文学少女のラブレター

シャルロット

1. 昼休みの図書館

 あの後ろ姿は間違えようがない。学校の図書館に向かう、高校生には似合わない小さな背丈。ゆるやかな風に彼女の長い髪がふわりと揺れる。右手には五冊の本。相変わらずの多読書家だ。僕は少し歩くペースを上げて、後ろからこっそり近付くと、頭のてっぺんをぽんと叩いた。


「うわっ」


渡来先輩はびくっと肩を一度震わせてから、怒った顔で振り向いた。


「あー、やっぱり俊介君だ。だからいつも言ってるじゃん、頭叩くと小さい背が余計に縮むって!」


「ごめんなさい、先輩。でもほら、先輩の背の高さが、ぽんってするのに丁度いいのが悪いんですよ」


「あー、またそうやってあたしをいじめるー」


本を持っていない方の手で、目に手を当てて泣いてるふりをした。まあこれは、いつもの挨拶みたいなものだから、僕は気にしない。すると先輩は僕の背中をべしっと叩いた。


「ちょっと、レディが泣いてるじゃん」


「自分のこと『レディ』なんて言ってる間は大丈夫です」


「……ばれたか」


いやバレるも何も、このやりとり何回目ですか、と思ったけれど言わなかった。これはこれで、僕も結構楽しいから。


「ねぇ、今日も図書館に?」


泣いてるふりにも飽きたらしく、先輩はいつもの笑顔に戻っていた。僕はそれほど背が高い訳じゃないけれど、何せ先輩の身長は150センチあるかどうか。どうしたって下から見上げられることになるし、場合によっては意図せず上目づかいを食らうことになる。可愛いんだよね、これが。身長が低い、綺麗で長い髪、明るくて聡明。僕の好みを全部足したような理想のタイプ。これで同い年ならすぐにでも告白するんだけどな、と僕は思う。


 でも渡来先輩は僕より一つ年上の二年生。たかが一歳だけど、年齢の壁が意外と大きく感じられる。そんな訳で、三日と開けず図書館を訪れるのは、もちろん読書が好きで、次から次へと本を読みあさっているのもあるけれど、同じく図書館の常連である渡来先輩に会いたい気持ちも少なくないのだ。


 もちろんそんなことは言えないので、僕は


「昨日借りた本、あっという間に読み終わったので」


と言いながら、手に持っていた文庫本を見せた。


「一冊ずつ借りないで一度にごっそり借りればいいのに。めんどくさくないの?」


先輩が自分の持ってる五冊を僕に見せながら言った。そりゃ先輩に会いに来る口実ですから、とも言えず……。


「あんまり手元にあると、読む本に迷うんで」


あまり答えにもならない返事で誤魔化した。先輩もそれ以上突っ込まなかったのでほっとした。


「先輩は本を返しに?」


「うん。全部読み終わったから。それとこの間の金曜日にやった選書会で入った新しい本があるからね」


そう言って本と本の間に挟んであった紙を取り出した。今日の朝配られた図書館便りだ。


 僕たちの高校では、図書館に入荷される本を“選書会”と呼ばれるイベントで決めることが多い。図書委員と数人の有志が駅前の書店に行って、読みたい本をどんどん籠に入れていく、という本好きには夢のような会だ。もちろん教育上良くない本は先生の検閲で除かれるけど、よほどのイヤらしい本や偏った宗教の本とかでない限り、大体の本は買ってもらえる。そして図書館に配架されるのだ。ま、予算の範囲内ではあるけれど。


「僕も見ましたよ。カモやんシリーズの最新刊も入ったみたいですね」


「俊介君も読んでるの?!あれ良いよね!主人公のカモやんが日常の謎を解くのも面白いけど、助手のヒロインとの微妙な関係が最高だよ。早くくっつけよー、って思うんだけどちっとも進展しないもんね」


