第16話 魔王の悪事
朋子の呼びかけに応じ、ここ調布で行われていた勇者一行+魔王の集いは、あっという間にお開きとなった。きっかけは、武闘家の転生者日野聡美に今夜予定が入っており、もう横浜に帰らなければならないためである。
一同は長々居座ったファミリーレストラン“ジョースター”を後にし、瑛里華も一緒に新宿まで帰るということで、揃って調布駅改札地上口の前まで来ていた。
辺りは日が陰り風も少し強くなっている。初夏目前の
現に、直人はパーカー一枚という軽装のため身を震わせ、
朋子も今日の予報を甘くみて薄着だったため、ガタガタと震えていた。
「……い、いきなり気温下がりましたね」
「昼間暖かかったからな、甘く見過ぎてた…」
実際に二人とも厚着とは言えず、身を縮こまらせている。
そんな魔王と勇者の転生者に、聡美は若干呆れながらも、
「風邪引かない様にね。帰ったら暖かくしなよ」
と年長者として年下の二人を心配する。
「はい、わかりましたっ。帰って暖かくします」
素直に彼女の言うことを聞く朋子。
聡美は朋子の素直さに苦笑する。本当に素直で、言い方は悪いが単純な子である。
勇者一行の転生者である日野聡美は正直なところ、まだこの子が勇者エルフィンの生まれ変わりである、とは完全に思えていなかった。あまりに見た目性格が変わっていたからである。
だがそれを指摘するには、己とて転生者という確たる根拠に乏しい。結局、勇者と同じく前世記憶があるだけに過ぎないのだ。
互いに、転生者かどうか詮索しても無意味な事。聡美はそう悟り始めていた。
そしてそんなことを思いながら聡美は同時に、我が子に上着を着せようとしている。
高校生二人と違って、寒くなった時のため、ちゃんと対策をして来たのである。母として当然の処置だ。
当の楓恋は、うんやうんや、と少し駄々をこねる。厚着が動きにくくなるので苦手な様だ。
不意に朋子がしゃがみこみ、楓恋と目線を合わせる。そしてにっこり微笑みながら、
「楓恋ちゃん、バイバイ。また会おうね」
と屈託のない笑顔でサヨナラする勇者の転生者。彼女は本当に子供好きなようだった。
すると楓恋は恥ずかしそうに聡美の足元に抱き着き、おずおずと小さい手をヒラヒラさせた。
か、可愛い、と頬がさらに緩む朋子。お持ち帰りしたいと
「……この子、随分大人しかったよな」
直人がふと口にする。
「ん? そうですか?」
「いや、これくらいの子って、もっと元気にはしゃいで、すぐどこそこ行っちゃうもんじゃなかったかなって」
直人は何気なく言ったつもりであったが、母である聡美は、なぜか顔を暗くする。
そして我が子を抱き上げ、少し重く口を開いた。
「……この子、
「ぜんそくって…?」
小首を傾げる朋子。
「確か気管支が収縮して動悸や息切れ、発作なんかが起きる病気、だよな」
と直人が簡潔に補足する。
「……あんたホントに雑学魔王だね」と聡美は苦笑する。
「そう。まぁ、普通に暮らすぶんには問題ないんだけど…。少しでも激しい運動をするとすぐ呼吸が荒くなって苦しくなるみたいなんだ。以前からの何度も症状がでてね」
「…そうなんですか」
「うん。それにこの子も幼いながら自覚してるみたいでね。普段からすごい大人しんだよ。心配になるくらい。今日みたいな遠出も、本当は身体に負担が掛かるから、あまりよくなかったんだよね。けど…でもどうしても、かつての仲間にこの子を見せたかったしね」
そう言って柔和な顔で我が子を見つめ、
「………あたしはこの子を、何が何でも護らなきゃいけないんだよ」
そう断言する。
子を心配し、憂う母。
武闘家カレンのそんな表情を、朋子は前世を通じて初めて見た。
そしてこの親子を、己の我儘で遠出に付き合わせてしまった事へ、少し後悔を覚えた。
「なんか、すいません。私のためにわざわざ横浜から調布まで…」
