第10話
白髪まじりの渋い中年――睦月の父親は、大谷
つれあいには早くに先立たれ、先代から受け継いだ剣道場をひとりで切盛りしているのだという。
居間に案内され一通り簡単な挨拶が終わったところで、台所に続く戸をガラリと足で開けて睦月が入って来た。
続けざまちゃぶ台に、でんっでんっと勢いよく湯呑茶碗が置かれる。
未だにたっぷんたっぷん波打っている緑茶を恐々と覗き込んでいると、盆を抱えたまま睦月が不機嫌を隠そうともせず真向かいにドカッと腰を下ろした。
「で? あんたらいったい何しに来たん――」
べちっ。
不満たらたらな睦月の声が終わらぬうちに響いた怪音。
「……」
ぽかんと見遣ると、「ってーな……」と叩かれた額を擦りながら睦月が恨めしそうに隣の父親を睨んでいた。
対して父親は、叩いたそのままのポーズで穏やかな微笑みを宿している。
「何てことを言うのだ、馬鹿者」
「だって別にコイツら友達でも何でも――」
べしっ。
自分らを指差しながら不服そうに声を張りあげかけたところ、今度は後頭部に綺麗に平手が入った。
呆気にとられる高校生二人の前で無理やり睦月の頭を下げさせ、自身も深々と頭を垂れる。
「度重なる失礼……本当に申し訳ない。早くに母親を亡くし男手一つで育ててきたので、このように粗野な成長を遂げてしまって。いや、お恥ずかしい」
「だああああ放せっ! 恥ずかしいのはオレだっつーの! その笑いやめろっ。鳥肌立つっ」
「なんと。おまえが笑えと言ったのではないか」
「営業用にだ! 誰かれ構わず微笑んでんじゃねえ、この節操なし!」
「なかなか評判は良いのだぞ? 特に子供らの母君たちには――」
「無自覚にタラしこんでんじゃねーかよっ! やめろっ! ぜってー問題になるぞ、それっ」
(あ、アレ? なんか想像してた親子関係と違う……?)
目の前で繰り広げられるコントのようなやり取りに、思わず拍子抜けしてしまう。
二人の息の合った掛け合い(感性はズレてるっぽいが)に洋海もくすくすと笑い出していた。
睦月にしても声を張り上げてはいるが、甘えきってじゃれて……親に悪態ついてる普通の子どもにしか見えない。
(でもそしたらあの痛々しい痣やら傷やらは、いったい……? 単に剣道の稽古とかで? ……いや、でも虚弱じゃそんなのも無理なんじゃ――)
眉をひそめてポリポリとこめかみを掻いていると。
抗争が一段落したらしい睦月の父親――柾貴がおもむろに自分たちに向き直り、正面から頭を下げてきた。
「こんな息子ですが、今後ともよろしくお願いします」
「――」
「あ、いえあの、はいっ。こちらこそっ」
……いや、もしかするとこちらの思惑に気付いて、そう見せかけようとしているだけかもしれない。
腹の中で静かに怒りが沸き立つのを自覚する。
洋海のように喜んで素直に応じる気にはなれなかった。
どんな事情があるにせよ平気で子どもに嘘つかせてるのに変わりはない。それも「性別」というとんでもない重大事で。
いけしゃあしゃあと「息子」と呼べてしまうあたりも、どうも癇に障る。
(やっぱりこのオヤジ、なんか信用できねえ……)
「わたしは仕事があるのでこれで失礼しますが、どうぞゆっくりしていってください」
「――それって本心ですか?」
立ち上がる父親を哲哉が低い声で引き止めた。
「睦月くんの友人として心から歓迎してくれてますか? 本当に?」
「ちょっと哲くん……?」
「アンタ、何言って――」
不安そうに袖を引いてくる洋海にも怪訝そうな睦月の声にも反応せず、黙して彼の応えを待つ。
「もちろん」
狼狽えるでもなく声を荒げるでもなく、柾貴はうなずいた。
まったく変わらない穏やかなままの表情に、ならどこから切り込んでやろうかと一瞬思案して哲哉もまた立ち上がる。
同じ目線で向かわなければ、と思った。
「今日ここに来るために担任に住所を聞きに行ったんですが、最初は『教えられない』の一点張りでした」
確かに何もできない
