G 2

「例えば会話文の中におまえの読めない漢字があったとする。そういうときおまえはこの人物はありえない言葉を話していると思うのか? 思わないだろう。単に自分の読めない字があると思うだけだ。なんと読むのか調べるだろう。U+305d U+308c U+3068 U+540c U+3058 U+3053 U+3068 U+3060 U+3002 」

 おれが間をおいておれを見た。おれは何も答えない。

「わかったか。表記の問題だ。おれは<それと同じことだ。>と言っただけだ。それがユニコードで表記された。ただそれだけのことだ。おまえにとってこれはただ読めない字があるのと同じことだ。元の音をなんらかの表記法で文字にした。その文字がどういう音に復元されるのかわからないという意味では読めない字と同じことだ。さわきけんすけがサワキケンスケになり澤木健祐になる。澤木健祐がU+6fa4 U+6728 U+5065 U+7950 になり、それに1を足してU+6fa5 U+6729 U+5066 U+7951 になりそれは澥朩偦祑になる。これは全部表記法の問題だ。同じ音をどのように表記するのか。おれとオレと俺がいて俺はオレでありおれは俺だ、といったようなことだ。おまえは話しながら文字になったものを読み、文字を目で追っているはずなのに音を聞いていると錯覚している。五月女とはコミュニケーションツールを使って文字でやりとりをした。ああいうケースでは最初から文字を読んでいるという意識で読んでいて音を聞いているという錯覚は生まれない。だからwみたいなものが書かれてもそのまま通り過ぎる。あのときおまえはwってどうやって発音するんだとは言わなかったし思いもしなかっただろう。もしあの場面でorehaみたいなものが出てきたら、単に日本語入力が機能していなくて全部ローマ字になっちまっただけだと思う。そして相手が書きなおさなくてもorehaはおれはであると理解する」


 おれは頭が痛くなってきた。この狂人もおれのありえたかもしれない可能性なのか。おれの想像をはるかに超えて狂ったおれを目の前にしておれは自分から取り出された腫瘍を無理矢理食わされているような気がした。


「おれたちが話しているのは言葉だ」

 一番狂ったおれが続ける。

「おれたちは言葉で会話をしている。そこには語彙の幅だ言い回しの妙だなんだと一応それなりの深みがある。しかしだ。言葉を文字にしたときに広がる世界を見ろ。ほとんど無限にも感じられるほどだ。おれはと言えばただおれはだが、それをoreha、オレは、おれわ、オレわ、かろば、U+304a U+308c U+306f などと表現できる」

「かろばは違うだろ」

「いや、音に対してそれを普通に文字化したものからユニコードを1つずらすというルールで文字にしたんだからこれだって立派な表記法と言える」

「そんなことを許したらほとんど何でもありの無法地帯になるぞ」

「そうさ。だからこそ世界が無限に広がるんだ。もっと面白いことをやってみせようか」

 もう嫌な予感しかしない。しかしそれを聞いてみたいと思わないのかと言われれば聞いてみたいんだ。おれはもうこの狂ったおれの術中にあるという気がした。

「男と女が重なった部分はなんだと思う?」

「なんだって? なぜ急にそんな話になる」

「男と女をそれぞれビット列にして論理積を取ると共通のビットが抽出できる。すると結果は儳だ」

 おれは目の前のおれが何を言い始めたのかいまいちわからなかった。

「わからんか。男はU+7537、女はU+5973だ。十六進数の7573は十進数なら30007、ビット列にすると0111 0101 0011 0111となる。同じように5973は22899であり0101 1001 0111 0011だ。この二つの論理積はビット列で両方1のところを1、それ以外を0にしたものだ。だから0101 0001 0011 0011になり、これは十進数の20787であり十六進数なら5133だ。これをユニコードU+5133とすると儳という字が現れる。どうだ」

「どうだと言われても困る」

「面白いだろう。論理和なら絷だ。論理和じゃなくて普通に加算したら캪になる。文字を演算しているんだ。単純な加減算だとあっという間にコードの範囲外へふっとんで該当する文字がないという結果になったりする。それは面白くないから論理演算のほうがいい。文字と文字を論理演算することで別の文字に変換する。すると言葉と言葉から別の言葉が生まれる。ユニコードに1を足すとかそんなレベルじゃなく面白い。男∨女みたいな意味のある計算ができるんだ」


 それが意味のある計算だということの意味がおれにはよくわからなかった。意味とはいったいなんだったかな。


「男と女を足すのはいにしえからの基本だ。凸を凹に入れるという話だ。それを表す言葉は交合とか性交とかそういうものがいろいろあるけれど、そんなものよりも絷だ。論理和だから性交中の男女の全部だ。男の部分と女の部分を結合部も含めて全部含んだものだから男∨女=絷だ。まぐわう男と女を男女の論理和で表せるんだぞ。結合部分だけなら論理積で男∧女=儳。すごいだろう。男女の交わった性器の部分だけを文字の論理積で表せるんだ」

「しかしそんな演算は文字コードが違えば違う結果になるわけだろう」

「エグザクトリー。おれがユニコードを選んだのはそこにもっともたくさんの文字があるからだ。そして気づいているか。おまえは会話文の中に発音できない文字が現れることをすでに許容した。そうだろう。おれが話している言葉にはどうやって発音しているかわからない文字がありはしないか。そもそも目下大注目の儳なんて、これはいったいなんていう字なんだ。おれにはわからないぞ。さっきあんなに違和感を訴えたのになぜ今は気にならない?」

 おれはまた答えに詰まった。


「それは暗黙の了解が新たな了解で上書きされたからだ」


 おれは目まいがした。漢字の男と漢字の女が論理式のセックスをする世界でおれはいったい何をしているんだろう。おれと目の前のおれは会話文を挟んで前後の関係なのだろうか。もしそうだとしてその位置関係はいったいどういうものだ。おれは自分の生きてきた世界自体が本のページの間に畳みこまれていくような気がした。


「言葉が世界を作るんだ」


 おれが言う。おれはおれともう一人のおれがその言葉を聞いたことを確認する。話しているおれが一人。聞いているおれが二人。聞いているおれは二人だっただろうか。途中一人になっていたような気もしたけれど今は二人いる。おれは食卓についている三人のおれのことを確認した。おれはここに三人いるのだろうか。それとももうすでに一つにまじりあってしまったのだろうか。

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