透明な君にヨロシク
紺屋は昔から人には見えないもの、所謂霊というものが見えたり、不可思議な現象に巻き込まれることが多かった。
子どもの頃は、彼以外の目には何もない場所を指差して「アレは何?」などと尋ねていたために、変な子として扱われていた。理解者の得られなかった子供時代は紺屋の成長に大きな影響を与えた。全てのことへの諦めと、物事を達観するスルー力である。
現在は大学生であるが、他人を気にしないという態度は浮いており、学内では変なやつで通っていた。そんな中でも多様性に富んでいる大学という場で、数少ない友人と割と楽しく過ごしていた。
ある日、紺屋が河川敷沿いの歩道を歩いていると、後ろから「伏せろ!」という焦ったような声が聞こえた。すぐにそれに従ってしゃがんだ紺屋の上を、ボールが通過していく。そのボールの持ち主らしい河川敷で草野球をしていた学生らしき男が走り寄ってきて、「ごめんなさい!大丈夫でしたか?」と申し訳なさそうに言うのに笑顔で「大丈夫」と答えると、ボールの行き先を教えてやった。
球児が走り去ったあと、さて誰が教えてくれたのかと後ろを振り向くも、姿が見えない。
紺屋は「うーん」と唸るとそのまま視線を少し上へ向けた。
そこにはプカプカと空中に浮きながら足を組んでこちらに手を振っている、浴衣姿のくたびれた男がいた。
「お前のおかげで助かったわ。じゃあな」
紺屋は表情を変えず端的に礼を言うと、すぐに再び足を動かし始めた。
『待て待て待て、まあ待て、時に待て』
と、歩き続ける紺屋の前に、その男が回り込んでくる。
紺屋は悪くなった視界に足を止め、前を見据えたまま口を開いた。
「何だよ」
その声は呟かれるように小さい。何もないところで喋っていると、それはもう不審者以外の何者でもないからだ。紺屋は短い人生経験の中で学び、短くない期間で対応の仕方を覚えた。
その浮いている上に半透明な男は、再び紺屋の背後に回ると、その肩に手を置いて(感触はないからフリだ)楽しそうに口を開いた。
『俺もう1ヶ月もお前に憑いとったんやけど、やっと気づいてくれたなあ』
「1ヶ月も!!!?……はやく成仏しろよ。じゃあな」
『まてまてコンちゃん!ちょ、待てって!』
再び足を動かし始めた紺屋に、浮いている男は今度は肩を掴んだまま、なんとなく揉んでいるような動作付きで付いてくる。
『やっと気付いてくれたんやから、仲良うやっていこうや、な?』
「取り憑くな、迷惑。そもそも何でオレの名前知ってんだよ」
『春竹、ってのが呼んでたやん』
「ゼミの友達の名前……ということは大学まで付いて来てたなお前」
『1ヶ月憑いとった言うてるやん。お前の狭い交友関係は大体把握しとるし、本名も知ってんで』
紺屋が視線を横に流すように半透明の男の様子を伺う。その男はニヤニヤとしている。
ため息をついた紺屋は、その半透明の男を突き抜けるように再び歩き出す。その男は紺屋の横についた。
「本名バレんのはまずいって近見が言ってたなあ……」
呟いて横を見た紺屋に、その男は今度は人好きのする顔で笑ってみせた。
『悪用する気は無いで。というか悪用の仕方がわかんねえけど』
どうにも胡散臭い。
「オレだけバレてんのはフェアじゃないな。お前も名前教えろ」
『俺の名前?えーっと……えぇーっとぉ……』
「惚けてんじゃねぇぞお前」
『いやホンマに待って、え、俺、嘘やろ……出てけぇへん』
ジトッと睨みつける紺屋に、その男は慌てて両手を挙げて見せる。降参しているようだが、何に対してかは謎だ。
『あだ名なら、確か、チーフって呼ばれとった気がする』
「チーフって、なんだよそれ」
『自分で言うのも情けないけど、チーフ的な人間性ではないのよな』
快活に笑った紺屋は、その笑い声に見るからにホッとした表情をして見せたチーフに更に笑いがこみ上げた。
こんな人間じみた霊もいるのか。霊も元は人間だから当たり前だが、こんなに害を感じない霊は正直初めて見たのだ。
紺屋はチーフを見上げて口角を上げる。チーフは目を瞬かせている。何かに驚いているのかよくわからないが、まずは挨拶からだ。
「じゃあオレから出ていくまでよろしくな、チーフ」
『ああ、よろしくな、コンちゃん』
やはり人間じみた笑みを見せたチーフは、浮いても透けてもいなければ、そのままただの生きた人間のように見えたのだった。
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