第27話 ずっと宝物だよ

 初夏を迎え、僕の身体は今年もたくさんの若葉に覆われていた。

 時折吹く南風にそよぐ若葉は、サラサラと耳障りの良い音を立てて揺れていた。

 そして、僕の枝の部分には、沢山の小鳥たちがやってきて、賑やかに囀り声を立てていた。

 いつもの風景であるが、この風景もこれで見納めになると思うと、僕自身寂しいものがある。

 僕は、自分が切り倒されると分かった時から、この公園の風景をじっくりと自分の記憶に焼き付けていた。

 自分の中に寂しさがこみ上げてくればくるほど、記憶の中にしっかり焼き付けたいという思いが強まるばかりだった。


 そんなある日、ジャージ姿の子ども達が、先生らしき大人に引きつられ、ぞろぞろと列をなして公園の中を歩いていた。

 時々、前を歩く先生達が後ろを振り向き、大きな声で子ども達に注意喚起していた。


「はーい、ここは工事中だから足元を気をつけてね。今年はここではなく、もう少し先の野々山公園で写生をします。先生の後を、ちゃんと付いてきてね」


 近くの小学校の児童たちが、毎年恒例の写生会でやって来たようである。

 しかし、今年は公園の中がコンクリート張り替え工事のため大部分が立入できず、別な場所で写生するとのことであった。

 子ども達は、ぞろぞろと僕の傍を通り、この公園の先にある野々山公園に向かっていった。

 すると、一人の女の子が、突然、僕の手前で足を止めた。

 そして、手前に立てられた看板をじっと一心不乱に見つめていた。


「燐花、どうしたの?もうみんな、通り過ぎて行ったわよ。みんなと一緒に行かなくちゃダメじゃない?」

 先生らしき女性は、燐花という女の子の肩に手をかけた。

 確か、この燐花という子は、数年前にこの公園で行われた写生会で、僕のことを誰よりも時間をかけて描いていた記憶がある。

 あの頃に比べて背丈も大きくなり、顔つきも幼さが消えて、すっかり上級生のお姉さんという感じがした。


「先生、この看板…どういうことなの?」

「ああ、このケヤキの木は、倒れる可能性があるから、近寄らないでくださいって。どうやら、もうすぐ切り倒されるみたいだね」

「ええ?切り倒されるの、この木が?」

「うん。そう書いてあるわよ」

「……ウソ!」


 燐花は、身体が凍り付いたかのように、その場から動かなくなってしまった。


「燐花、何やってんの?皆、もう遠くに行っちゃったわよ。ここにずっといたら、描いてる時間も無くなるから、早く!」

「先生、先行ってて」

「はあ?な、何言ってんの?」

「だから、先に行ってて!」

「燐花!先生の言うことが聞けないの?」

「だって、もうこの木は切り倒されちゃうんでしょ?二度と会えなくなるんでしょ?」

「そうだけど、しょうがないじゃないの?去年の地震で、この公園も大きな被害を受けたんだもの。この木だってそうだよ。このまま放っておいたら、突然倒れてきて、通りすがりの人にぶつかってケガさせるかもしれないんだよ」

「だからと言って切り倒さなくたっていいじゃん!ねえ、私、この木を描きたい!もう会えなくなるんだったら、この木を描いて、お別れしたいの」

「燐花!ダメだよ。この公園はまだ地面がデコボコしていて危ないし、つまづいて燐花がケガしたらどうするのよ?」

「そんなの、私が気を付ければいいことでしょ?とにかく、私はここでこの木の絵を描くの!先生はあっち行ってて!」


 そう言うと燐花は先生に背中を向け、写生板に画用紙を載せ、僕の前に貼られたロープの手前に座ると、じっと僕の方を見つめ、鉛筆で僕の身体を描き始めた。


 やがて、公園の向こう側から数人の先生達が駆け寄ってきた。


「東条先生!どうしました?いつまでも来ないから、子ども達も心配してますよ」

「だって、燐花が……ここで絵を描くと言って動かないんだもの。このケヤキの木が切られるから、最後にどうしてもこの木を描きたいって」


 すると、先生達は燐花の方を振り向いた。

 燐花は、何も言わずひたすら僕の方を見続け、画用紙の上で筆を動かしていた。


「燐花ちゃん、気持ちは分かるんだけどさ、皆と一緒でやろうよ。ここに来る前にみんなで約束したよね?自分勝手な行動をしてはいけません、ってね。さ、みんな待ってるよ。戻ろうか」


