第11話 「女は血なんか怖くないのよ」

 電話というものは時間を選ばない。

 男は2コールで受話器を取る。そして絡み付く女の長い髪を邪魔そうに除けながら答えた。


「……溝口だ」


 向こう側から一言、二言。


「……何だと?」


 その男にしては大きな声に、横の女が目を覚ました。


「……くそっ!」


 普段の彼の、学校での冷静な様子を知る者だったら別人かと思われる様な口調で、彼は受話器を叩き付けた。


「……どうしたの、センセ」

「毬絵」


 溝口はベッドから降りると、椅子に掛けてあった制服を彼女に投げた。


「何か、あったのね」


 彼女の透明な声にも緊張が走る。


「『拉致組』から今連絡が入った。標的の母親は、昨夜から戻っていないそうだ」

「旅行に一緒に行ったんじゃないの?」

「いや、検索した限りでは、あのホテルはあくまで二人分で予約されている。男女二名、でな」

「本当にあいつも馬鹿よね。標的がアレなら、遠くにやろうとするくらいのこと、あたし達が気付かないと思ってるかしら」

「思っているから、お前と違って『R』なんだよ、毬絵」


 すっ、と溝口は彼女の顎の下を撫でる。彼女はふん、と軽く笑うと、喉を鳴らす猫の様な表情になる。


「お前は本当に、優秀な生徒だよ」

「センセの教えがいいからだわ」


 ふふ、と彼女は溝口の首を抱え込んで、唇を重ねる。だがそれはそう長いものではなかった。


「続きは後だ。……あの馬鹿が、標的の家族のことなどに気を回すことは無いだろう」

「無いわね」

「始末した標的を箱詰めにして、当局へ送っているのが我々だ、ということも気付いていないだろう」

「今更な言い方ね。センセにしては、歯切れが良くないわ。あの馬鹿じゃないとすれば、一体誰なの?」


 至近距離から、溝口は真剣な表情で彼女の目を見据える。


「あの連中が、乗り出している可能性がある」


 毬絵もまた、顔を引き締めた。

 政府直属の自分達に対抗する組織的な動きが、確実にあることを彼らもまた、聞いていた。

 二人はさっと身支度を整えると、明け方の寒さに窓が凍りついたワゴンに乗り込む。


「あー、こんな時間にあたし達に出させるなんて、全く」


 制服の上にコートを着込み、彼女はぼやく。


「どうせ、あの馬鹿のやりそうなことなら予想がついてたんだから、学校でへろへろになってる奴を回収して、あのボケボケの女、目の前で殺させてやろうかと思ったのに。あ、それとも、あたしがあいつの目の前で切り裂いてやろうかなあ」

「……お前本当に、そういう場面が好きだなあ」

「女は血なんか怖くないのよ」


 溝口は眼鏡の下の瞳を細めた。


「いっそお前が『R』になった方が、世のため人のためじゃなかったかね」


 ぱん、と彼女は溝口の膝をやや強く叩いた。


「冗談言わないでセンセ。あたしはあんな馬鹿とは違うのよ」

「そうだな、お前は賢いよ。だからこそ、そんな性格でも『B』なんだからな」


 そうよ、と彼女は首をぶん、と振った。その拍子にふと後部座席を見る。


「あら、何よこれ」


 大きな紙袋を彼女はのぞき込んだ。

 中には、色とりどりのパッケージのチョコレートが、あふれる程に入っている。


「何だお前、昨夜気付いてたんじゃないのか?」

「知らないわよ。昨日のあたしに判る訳ないでしょ」

「お前は俺にはくれないのか?」

「欲しいの?」


 あはは、とワゴン車の中に、涼やかな声が響いた。  

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