「何言ってんだい。あんたに会いたかったのは本当さ。それにこの子まで付き合わせたのは、あたし自身の我儘なんだよ。別に謝ることはないよ」
「…でも」
朋子は申し訳なく目じりを下げる。
「大丈夫だって。それに、まっ、予定が無きゃこんなにたくさん電車に乗らないしさ。この子だって意外と退屈じゃなかったみたいだよ。…ね? 電車たくさん乗れて楽しかったよね?」
聡美は腕の中に問いかける。すると楓恋は恥ずかしそう頷き母の胸元へ顔を埋めた。
どうやら楓恋も、電車や初めて訪れた街に好奇心を刺激され、楽しかったようである。聡美は我が子のそんな思いを悟り、ははっ、と聡美と快活に笑った。
朋子は、聡美の前世の名残のある笑い方と、楓恋のもじもじに心和ませる。
と、聡美が一転して顔を険しく変化させ、「それにね」と紡ぐ。
「勇者一行の現世姿を見て、己の根本を再確認できて今日は満足だったよ」
朋子は、聡美の言葉の意図を見出せず眉を結ぶ。
「…あたしもね、前世のことで色々迷いがあったんだよ…」
聡美は
日野聡美が転生者と自覚を始めたのは十歳ごろ。
彼女は小さいころから、何者かの目線で、恐ろしい昆虫の化け物と戦う悪夢を見ることがあった。それはとても恐ろしい夢ではあったが、不思議と怖いとは思わなかった。なぜなら傍らに必ずとある男の姿があったからだ。
そしてその男が勇者エルフィンであり、共に戦っている何者かの目線は、
しかし前世を思い出し、転生者の自覚を得たものの、近くに勇者エルフィンや魔王の影姿など一切なく他の仲間も、無論いない。
己一人だけ転生したのか?
そんな使命を叶えられぬ
そのころは髪を真っ赤に染め、かつての盗賊団と同じ様な連中を率いて、奇しくもエルフィンと出会う以前の、盗賊カレンと瓜二つの状態となっていた。
しかしとある時、当時の高校に今時珍しい熱血教師が赴任して来る。
その教師は聡美と真っ向からぶつかりあい、時には教師でありながら喧嘩沙汰まで発展した。
だが次第にお互い理解を深め、そして和解し聡美は少しづつ学業に励むようになったという。もともと頭の回転が良かった聡美は、その教師の指導の下、学力の遅れを取り戻しかけたが、その時期に妊娠が発覚。
聡美は悩んだ挙句、高校を中退し子供を育てる事を決意。
聡美は実家とも和解し働きながら子育てをして資格も取り、現在横浜でアパレルショップの店長を務めるまでになっていた。
そうして前世の事もすっかり忘れ、日々の生活に追われていた最近になって、偶然にも朋子のツイッタ―の呼びかけを見つけてしまう。
心底悩む聡美だったが、自分の根本。そして生い立ちに関わる事なので無下にも出来ず、朋子の呼びかけに応えることにし、今日我が子を連れ調布を訪れていたのだ。
「…今まであたしは武闘家カレンではなく、日野聡美として、この世界の普通の人間として、一人の母親として、この子のためだけに生きて来た。だけど転生者の記憶も、心のしこりみたいな形でずっと残っていた」
聡美はそこで言葉を区切り、朋子を、勇者エルフィンを真っ直ぐに見据えた。
「あたしはそれを……勇者エルフィンを、吹っ切るつもりで、今日は来たんだよ」
憂いを帯びた彼女の表情を、朋子はただただ困惑した表情で見つめる。
前世との決別。
それに他ならなかった。
その意味がだんだんと
「……今は、その子ために?」
と同じ転生者の蘇我直人が口にする。
「そうだよ。今は……この子があたしの全て」
魔王の言葉を肯定し断言する武闘家カレン、いや日野聡美。
朋子は、彼女の今の全てを、否と断じることが出来ず、顔色を失わせる。
「……俺も母子家庭なんだよ」
そう言って、直人は複雑な表情で聡美の腕の中の子を見る。
思うところがある様だった。
「……そんなのかい? あんたも父親いないのか?」
「まぁ…」
直人はそれだけを言うと口を濁す。
