A4

 島崎が気にしているギターソロは後半に行くにつれてテンションが上がっていき、次第に調性から外れていくようになっている。これはジャズロックみたいな音楽によく見られる手法で、ディミニッシュスケールとかホールトーンとか、少し特殊な音階を駆使したものになっているわけだ。このギターを弾いたのはおれの仲間の五月女さおとめという男だけれど、五月女に指示を出したのはおれだ。意図はもちろんある。小学生にセックスの歌を歌わせるんだからだいぶ頭がおかしいわけで、それはもうギターソロでは正気が狂気になっていくことを表現したい。狂気はすぐそこに、幼女の処女膜の向こうにある。このギターソロがそれを踏み越えて狂気の世界へ突入し、ラストのサビでついに陰茎を受け止める淫喩にまみれた歌詞へとつながる。


 しかし伝わらないものを押し通してもろくな結果にはなるまい。島崎にわからないものはこのアイドルの客にもわからないだろう。だとしたらおれはそれをなおすことにあまり抵抗はない。おれのクリエイティビティなんてそんなものだということでもある。


 おれはコミュニケーションサービスのアプリケーションを起動して五月女にメッセージを送る。


 夜中にスマン。この前弾いてもらった曲あったろアイドルの。あれクライアントから連絡が来てギターソロの後半アウトしていくのやだって言われちまったんだよね。


 おれがアウトしろって言ったのに申し訳ないんだけどさ。


 もう少し普通の感じでソロだけ録りなおしてもらえる? 


 メッセージを送信すると送ったメッセージが固定される。相手がそれを見るとそれがこちらにもわかる。モニタの隅に表示されている時計を見るとすでに深夜と未明がクロスフェードしているあたりだった。世間は寝静まっているころだけれど五月女は起きているだろう。


 送ったメッセージを眺めていると開封済サインが表示されてすぐに相手がメッセージを入力しているという表示がされ始めた。そのまま画面上で動いている鉛筆みたいなサインを眺めて待つ。文字の入力はなんらかの端末なのに入力中のサインは鉛筆というあたりが不思議だ。データを保存するボタンはいまだにフロッピーディスクのマークで、今やこれを押す人の大半がフロッピーディスクなんて見たことがないのだからもはや意味不明だ。入力中の鉛筆サインもじきにそういう事態になるかもしれない。


 ほどなくして画面に五月女からのメッセージが表示された。


 やっぱりなwそんな気はしてた。


 バッキングはあれから変わってないよな? 


 ソロだけ録りなおして送るわ。明日中には送るよ。明日中ってのはだいたい今から24時間以内ぐらいの意味なw


 さすがにアイドルソングなのにあんなソロは攻めすぎなんじゃないかと思ってたよオレはwww


 ただ、あの曲はやっぱ二番のサビからギターソロを通ってラスサビに狂っていきたいから、音数だけ異様に増えるようにするわ。最後はもう80年代のスーパーギタリストみたいに恥ずかしいぐらいタッピングとかしまくってみるよww


 楽しみにしとけww


 五月女が連発するwは(笑)が変化したもので、たぶん笑うの頭文字のwだ。おれは好きじゃないからほとんど使わないけれど五月女は愛用している。ろくに金も出ない仕事なのに録りなおしについて五月女は文句ひとつ言わない。むしろ楽しんでやってくれている。なによりおれの意図ってものを五月女はよくわかっている。気持ちいいほどに打てば響くのだ。だからおれは五月女と一緒に音楽を作っているし、五月女も安いギャラでやってくれる。こういうやつらが本当に底辺のコンテンツを支えているのだ。


 五月女とおれは同じ録音システムを使っているからお互いにデータのやり取りだけで顔を合わせることもないままレコーディング作業を進められる。五月女とはもう長いこと一緒に音楽を作っているけれど、レコーディングの作業はいつもデータのやりとりだけで目の前で演奏するようなことはまずない。だいぶ前に一緒にバンドをやっていたけれど今はそれもなく、しょっちゅう一緒に音楽を作っているのに同時に音を出すアンサンブルはもう何年もしていない。こういう状況はコンピュータの進歩がもたらしたものだろう。


 五月女からの返答を読んで島崎への返信を書く。


 島崎様


 澤木です。

ご指摘いただいたギターソロの件、ギタリストとも確認取れましたので再録してお送りします。

週明けにはお渡しできると思いますので少々お待ちください。


 島崎への返信を送信するのとほとんど同時に新たな着信があった。受診トレイの一番上、最新の着信メールの件名タイトルは「一歩前を行くおれへ」となっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る