第426話 目覚め。滂沱の涙

 それもまた朝だった。新学期が始まる前々日の午前七時少し前。双魔は、いつもとは違う目覚めを迎えた。


 『ギャー――――――!!!!』


 「っ!?何だ!?」


 双魔は今まで聞いたことのないティルフィングの絶叫で飛び起きた。文字通り、覚醒とほとんど同時に上半身が起き上がり、自然とベッドから飛び降りた。


 ドタドタドタッ!


 二階の廊下を誰かがもの凄い足音を立ててこちらに走ってくる。恐らくは悲鳴の主……


 「そ、そそそそそそ、ソーマ!」

 「っと!朝から危ない!そんなに慌ててどうしたんだ?」


 部屋に飛び込み、そのままの勢いで突っ込んできたティルフィングをしっかりと抱き留めてやる。ティルフィングは何かに驚いているのか、怯えているのか、兎に角、身体をガタガタ震わせながら、双魔にひっしと抱きついてきた。


 「め、めめめめ!目が!」

 「目?誰の?」

 「と、隣の部屋だ……」

 「……隣、まさか……」


 双魔の隣の部屋には目を覚まさないとある遺物が安置してある。ティルフィングはそれのことを言っているのかもしれない。反応から見て、間違いない。ティルフィングはその遺物を苦手意識があるのだ


 (……確かに……この感じは……)


 ティルフィングの反応だけでなく、一応、感覚を研ぎ澄ましてみた。すると隣の部屋から剣気が感じられた。ティルフィングの言った通りのことが起きている。


 (…………ずっと眠り続けているもんだからてっきりあのまま目を覚まさないものだと……意識ふぁなくなる前の状況を鑑みるに……突然襲い掛かって来てもおかしくないな……警戒は必要だ)


 双魔は隣の部屋で眠っていた遺物の少女が意識を失う直前の光景を思い出す。


 彼女は、自ら死を望み、ティルフィングによって胸を貫かれようとした主を庇い、大きな傷を負った。つまり、彼女に手を掛けたのは双魔だ。その後、主は願いを聞き入れた双魔によって葬られ、彼女を託された。この経緯を、恐らく彼女は知らない。しかし、託されたからには向かい合わねばならない。寝起きの顔に思い切り冷水を掛けられたような気分だが、双魔はすぐに意識を切り替えた。


 「とりあえず、話してみよう。ティルフィング、俺以外に誰か呼んだか」

 「…………」


 ティルフィングはフルフルと首を横に振ったが、さっきの絶叫を聞けば、家の中にいる誰もが異変には気づいているはずだ。やはり、急がねばならない。


 「……嫌なのはわかるが……一緒に来てくれ。な?」

 「…………うむ」


 ティルフィングは少々長い沈黙の後、何とか頷いてくれた。が、なるべく顔は合わせたくないのか、双魔の背中にぴったりとくっついて、正面から見えないようにしていた。


 (……さて……)


 くっつき虫と化したティルフィングを背に、双魔は隣の部屋へと向かった。閉ざされていたはずのドアは開いていた。慌てたティルフィングが開けっ放しにしたのだろう。そっと部屋の中を覗き込む。


 「っ!」

 「…………」


 ティルフィングの言う通り彼女は目を覚ましていた。ティルフィングの話では目を開けただけのようだったが、今は身体を起してぼんやりと何もない宙を見つめていた。


 「……気づいていますわ。お姉様の契約者の魔術師さん、いらっしゃるのでしょう?」

 もう少し様子を見てみようと思ったのだが、気づかれていたようだ。こうなっては出ていくしかない、幸い敵意は感じない。

 「…………」

 「っ!っ!」

 「…………」

 「っ!」


 ティルフィングを見ると激しく首を横に振っていた。どうしても、顔を合わせたくないらしい。仕方ないので、キッチンにいるはずの鏡華たちに知らせてくるように階段の方を指さすと、そそくさと下に降りていった。


 「別に隠れてるつもりはなかったんだが…………」


 ティルフィングの背中が階段に消えていくのを確かめてから、双魔はゆっくりと部屋に入り、ベッドの傍に立った。手を伸ばせば互いに触れられる距離だが、やはり、敵意はないようだ。


 「……先ほど、意識が戻りましたの……記憶は……朧気ですけれど……ご主人様のお気遣いだと思います……大体のことは分かりますわ」

 レーヴァテインは視線を落とすと、ポツリポツリと話しはじめた。その声は固い。

 「……そうか」

 「貴方が消えゆく私を救ってくださったのでしょう?……ありがとうございます」

 「……ああ」


 双魔が目にしていたレーヴァテインはロキへの絶対的な忠誠心とティルフィングへの愛で激情に駆られている姿ばかりだった。今のように物静かで、理性的な様子は意外に感じた。もしかすると、これが本来の彼女の一側面なのかもしれない。


 「……ご主人様は…………お見罷りになられたのでしょう?」


 ティルフィングよりも大人びた、静かに燃える炎なような声が震えていた。タオルケットを強く握りしめる白い手には、透明な雫が落ちている。信じたくない気持ちと、それを事実だと理解している理性が相克しているのだろう。


 「……そうだ……俺が、彼女を葬った。それが……望みだった。お前さんに生きていて欲しいというのも、彼女が望んだ」

 「……そう……ですか…………ご主人様の悲願が遂げられたのなら……私も……本望ですの……」


 ポツポツと落ちていた雫が、大粒の雨のように降り注ぎ、か弱い手を濡らしていく。


 「…………俺は、何も見てないからな」


 双魔は踵を返し、一度部屋を出た。静かにドアを閉める。


 『……ぐすっ……うっ……ううっ……う……うあああああああああ!……ああああああああああ!ああああああああああぁ!……うわあぁぁぁぁぁ!!』


 やがて、悲痛な泣き声が春の穏やかな朝に響き渡る。


 「…………」


 双魔はドアに背中を預け、ロキが最後に浮かべた微笑みを思い浮かべていた。


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