自分の過去について直人はあまり語りたがらない。
聡美はなんとなく、フェアじゃないな、と思ったが、魔王は今やただの思春期の子供である。あまり深く聞かれたくないのだろう。家庭の事情に関わる事だし。
「サンドラ、いや瑛里華。あんたはどうなんだい?」
聡美は会話に入らず、なぜか黙っていた瑛里華の様子が気になり尋ねる。……って、スマホ弄ってじゃないよ。
「はい?」
「……あんたは、これからどうするんだい、僧侶サンドラの転生者。 魔王を討つのかい?」
「普通に人生を謳歌します」
即答する僧侶の転生者。
気軽で適当な答えに、聡美は眉を顰める。
「……いやまぁ、別にそれでいいけどさ」
瑛里華は、聡美が自分の答えに満足していない様子を嗅ぎ取ると、寒さで赤かった鼻をずずっと啜る。
そして、学修院中等部学校指定のコートを羽織った制服にブランドのマフラーを
「勇者様には申し訳ないんですが。私、僧侶サンドラ・イアキフの転生者、エレメントマスター・エリリカ・アリドーはリアルアイド」
「さっき聞いたよ」となんかウザいので台詞を切る聡美。
「もう、ちゃんと言わせて下さいよ!」
「……いや、いいよ。とにかくあんたは魔王を討ちたいのかい? 簡潔に言いな」
「え~、魔王ですか??」
魔王の転生者を瑛里華はマジマジと見る。すると、ふふんっ、となぜか鼻で笑った。
「……そうですねー。正直、もうあまり興味ないですねー。魔王が甲虫種の化け物から、ただの童貞になっちゃいましたしね。恐るるに足らずです」
「だ、誰が童貞だ!」
直人は思いっきり動揺する。
「えー、知らないんですかぁ? 三十超えると魔法使いで、三百超えると賢者になれて、千年超えると魔王として君臨できるって言うじゃないですか? 童貞だと」
「そんなクラスチェンジ知らねえし!」
瑛里華の茶化しに本気で喰って掛かる直人。
聡美は、アホらしいと溜息を付いた。
「……どうもこの世界を純粋に楽しんでるみたいだね」
「そうです! この世は私のためにあるんです! 前世は禁欲を是とする教会暮らしが長かったせいで色々
つまるところ僧侶の転生者たる有藤瑛里華は、飽食且つ娯楽に満ち溢れたこの地球世界に心酔し、地球で言う、中世暗黒時代だった
「…という訳なんです!」
常々思っていたことを言い終わる瑛里華。満足げであった。
「……あんた煩悩全開で生きてるんだな」
皮肉ったらしく直人。
「それほどでもないですよ~」
「……悪いね勇者エルフィン・エルリード。いや久住朋子。あたしたち勇者一行はもうこんな風に、
勇者の転生者を真っ直ぐ見据える日野聡美。
「………残念だけど、あんたの力になれそうもないよ」
彼女は勇者にはっきり告げる。
魔王を討たない、と言うことを。
「……」
その言葉に、勇者の転生者、久住朋子は愕然となる。
力なく顔を下げてしまう。
「……朋子」
直人が居たたまれず声を掛けた。
彼は魔王でありながら勇者の心情を察した。
(え? 褒めてないってツッコんでくださいよ、とのたまう瑛里華は誰も眼中にない。)
……朋子は、かつての仲間を純粋に信じ切っていたのだ。
共に魔王を討ってくれると。
しかし、それが叶わないと知った。
転生までした意味が失われた。
足元が崩れ落ちる心境ではないのか?
そう考える。
でも、それは致し方ないことなのではないのか?
かつての仲間たちも、既にこの地球世界の人間となり、普通に人生を送っている。
何事も無く、と言う訳ではないようだが、平穏な生活を営んでいる。
魔王の転生者である自分もそうだし、ましてや勇者の転生者である朋子も、完全にこの世界の人間ではないか。
そんな転生者たちの言い分を無下には出来ないだろう…。
お前は一体どうするんだ?
直人はそう嘆息する。
「…わかりました」
朋子が口をそう開いた。重々しく。
…納得してくれたのか?