簡単に見下ろされて適当にやり込められて終わるつもりは毛頭ない。
「『保護者からの要望だから』と、先生方も理由は詳しく知らないようでしたが……」
ファン対策じゃないか?とすでに睦月のモテぶりを知っていたらしい担任教師は笑って話していた。
個人情報だから、と言えば聞こえはいいかもしれない。
少し神経質だと思われるだろうが、それだけだ。今時分納得できない話ではない。
――あの体の痣さえ見ていなければ。
「こうやって押し掛けられたら困ることでもあるんじゃないですか? 何か見られたらまずいことが」
黙ったまま見つめ返してくる柾貴に、さらに鋭い口調と視線で切り込む。
どんな反応をしてどう豹変するか見当もつかなかったが、もう引き下がるわけにはいかなかった。
「例えば、体の傷とか……痣とか」
「――!」
「えっ」
視界の端で睦月のほうがびくりと肩を震わせた。
痣のことは伏せていたため、洋海も純粋に驚きの声をあげる。
そんな二人に何の反応も示さず、ただ一人柾貴に真っ直ぐ向かう。挑むように。
「体が弱いと体育を休ませてるのも、見られて騒がれたら面倒だから――では?」
本来の性別を隠す、という目的ももちろんあるのだろうが。
武道家という職業を笠に着て、我が子を必要以上に痛めつけるような真似はしていないと本当に言えるのか。
一瞬も目を逸らさず哲哉は返事を待つ。
静まり返った空間に、流れる時間はとても長く感じられた。
「……なるほど」
長い沈黙を破って柾貴がそっと吐息した。
浮かべる表情は――――変わらず柔和な笑顔。
「――」
「どうやら二つほど、話をしなければならなくなったようだ」
微かに眉をひそめる哲哉を、あきらめというよりは安堵のため息を吐いて見つめてくる。
その前に……と柔らかな表情のままで、こわばった顔の睦月を見遣った。
「睦月。今日はここまでだと子等に伝えに行っててくれるか。そして、そのままおまえも着替えなさい」
「け、けど親父――」
「大丈夫。それにこのまま帰したのでは、彼がその足で警察に駆け込みかねない」
微かに笑いをこぼしながら優しく言い聞かせる父親の言葉に、それでも不安気に一瞬だけ哲哉を見返り、睦月は部屋を出て行った。
「桜井くんと言ったね。それから佐藤さん。まずは君たちに心から礼を言う」
「……」
「あの子のことを本気で心配してくれているのだね。ありがとう」
底知れぬ深い情愛と謝意のこもった端正な一礼に、思わず言葉を失う。
「そう。事情があって、睦月には体が弱いふりをさせている。幼少のころよりずっと」
「フリ…………じゃあ、どこも悪くはないんですね?」
心配げに問う洋海に優しくうなずき、元気すぎるくらいでね、と柾貴は続けた。
「ただ、理由は話せない。そして――――どうかこの話は君たち二人だけの内に留めおいてもらえないだろうか? できれば、他には今までどおり伏せておいてほしい」
穏やかな表情のまま笑みだけを消し去り、懇願を口にする。
「理由を明かせないまま頼みごとばかりして……虫のいい話だと思われるだろうが――」
「もともと、誰にも言うつもりはありませんでしたから」
「……ありがとう」
あくまで本心を述べただけの哲哉に、柾貴はこの上なく安堵したように口元をほころばせた。
どうやら人柄そのものも誤解していたらしい哲哉にとっては、真っ直ぐに感謝の気持ちを向けられるのがどうにも居心地悪く、ケホリと無駄に喉の調子をととのえる小芝居などを打ってしまった。
「え、ええと、じゃあもうひとつのお話とは……?」
本当は女だということを明かす気になったのだろうか?
それとも身体の痣の理由を? もし虐待ではないのだとしたら……。
そうだ、完全にすべての疑いが晴れたわけではない。
緩んだ気を引き締め直して、真っ直ぐに柾貴に向き合う。
「それは――――実際に見てもらったほうが早い。行きましょう」
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