第18話
幸せそうな、蕩けそうな表情にこちらが驚く。何かアシェルが喜ぶようなことを言っただろうか。
「じゃあ、僕のこと嫌い?」
「それもない!」
噛みつくように声を上げた。
嫌いなんて一度も思ったことはない。甘えん坊で、手が掛かるなと思ったことはあっても嫌いとか鬱陶しいとか思ったことはない。
「ふふふ、嬉しいなあ。それって僕のこと好きってことでしょ?」
跪いていたアシェルが立ち上がって、再び目線が高くなる。
好きって……。そりゃあ好きだよ。当たり前じゃない。顔も声も仕草もずっと前から大好きだもの。グッズも持ってるし、スチルは全部集めたし、アシェルがメインのイベに課金してたし……。
本人を前にそんなことを考えているとだんだんと申し訳なく思ってきた。凄く気持ち悪いストーカーみたいなことをしている。土下座したい。
苦い顔をする私を見て、アシェルは畳み掛けるように話し出した。
「僕が嫌いじゃないって好きってことだよね? 違う?」
「違わ……ない」
「じゃあ何が問題なの? 僕のこと、"男として好き"なんだよね? ああ、嬉しいなあ。ティナからそんなこと言われるなんて」
男として好き……? そんなこと言った?
と思ったが、先程の会話を繋げれば結局その結論に達する。
男として見ている。つまり恋愛対象として見ている、そういうことを言いたいのだろう。
その上で好きって言ってるから、男として好きだと。なるほど、間違ってはない。
「確かにさっきのことを考えたらそうなるけど、」
「けど? 他になにかあるの。領主様はティナの婿にヘーメルを継がせたいらしいよ。聖霊が見えて、聖霊に愛されて、沢山の魔力を保持していて、ヘーメルを豊かにしたって実績もあるし領主様からの信頼もある」
"僕以外に誰を選ぶっていうの?"と言わんばかりの目で、アシェルが追い込むように一歩進んだ。
私は、何を躊躇してしまっているのだろう。アシェルの言うとおり、彼はとんでもない優良物件だ。なのに、未だに踏ん切りがつかないのは、胸にあるモヤモヤのせいなのか。
「……とは言っても、ティナが僕のこと嫌いだったりしたらまた別の策考えたよ。だけど、そうじゃない。僕のこと、好きでいてくれているんでしょ? だからフレシア様に嫉妬したんじゃないの?」
「ぇ……」
思わず声が漏れた。
嫉妬。私が、あの赤目の美少女に嫉妬?
へこんでしまった心がぽんっと元に戻った気がした。モヤモヤがすーっと霧散していく。
嫉妬、そうか。私は嫉妬していたのか。アシェルの隣に相応しい彼女に。
嫉妬してしまうほど、アシェルは私の中で大きな存在だったのか。推しとしてじゃなく好きだった……?
今さら気付くなんて。
感慨深くなって、確かにと静かに呟いて頷くとアシェルは驚いたように息を飲んだ。
「え、ティナ?」
「うん。言われてみればそうかも。私、嫉妬しちゃったんだね」
恐らく清々しいほどスッキリとした私の顔をアシェルがまじまじと見つめる。
しばらくして、私を見つめていた金色の瞳がどろりと溶けた。
そして勢いよく抱き締められる。
「ぐっ!?」
「ああ! 好き! 大好き! 嫉妬してくれていたなんてどうしよう。嬉しすぎるよ。ティナ、結婚しよう。絶対に幸せにする!」
アシェルが顔を私の首に埋めてぐりぐりする。それは懐かしい仕草で、私は守ってあげなければと思うのだ。彼の隣に居なければと思ってしまう。
「ティナ、お願い。僕と結婚して?」
私は、相変わらずこのお願いと涙に潤む瞳に弱い。
「うん。結婚、しようか。アシェル」
アシェルは私の推しだけど、でも、彼とあの森で出会っていなかったら、出会ったのがアルメリアの魔法学校だったら、私は多分アシェルを好きじゃなかったと思う。
いや、もちろん推しとしては最高だけれどそれだけな気がする。無口で無表情で冷たいアシェル。ヒロインにだけ優しいその姿は確かに私の萌えを刺激するが、ずっと一緒にいられるとは思えない。
結婚して、隣で歩んでいこうとは思わない。
ヒロインが別の誰かのルートで、アシェルが独り身だっだとしても、乱入してあわよくば恋仲にとかそこまで脳内お花畑でない。
だからきっと、私はすごく幸せ者だ。
ショタのアシェルを見れて、側で成長を感じられて。チートを売ってもお釣りが来る。
まずいなぁ。来世の運まで使っちゃってるかも。
「私、あんまり料理得意じゃないよ」
「うん、知ってる」
「ヘーメルの外に出たいと思ってるよ」
「僕が一緒で、結婚した後ならいい」
アシェルにぐいぐいと押されて、ベッドの縁に座ってしまった。
「僕、甘えん坊なのも寂しがりなのも変わってないよ」
「あ、自覚あったんだ」
「だってティナが言うから……」
「甘えん坊で寂しがりなんて今更だよ」
「本当にそのままだから。今は我慢してるだけであって、こんなもんじゃないから」
「はいはい」
クスクス笑うと両手首を捕まれてゆっくりとベッドの上に押し倒された。
……ん?