皆がそう思った矢先であった。
朋子は直人の方をなぜかキッと睨み肩を震わせた。そして、
「直人くんのバカぁ!!」
と、寒空の下、金切り声を調布駅前に響かせたのだ。
は? と意味が分からず、キョトンとなるその場一同。
「な、なんだよ。いきなりバカって…」
バカと言われた事に対して、怒りよりも困惑が浮かぶ直人。なぜこのタイミングで?
「直人くんが魔王らしくしないからでしょ!」
朋子は怒り心頭にそう叫ぶ。
「なんで意外と真面目なんですか! 最初は嫌がってたのにプリント集めや号令とかのクラス委員の仕事もちゃんとするし、遅刻もしないし授業は真面目に受けるし掃除とかもちゃんとやるし! 世界滅亡とか目論んでないとか言うし!」
こいつは何を言っているんだ? と唖然とする直人。
「それのどこが悪い」
「全部! 魔王が悪い事しないと、私たちが勇者らしいことできないでしょ! だから皆が、魔王を討たないとか言うんです!!」
朋子は悲痛に叫ぶ。
魔王の今の行いは、勇者としての
魔王が魔王やってくれないと、勇者が勇者やれない。
朋子のあまりの身勝手さにさすがにカチンとくる直人。
「……お前、前から思ってたけど案外自己中だよな。…俺は清く正しく生きてんのに、なんでそれを否定されなきゃいけないだよ! ふざけんな!」
「ふざけてない! 魔王が悪い事してないと、私たちが転生した意味がないじゃないですか!」
互いにガルルと睨み合い、またも幼稚な争いを始めた魔王と勇者の転生者。
聡美と瑛里華は、今日何度目か分からない呆れた視線を二人に送った。
と、
「ちゃんと悪い事して下さい!」
朋子が叫ぶ。
「は?」
それに怪訝に返す直人。
「なんでもいいから悪い事をして下さい! それを理由に私たち勇者一行が魔王を征伐します!」
なんとも無茶苦茶な事を朋子は言うが、その眼は本気である。
身勝手を通り越して横暴と感じた直人は腹に据えかねる思いがした。
「………おい、なんだよそのマッチポンプ。じゃあ、万引きでもすればいいのか?」
「魔王がそんなみみっちい犯罪じゃダメです! 国会議事堂を爆破するとかっ、もっと悪い事!」
「テロなんか誰がするか!」
直人はだんだん本気になって来る。
「…………いい加減にしろよ。人様に迷惑掛かけちゃいけませんって
「常識も何も、
「もう前世なんか関係ねえし!」
「だからそれだと元も子もない! ちゃんと悪い事しろぉぉぉぉ!!」
直人に迫り絶叫する朋子。
直人もあまりの理不尽に頭に血が上り、だったらやってろうじゃねえか! と覚悟を決め吹っ切れる。
そして誰にも迷惑を掛けず、言った張本人である勇者に対してのみ、悪事を働くことにした。
瞬間、魔王は腰を屈め両手で勇者の下半身を覆っている布を
それは雪肌の様に白いお見脚とケガレのない三角地帯を、駅前という衆人環視に晒し、勇者を羞恥に
「くくくく、朋子のパンツは水縞パンツ! 何とも子供っぽいパンツであるぞ!」
東京都調布市調布駅地上入口。そこに魔王は魔性の笑みを湛え、邪悪な声を響き渡らせた。
固まるその場一同。
足を止め、え? と唖然とする観衆たち。
魔王は勇者の挑発に乗ってしまい、とうとう本性を
それに対し、勇者は刹那に反応し動いた。
肩を震わせ、キッと魔王を睨み、その右腕に聖力を込め、誰も反応できないようなスピードで、
スッパーーン!
