二日目夜・投票のお時間デス
『――それでは、投票のお時間デス。10分以内に投票先を決定してくだサイ。』
パネルから響く無機質な声が、投票時間の始まりを告げる。この後は、昨日決めた通りだ。全員が自分に投票して、「脱落者を出さない」ようにする。
何か手掛かりがつかめるまで同じことを繰り返すだけとわかっていても、場の雰囲気だけで妙な緊張感が漂う。俺は息を整えるように深呼吸をすると、右隣……未だに姿を現さない裕也の席をちらりと覗き見た。
「……各務は、どうしたんだ。」
左隣の少女――黒い長髪をポニーテールにまとめた、剣道部の
今までつるんできて、裕也が約束に遅れるなんてこと、一度もなかった。まして、こんな状況で回りを不安にさせるようなことはする奴じゃない。
「これ、ボイコットってヤツっす……? 」
「いや、そんなことしたって何の得も無ェだろ。」
俺の動揺を感じ取ったのか、茶髪に眼鏡の少女――
ここで避けるべきなのは、不安が伝播して誰かが無謀な行動に出ることだ。そうなれば、俺だけでは事態のコントロールができない。方針通りにゲームを進めるためにも、裕也の所在は早くはっきりさせなくてはならない。
投票の直前まで調査をしていた俺には、心当たりは一つしかなかった。
「百瀬、何か知らないか。」
「……さあね。トイレかなにかじゃない? 」
沈黙を守っていた、俺の正面に座る少女――
「それより、早く投票を進めた方がいいんじゃないか。僕たちが各務の方針通りにすれば、彼が少し遅れたって問題ないだろ? 」
どこか急かすような百瀬の言葉に、俺が食い下がるように口を開くと、不意に無機質な音声がそれを遮った。
『投票締め切りまで、残り5分デス。』
投票時間の半分が過ぎたことを告げるその音声に、柄本たち三人が慌てたように手元のパネルを操作する。つい睨むように百瀬を見ても、少女はどこ吹く風と、落ち着いてパネルを操作するだけだった。
……これ以上、百瀬に俺と言葉を交わすつもりは無いようだ。仕方なく、俺もまた自分への投票を選択する。
『――投票締め切りまで、残り1分デス。』
……無機質な声がそう告げる頃になって、裕也はようやく「投票室」に入ってきた。うつむいたまま、どこかふらついた足取りで。
「裕也、いったい今までどこに……!」
「いや、それよりも早く投票しろ、各務!」
俺と柄本がそう声をかけると、裕也はうつむいたままびくりと肩を震わせる。あまりに様子のおかしい裕也に、俺は今度こそ動揺を隠せなかった。
ふらふらと自分の席に着いた裕也は、しかしなぜかパネルをじっと見つめたまま、逡巡を続けている。
『投票締め切りまで、残り30秒。』
何度目かのアナウンスに、俺たちが再度裕也に声をかけようとした、その時だった。
「各務。」
百瀬が発したその声に、裕也が顔を上げる。百瀬はそのまま裕也の眼を見て、初めて笑顔を見せた。
「迷うことは、ないだろ? 」
――ぞっとするような、冷たい笑みだった。
『全員の投票を確認。開票を行いマス。』
パネルの表示が、ぱっ、と切り替わる。最初の日と同じく、俺の席から時計回りに票数が表示されていく。
『岬 治樹:1票』
『柄本 弓彦:1票』
『広井 智成:1票』
『百瀬 恭一:2票』
『太田 弘道:1票』
『各務 裕也:0票』
さぁっ、と血の気の引く音がした。
「か、各務、どういうことだ……? 」
「な、なんで!? いや、なんで!?」
全員に、動揺が広がる。裕也に問いを投げかける者、ただただ混乱する者。俺はと言えば、目の前の現実をまったく受け入れることができないまま、ただ茫然とパネルを見つめていた。
「ちが、わた……俺、は……。」
弱弱しくそう言う裕也の声に、俺が目線を向ける。ただただ当惑するばかりの俺を見て、裕也は一瞬心の底から辛そうな表情をしたように見えた。
そんな俺たちの様子を見て、ただ一人。くく、と、百瀬が喉を鳴らすように、心の底から愉快そうに、笑い声をあげる。
「アンタ、なに笑ってるッスか……?」
混乱したままの広井がそう問いかけると、百瀬は愉悦の表情を隠すことも無く、裕也の方へ向き直った。
「なにって、決まってるじゃない。」
ねぇ、ユウちゃん? と、百瀬が問いかける。これまでとは全く違う口調で、嘲るように。
「違う、違うの……私、私……!」
「はっきり言ってあげなさいよ。無能どもの為にキャプテンとして働くより、私の
冷たい笑みに唇を歪ませて、黒髪の女は言葉を投げかける。はっきりと嘲りを含むその言葉に、ようやく俺の思考回路が少しずつ正常に回り始める。他の連中は未だに混乱の中にいたが、俺は理解した。この蛇のような女が、裕也をなぜ呼び出したのか。裕也に何をしたのか。なぜ、裕也だったのか。
彼女こそが狼だ。このゲームの主導権を握るためだけに、羊を喰らった狼だ。
「おいで、ご褒美をあげるわ。」
狼の言葉に、裕也はまた、肩を震わせる。言葉では否定しながらも、彼女はまるで糸を握られた人形のように、一歩また一歩と狼のもとへ歩みを進めた。
ついに裕也が――ユウが百瀬のもとへ辿り着いたとき。百瀬はユウの腰に手をまわして引き寄せると、まるで当然の権利のように彼女の唇を奪った。
動揺と、恐怖とで震えていたユウの瞳が、氷を溶かすように蕩けていく。百瀬は腰に回したのとは反対の手でユウの明るい髪を数回撫でて、そのまま顎を、首筋を、そして確かに主張する胸を愛撫する。指先がユウの体にそっと触れる度、彼女はびくりと身を震わせて悦んだ。
やがて、少女たちの唇が離れると、ユウはその瞳を蕩かせたまま、耳までも赤く上気させたまま、くたりと脱力して百瀬にしなだれかかった。
「――わかったでしょ? こういうゲームだ、ってことが。」
突然に始まった濡れ場で、止まってしまっていた俺の思考が再度動き出す。同時に、先ほど引いていった血の気が、一気に頭へ昇っていくのを俺ははっきりと自覚していた。
「てめ、えッ!! 」
足元の椅子を蹴り飛ばし、俺は百瀬に向かって拳を振り上げて走り出した。重たい乳房に揺られて大きくバランスを崩すが、気迫で立て直して駆け抜ける。この女は、この蛇のような女だけは許せない。百瀬はと言えば、自らの首元に顔をうずめているユウの髪を撫でるばかりで、少しの焦りも見せることはない。
「歯ぁ、食いしば……ッ!? 」
『――プレイヤーの違反行動を確認。致傷可能性のある行動は禁止されていマス。』
ようやく拳が届こうという最後の一歩、その瞬間に、周囲のパネルから一斉に警告音が響きだす。と同時に、俺の体に突き刺すような激痛が走った。周囲からは、混乱しきったプレイヤーたちの声が、まるで遠くの音のように聞こえていた。
最初から気づくべきだったのか。「仕掛け人」が俺たちに首輪を嵌めていたことに。目の前の女が、当然それを予測していたことに。
後悔とも、屈辱とも、憤怒ともつかない感情が、俺の胸を埋め尽くす。
――だが、もう遅い。目の前の女の冷たい笑みを睨みつけながら、俺は意識を手放した。
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