。そして感情のままに行動してしまう」

「ってことは、千代崎はどす黒い感情に支配されてしまった異能者で、スイッチが入ったことによって、少女誘拐事件を引き起こした。じゃあ千代崎のスイッチってなんだ……」


 ぼくの場合だと、遥。いや正確には遥が危険に迫って、傷つけられそうになった時だ。千代崎の場合は……思い出せ。そういえば、千代崎は確か『遥とたくさん触れ合って興奮したから沙紀を襲った』と言っていた。沙紀を襲った理由は、遥と触れ合って興奮したから? 触れ合って、興奮……そうか!


「スイッチは『興奮』だ!」

「さすがだ。ほぼその通りだよ。すごく細かく言うと『欲情』という言葉が適当かな」

「なるほど。欲情ですか。適格な言葉ですね。千代崎は欲情すると狂気に満ちた顔に変わる。それはつまり、千代崎は過去に欲情したことがきっかけで、闇の感情に従って能力を使ったことがあるということ、ですね」

「そういうことだ。彼もあんな事件がなかったら、心優しい普通の青年として生活していただろうにな」

「……え?」


 聞き間違いじゃないよな?


「え?」


 先生はぼくが疑問に思ったことに対して、疑問に思ったようだ。


「なんで千代崎の過去を知っているんですか?」

「君らしくないなぁ。私は言ったはずだよ。『人や物の過去を透視することができる』って。出頭した千代崎を私たちの専用施設に収容する旨を警察署へ伝えに行った時に、ついでに透視したんだ。少し長くなるがどうやら興味があるようだし、話そうか。千代崎は――」


 先生は椅子に戻り、ゆっくりと話し始めた。

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