と、魔王の頬へ会心の一撃を食らわせ、調布駅前に乾いた音を響き渡させるのであった。
*****
ガタンゴトンと電車が音を鳴らし地下を抜ける。
京王本線調布地下路線は新宿方面に向かう際、国領駅を過ぎた先で地上に出る。それから先はしばらく地上を走り、再び笹塚を超えると地下に潜り新宿駅に到着する。
聡美と瑛里華は、こちらには殆ど用事が無いので、今回初めて京王線を利用した形である。
「ままー、ちかてちゅでたー」
楓恋が興味津々に窓を覗き、外の景色を見ている。
普段あまり電車を利用しないので新鮮な様子であった。
「そうだねー。地下鉄だね。ほら、お靴を脱ごうね」
そう言って靴を脱がすよう手で指し示す聡美。楓恋は母の言うことを受け、たどたどしく自分で靴を脱ごうするが上手く脱げない。聡美は微笑みながら優しく手助けをする。
靴を脱ぎ終わると楓恋は、再び座席に膝を突いて、流れゆく外の景色を眺め出していた。
外は夕暮れ間近。
線路真際までぎゅうぎゅうに迫る東京の住宅地に、伸びた影が躍り始めていた。
「………ぷ」
聡美の傍らから空気の漏れる音。
瑛里華が腹を抱え突っ伏し肩を震わせている。
「……まだウケてんのかい」
「魔王の…精一杯の悪事が…スカートめくりって…今日び小学生も、…やんねーしww」
wのネットスラングの文字が見え、若干顔を
瑛里華は先ほどの勇者と魔王のやりとりがドツボにハマったらしく、ずっとこんな調子であった。
勇者が会心の一撃を魔王に食らわせた後、二人の内勇者の方は「バカ! スケベ! 変態魔王!」の捨て台詞を残し、調布の雑踏へと消えて行った。
対して魔王の方も、よっぽど痛かったのか頬を抑え、「じゃあな!」と、怒りに震えながら勇者とは反対方向へ去って行った。
取り残される武闘家と僧侶の転生者二人。
勇者と魔王に見送られに来たのに、逆に呆然と見送る羽目になってしまっていた。
取り敢えず二人は、周囲の耳目が気になりいそいそと改札を抜ける。そしてすぐ新宿行の特急が来たためそれに乗り新宿方面へ向かっていた。
聡美は横浜へ帰るため新宿から湘南新宿ライン。瑛里華は品川へ帰るため山の手線に乗るつもりであった。
「なんつかー、今日はとにかく疲れたよ…」
溜息を吐く聡美。
「そうですかー?」
顔を上げる瑛里華。目には笑いの涙を貯めている。
「調布くんだりまで来たこともあるし、…勇者と魔王があんなのになってたていう精神的なものもあるしね」
少し疲労が滲む。
実際、かつて自分が好意を抱いていた相手が女の子になっていたことは、聡美は少なくないショックを与えていた。…しかもどうやら、今の勇者は魔王に対してある程度、好意を抱いている様だ。どうてみて本気で嫌っている風には見えない。
「まぁ、確かにあの二人、宿敵同士と言うよりはただの喧嘩バカップルでしたね…」
瑛里華はまた思い出したのか、くくくと笑う。
「……そんなに、面白いもんだったかい?」
聡美は瑛里華のリアクションがあまり理解できずに目を細める。
確かにあの二人のやりとりは、バカバカしいものではあったが、自分は面白がるというよりは呆れる以外になかったのだが。
「そう言うあんたも、大分変っちまったね」
聡美は呆れながら言う。僧侶サンドラとて、中身が…残念になっている。
正直、彼女の今日の行いや言動も理解に苦しむことばかりであった。
「…そもそも、なんでコスプレで来たのさ?」
「ん? ああ、それですか? だって現世で勇者一行がどんな姿になってるか、分からないじゃないですか。だったら自分が前世の恰好で来た方が、相手も分かりやすいでしょ? ちなみに全部自作です。サークルも入ってます。無論、コミケ属性持ちです!」
そう言って、聡美がイラっとするポーズを取る瑛理華。
「……まぁ、そのおかげ何とか集まれたワケだけど」
やはり腑に落ちない聡美。
「もぉ~、別にいいじゃないですか、今の私がどんなでも。転生して魂や記憶を受け継いでいたとしても、人格まで受け継ぐってワケじゃないみたいですし」
「そうかい?」
「でしょ? だって私たちを見たら、そう言うことですよね?」