「本当は毎日一緒に寝ていたいし、貴族たちの機嫌をとってきたあとは頭撫でて貰いたいし」
「それくらいしてあげるよ。それより……」
「本当!? あとね、僕すごく独占欲強いみたい」
「う、うん。……あのさ、どいてくれない?」
私の上にのし掛かって嬉しそうに話すアシェルに思わず顔をひきつらせる。この体勢はなんだ。
「なんで? 夫婦なら当たり前のことをするだけだよ」
「このタイミングで!? おかしいよね!」
「跡継ぎ、早くほしくない?」
「いやいや! あ、そうだ! 私ね、アルメリアの魔法学校に行きたいんだ。ネージュと一緒に!」
咄嗟に叫ぶと足を撫でていたアシェルの動きがピタリと止まった。
「あー、その事ね。ネージュも言ってた」
「あれ、ネージュから聞いてたの? なんだ、隠さなくて良かったのね……」
脱力して肩の力が抜けるとさっと腰に手を回された。
「ちょ、話してるでしょ! 退いて!」
「むぅ……」
しぶしぶと頬を膨らませてアシェルが退く。
甘えん坊も大概にしないと危ないな。
「アルメリア行くのはいいけど」
「え、いいの!?」
承諾してくれるとは思ってもいなかったので喰いぎみに体を乗り出す。
アシェルは少し嫌そうな顔をした。
「ティナは行きたいんだよね?」
「うん。行きたい!」
「……はぁ。分かった。その代わり……」
アシェルは盛大にため息をついた後、人差し指を立ててくるりと空気を混ぜた。すると、ふわりと真っ白な紙が現れる。
一瞬例の本かと思ったがどうやら違うらしい。
「これに、血を垂らして」
「は? 血?」
「そう」
何の紙かと紙をよく見ようと手を伸ばせばアシェルにひょいっと避けられる。見たところ本当に白紙の紙だけど……。
「怪しい呪いとかじゃないよね?」
「ひどいなぁ。そんなことしないよ」
アシェルはにっこり笑って針を取り出した。
「血を一滴でもいいから」
じとーっと睨むがアシェルの微笑みは崩れない。しかし、これをしないとネージュとの約束は守れないし数年で頑張って貯めたお金が無駄になるのは惜しい。
「……分かった」
針で人差し指を刺せば、ぷっくりと赤い血が浮き上がる。アシェルが差し出した紙の上に落ちるように指を揺らすと落ちて、血は消えていく。
「あれ?」
「これはね、人によっては呪いかも」
「は!?」
アシェルは上手くいったと言わんばかりに笑みを深め、にやりと意地悪く笑う。こんな悪人面初めて見た……。
「良かった。ティナがネージュと勉強してなくて」
馬鹿にしてる?と言う暇もなく、アシェルが犬歯で指を噛んで血を出した。白い紙に血を垂らす。アシェルの血も消えていった。
「『我に宿りし民の血を、今汝に与えよう。我らの契りを結びたまえ』」
アシェルが呪文を唱えれば何もなかった白い紙からブワリと光が飛び出す。光が乱反射して眩しい。
目の辺りを腕で覆いながら様子を見ると、白い紙には金色に輝く魔法陣が浮かんでいた。
しばらくして光が消える。目がチカチカして何回か瞳を瞬かせた。
「な、なんなの……」
「これね、婚姻の契約書」
契約? 婚姻届みたいなもの?
首を捻っているとアシェルが嬉しそうに目を眇める。
「ただの契約じゃないよ。絶対に破棄できない、血を交わして誓った約束」
「血を交わして……? もし破ったら?」
「さあ? どうなるんだろうね? 分からない」
怯えた私を見てアシェルが黒く笑った。
そしてまた人差し指で空気を回し、紙を消す。
「これは僕が持ってるから。結局ティナは僕と結婚する他ないってこと。いいでしょ?」
「別にいいけど、血とかいらなくない? 怖いんだけど」
私がそう言ってもアシェルは笑うだけだった。
「だってアルメリアの魔法学校行くんでしょ。だったら絶対的な契約がないと。ティナを取られちゃったら元も子もないよ」
「私が浮気するって言いたいの?」
「そうは言ってないけど保険だよ。僕も行くけどね」
「ア、アシェルも行くの……?」
初めて知った……。
っていうことは、生で制服姿のアシェルを見れるってこと!? 魔法学校での文化祭で執事コスとか!? 待って、イベで取れなかったアシェルの衣装が軍服だったのよね……。
「僕が行くのはダメ?」
「いや、ごめん、嬉しくて……」
素直に言葉を紡げばアシェルがまた抱き着いてきた。体がまたベッドに沈みそうになるのを必死に堪える。腰がミシミシいってるって……。
「僕も嬉しい!」
「え? あぁ、ありがとう」
アシェルに抱き締められながらも軍服への期待は止まらない。気付かれないようにそっと鼻を押さえた。
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