 先生達は燐花のことを辛抱強く説得したが、燐花にはまったく応じる気配は無かった。

 その時、しびれを切らした男性の先生が、燐花の手から図画板を引き離すと、燐花の腕を掴み、僕の前から無理やり引っ張り出した。


「ちょ、ちょっと!何するのよ!まだ描いてるの。やめてよっ」

「さあ、行くんだ!これ以上のワガママは他のみんなの迷惑になるから、許さないからな!」

「私はここに居たいの!この木を描きたいのっ!離してっ!離してよ!」


 燐花は泣き叫び、男性の先生から腕を離そうとしたが、先生は力ずくで燐花の腕を引っ張り、引きずるかのように連れ出していった。

 燐花が抱えていた図画板や鉛筆、絵の具は地面にバラバラと散らばった。

 他の先生達は、何も言わずそれらを拾い、男性の先生と一緒に目的地に向かって歩き去っていった。

 燐花の泣き叫ぶ声だけが、僕から遠く離れてもひたすらずっと続いていた。

 燐花が僕を思ってくれる気持ちはとても嬉しかったし、先生達に対して、本人が描きたいんだから、描かせてやれよ!と叫びたい気持ちもあったけれど、生憎僕はケヤキの木であり、今回も何も言えず、何もできないままであった。


 数日後、早朝から真っ青な空が広がる下、公園の向こう側から母娘らしき二人組が、各所に置かれたカラーコーンを避けながら僕の方に近づいてきた。

 娘の方は、大きな写生板を背負っていた。

 僕の手前で止まると、娘は、僕の目の前に張られたロープの手前で足を止め、その場にしゃがみこんだ。

 娘の顔をよく見ると、先日、学校の写生会で先生の言うことを聞かずに僕の姿を描こうとしていた燐花だった。


「ねえ、燐花、この木を描きたいの?」


燐花の母親は燐花の隣にしゃがみ込むと、横から写生板を覗き込んだ。


「そうだよ。どうしてもこの木を描きたいの」

「大丈夫、その姿勢で描けるの?」

「うん。ここからこうやってこの木を見上げるのが好きなんだ」


 そう言うと、燐花は先日のように、じっと僕の全身を凝視し、やがて鉛筆を画用紙に走らせ始めた。

 よく見てみると、画用紙には、僕の姿がある程度ながら既に描かれていた。どうやら先日、先生に止められ中途半端になっていた絵を持ってきたようであった。


「私、こないだ先生に描くのを止められたのが悔しくって。だから、先生に隠れてこの絵だけこっそり持ち帰ってきたんだ。いつか絶対、全部描き上げてやろうと思ってね」


 そう言うと、燐花は鉛筆で描いた絵の上に、絵の具を付けた筆で少しずつなぞり始めた。

 淡白な白黒の絵は、段々と緑や青の瑞々しい色に覆われて行った。

 木の幹は太く、しっかりと、そして葉っぱや枝の細やかな所までびっしりと描かれていた。

 背景には、今日の空を思わせるような真っ青な紺碧の空がきれいに描かれ、僕の姿が堂々と浮かび上がっていた。


「すごい、燐花、まるでこの木がそのまま画用紙に写ってるみたい」

「てへへ。がんばっちゃったかな?」


 そう言うと、燐花は立ち上がり、僕に向かって、仕上げた絵を見せてくれた。

 作品を誇らしげに見せる燐花の顔は、満足感に満ちているように感じた。

 青い空をバックに、堂々と聳え立つ僕の姿……自分ではこれまで分からなかったが、傍から見ると僕はこういう風に見えているんだなと、この時初めて感じた。


「燐花、この絵は校内の絵画コンクールに出せないんでしょ?もったいないわね。こんなに綺麗に描けたのにね」

「うん。こないだの写生会で描いた絵しか出せないんだって。でもね、私、この絵をこれからずっと、ずーっと大事に、宝物にしていくから」


 そう言うと、燐花は僕の方へと一歩歩み出し、満面の笑顔を見せた。

「ケヤキさん、ありがとう」


 そう言うと、ロープ越しに僕の身体を片手でそっと撫でた。

 そして、母親の方に顔を向けると、写生板を抱え、「行こう、お母さん」とだけ言って公園を去っていった。

 ゆっくり撫でた燐花の手の感触が、僕の身体にいつまでもほのかに残っていた。

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