「………まぁ」
言葉を濁す聡美。
今日見た転生者たちに限って言えば、瑛里華の言うことにも一理あった。
しかしそうなると、転生とはなんなのか? 魂は何なのか? という観念的な問題になってしまう。
聡美は、もう私たちにもうどうでもいい事と
「とにかくさ。またこれから集まることもあるだろうし連絡先交換しとこう。ツイッタ―だけじゃ
「ん? また集まるんですか? もう会わないつもりとかじゃなかったんですか?」
瑛里華は少し疑問を感じた。
聡美のあの言い方では、勇者一行としてもうこれっきり、という意思表示の表れのように感じられたからだ。
「最初はそのつもりだったけど、やっぱりあの二人を放って置く気にはなれないよ。…また何かと波乱が起きそうだしね」
「まー確かに」
瑛里華は素直に同意する。
色々癖のある勇者と魔王の転生者の二人。
特に勇者の方が、向う見ずに、何かと突っ走りがちな性格なのが明白であったからだ。またぞろ調布に呼び出されそう。
「…それに、あいつのことも気になるしね」
「あいつ?」
小首を傾げる瑛里華。
まだ他に人物がいることをすっかり忘れている。
「…あの堅物だよ」
「あ…」
そのヒントで瑛里華は、それが誰か、すぐに理解した。
「一行を現世へ転生させた直接の張本人。エルフの賢者フローネも、この世界のどこかに絶対いる筈だ」
******
「へっきし!」
往年のクシャミ芸の様な音を職員室へ鳴り響かせて、和歌月千夏は鼻を啜る。
「…誰か噂してますね?」
と、隣の席の傘塚香織教諭が声を掛ける。
「…ただの花粉症。薬、切れたかも」
そう言って和歌月千夏はイライラしながらティッシュで鼻を噛んだ。
普段は薬で抑えたり授業で声が通りにくくなるためマスクをすることはあまりないのだが、今日は授業のない土曜日。おまけに天気がよく花粉真っ盛りだったので、顔の半分を覆うほどのデカいマスクを掛けていた。…この時期は花粉症持ちにはかなりつらい。
花粉症持ちでない傘塚香織は、まんま他人事で「辛そうですねー」と呟いてとお茶を啜り、千夏をイラッとさせる。
今日、千夏を始めとする教員たちは来週の実力考査の準備に追われていた。
この四月の実力考査は多摩川高校が独自に実施するもので、基本は国英数社の四教科。
和歌月千夏は一年の社会史系の授業に、他の学年も請け負っているため、三学年分のテストを作成しなければならない。おまけにまだ学年主任としての学期始めの仕事も多数残っている。
おそらく、今日は夜まで学校に残り、日曜の明日も出勤しないと間に合わないかもしれない。…本格的な休みを取れるのはいつになるやら…。
そしてそれは、隣の傘塚香織教諭も同義であったが、彼女はまだ初任と言うことや他に英語関連の教諭がいたため、一年生だけのテストを作成するだけで済んでいた。今日、学校に来ているのは単に経験が浅いので、テスト作成に時間が掛かっていたためだ。マイペースと言うこともあるが。
そんな訳で、和歌月千夏は自分のテスト作成と学年主任の仕事の傍ら、傘塚香織の仕事も手伝う羽目になっており、花粉のひどさも重なって機嫌が悪かった。
「失礼します。入ってもよろしいでしょうか?」
と、凛とした声が職員室に響く。
千夏が入口を見ると、髪を短めのポニーテールでまとめた女生徒が綺麗にお辞儀していた。
「どうぞ~」
傘塚香織が声を掛ける。
するとその女生徒は軽く会釈し職員室に入ってきた。
「傘塚先生、仮入部のプリント持ってきました」
「はいはい。どもどもありがとう。 …あれ? 委員長さん、今日はどうしたの?」
「いえ。中学の時の剣道部の先輩から、見に来ないかって今日は誘われてるんです。元々入るつもなんで、一早く体験入部みたいな感じで参加させてもらおうかと思ってまして。次いでに仮入部のプリントも」
「そうなんだ~、偉いね~」
のほほん、と笑う傘塚香織。