「僕は王道らしく、推理を楽しんでます」


先輩が広げた新刊の表を僕も横からのぞきこんだ。文学のジャンルでは今人気の無川浩とか西川圭吾とかの本が多く入っている。数冊だけど文学以外の本もあって、『白クマの心理学』とか『古典入門』、『老後の対策いつやるか、今でしょ!』なんて本まである。


「高校生が老後の本を読むの?」


「図書館長の先生じゃないですか、そろそろ定年らしいですし」


「あの人はお金たくさん持ってそうだよ」


体型と貯蓄とは比例しないと思うんですけど。ていうか旅行ばっか行ってるらしいし、むしろ反比例な気もするんですが。でも先輩は特に気にしなかったようだった。図書館の自動ドアが開くと、毎回のことながら驚くほどの本がびっしり仕舞われた本棚が見えた。


 この学校の図書館は、その名の通り図書『館』と呼ぶに相応しい、校舎とは独立した建物だ。OBの人たちの寄付で建設されたもので、一階は公共の図書館の分館くらいはある蔵書が置かれている。そこに入りきらない本は閉架として、二階と地下とにある物置に大量に保管されている。それらは必要があるときは館長の先生か、司書さんにお願いして取ってきてもらうことになっている。百科事典の一揃いのように重たいものは、専用のエレベーターで運んでいる。地下にはホールと会議室があって、学校の講演会などが時々行われている。


 先輩は入ってすぐ左手にあるカウンターに走り寄ると、図書委員に本を返却していた。僕はそのカウンターの前に置かれた二つの大きな机の上に並べられた、新刊を眺めていた。明らかに表に書かれている冊数より少ないから、多分多くは借りられているのだろう。カモやんの新刊も無かった。


 来週は古典の小テストがあるし、苦手だから少し勉強しようかと思ってさっきの古典入門を探してみたがこれもない。すぐ傍に検索用のパソコンがあったので調べてみた。題名をクリックするとその本のページが出てきたけど、状態は貸し出し可能になっていた。一応『~歌集ごとに詠む和歌~』とサブタイトルまで入れてみたけれど、やっぱり誰かが借りているわけではないらしい。間違えて本棚の方に仕舞われてしまったのかもしれない。そう思って僕は探しに行った。本棚の側面に貼られた案内板を見ながら進むと、ちょうど探していた棚のところに知っている顔が見えた。僕はそこまで行くと、彼に声をかけた。


「涼太か」


「ああ、俊介か。よく来るね、昨日も見かけたよ」


「まあね。涼太は図書委員だっけ?」


「そうだよ。だからこうして本を所定の場所に戻しているってわけだ」


同じクラスの涼太は毎日四時間目が終わると、弁当を持って矢のように教室を飛び出していく。今は放課後だけど、いつでも熱心に委員会の仕事をしているらしい。涼太自身も無類の本好きだから、気持ちは分かる。それ以上仕事の邪魔をするのも悪いと思ったのでその場を離れた。するといきなり頭をぐっと押されて、僕は一瞬よろめいた。


「へへっ」


後ろを振り向くと悪戯っぽそうな渡来先輩の顔がすぐ近くにあった。その近さにちょっと驚いて僕は思わずのけぞった。先輩の長髪からシトラスの良い香りがした。


「さっきのお返しだよ」


わざわざ僕の耳元に近づいて小さな声でささやく。周りは静かに本を読んでいる人もいるから騒いではいけない。でも先輩……ちょっと近すぎです。ちょっと落ち着かなくて


「そういう女の子は嫌いです」


と意地を張って言うと、くるりと向きを変えて別のほうへ歩こうとした。でも僕の右手を先輩の細い指がぎゅっと掴んだ。


「ごめん」


予想以上に元気のない声だった。僕はもう一度先輩のほうを向く。それでも先輩は僕の腕を放そうとしなかった。


「ごめんなさい、ちょっと意地悪しました」


おどけてにこりと笑うと先輩の顔もようやく和らいだ。


「ところで先輩、僕になんか用ですか?」


「うん、実はこれなんだけどね」


先輩は僕の腕を掴んでいないほうの手で、持っていた紙を差し出して見せた。

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