一年三組の本来の担任が、家庭の都合によりまだ学校に来ていないため、傘塚香織が担任を務めているのだが、プリントの配布漏れや学校の周知事項を伝えることを忘れていたりと、かなり抜けが目立っていた。そのため、この女生徒のようなクラス委員や、他の教諭がフォローなどをしていたりしたのだが、それを理解しているのかしていないのか、相変わらずのマイペースな感じの傘塚香織に、女生徒は苦笑した。
千夏は無論、この女生徒とのことは知っている。一年三組の社会史も請け負っているからだ。そのため遠慮なく声を掛ける。
「…別に構わないんだけど。来週の実力考査の勉強は大丈夫なの?」
苦言…と言う訳ではないが、それに近いような感じで疑問を呈する。
一部大会が近い部活を除き、今日は基本生徒は休みなのである。いくら先輩から誘われているとはいえ、本音は試験勉強にいそしんで貰いたいのだが。
「…すいません。やっぱり先輩の誘いは断れなくて。でも帰ってから勉強しますし、明日はちゃんと勉強しますんで…」
「あらそう? …いや別に構わないんだからね?」
「…はい」
少し恐縮してしまった女生徒に、千夏は若干慌てて大丈夫だと言うことを伝える。
千夏は、自分が生徒たちに恐れられている、という自覚は多少あったが、こんな真面目そうな生徒にもそう思われているのは、…少し淋しい。別に恐怖政治をするつもりは毛頭ないのだ。
「そう言えば、なんであなた委員長なの?」
「はい?」
千夏は話題を逸らすつもりで、別の疑問を女生徒に尋ねる。
この学校では学級委員長という役職はない。近いのはクラス委員である。
「あ、それですか。中学の時のあだ名が委員長だったんですよ。まんま学級委員長やってたので。今もクラス委員なんで、同じ中学の子たちからまた同じように呼ばれてまして」
そう言って苦笑いする委員長。
至って普通のあだ名のつけられ方だったので、千夏は「そうなのね」とその話題に興味を失いかけるが、そのあだ名を別で聞いたことを、ふと思い出す。
はて? 他にどこかで聞いたような?
「…蘇我くんどうですか?」
その名に、ビクンと千夏の片眉が上がる。
「どうですかって?」
「いや、その真面目にやってるかなって。同じ中学なんです」
その問いに胃がぐるぐるする千夏。
彼は取り合えず、クラス委員としての仕事などは意外と真面目にこなしているのだが、あの女生徒と絡むと、途端にクラスに迷惑を掛けまくっている。……正直、何とも言えない。
「ま、同じ中学なら知ってるでしょ。多分、想像しているとおりよ」
「……やっぱり、相変わらず魔王の生まれ変わりとか言ってるんですか?」
「そうよ。おまけに今度は勇者が現れたわ」
そう言って、溜息を漏らす千夏。…あの二人を思い出すだけで胃に悪い。
「ゆ、勇者、ですか?」
と、その女生徒はなぜか動揺を見せる。
「……そ。勇者の生まれ変わりって言ってる女生徒。この二人、所構わずコントまがいに騒ぎ出すのよ。うるさいったらありゃしないのよね」
「お、女!?」
今度は視線まで泳ぐ女生徒。ハッキリと動揺している。
その挙動に千夏は疑問を抱く。
「どうしたの?」
「いえ、その…別になんでもないです」
そう言って俯く女生徒。…彼に何かあるのだろうか?
「あ、そうだ委員長さん。これ来週の掃除当番表、今度クラスに張っといてもらていい?」
傘塚香織が横やりの様にプリントを渡す。その女生徒は思わず受け取る。
「え? は、はい」
「お願いね~」
あくまでマイペースな香織に、千夏は釈然としない物を感じる。
彼女に何度も小言を言ってはいたが、まるで暖簾に腕押しの様にあまり通じない。またそれが、イライラする原因になっていた。
「傘塚先生、先生が生徒をあだ名で呼ぶのはあまり感心しないわよ。友達じゃないんだから」
そう言って自分も蘇我直人のことを、魔王魔王言っていることにすぐに気づき、こっそり棚に上げた。
「そうですかー、じゃあ…」
傘塚香織はニコリと微笑む。
「
「はい」
中学三年間、蘇我直人同じクラスの学級委員長を務めた女生徒。
言い換えれば勇者の転生者以前に、魔王の転生者と常に相対していた少女であった。
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