第388話 不器用な貴方、可愛い貴方

 「…………そろそろか?」


 夕食を終え二時間ほど経った。双魔は自室の椅子に座って食休み中だ。そして、ボーっとしながら鏡華を待っていた。


 『ティルフィングはん、左文はん。お風呂空いたよ』

 『ティルフィングさん、先に入ってしまってください』

 『うむ!後で髪を乾かしてくれ!』


 下から声が聞こえてくる、如何やら鏡華が風呂から上がったらしい。もう少しすれば上がってくるはずだ。


 「もう少しか……」


 双魔は何となく落ち着かなくなって窓を開けた。微かに花の香りを乗せた春の夜風がふわりとカーテンを揺らした。空には月が煌々と輝いている。


 「………………」


 そのまま夜風に当たって心を静める。いざとなって緊張しているのがばれたら格好がつかない、ような気がする。別にそれで幻滅されることはないのは分かっているが決める時は決めたいという男の矜持が双魔にもある。


 トンッ、トンッ、トンッ、トンッ…………ガチャッ……バタンッ!


 しばらくすると階段を上がる音が聞こえ、隣の部屋に鏡華が戻ったのが分かった。


 しかし、ここで慌ててはいけない。そう自分に言い聞かせ、もう少しだけ夜風に当たる。


 「……ん、もういいか」


 五分ほど経って双魔はやっと腰を上げた。窓を閉じ、部屋を出て鏡華の部屋の前に立つ。


 「……」


 コンッコンッ


 「鏡華、俺だ入っていいか?」

 『双魔?うん、ええよー』


 部屋の中から鏡華の声が聞こえてくる。声だけ聴けば違和感は特にない。


 「ん、入るぞ」


 ドアノブに手を掛けて押す。鏡華は鏡台の前で髪を梳かしていた。風呂上がりの火照った身体を白い襦袢が包んでいる。少し目に入ったうなじは赤みを帯びていて双魔は少しドキリとしてしまったが、平静を装って部屋の中を見渡した。


 鏡華の部屋は余り物が多くない。実家から持ってきた桐箪笥、新しく買ったらしいベッド、それと畳が二枚敷かれ、その上にこちらも実家から持ち込んだ文机と鏡台が置かれている。それくらいだ。


 「少し待ってな?……これで……こうして……これでっと……うん……どしたん?双魔からうちの部屋に来るなんて珍しいやない?」


 鏡華は髪を一房に纏め右肩に掛けると振り返った。やはり、風呂上がりで普段は薄まっている色気が純度を増して双魔は思わずくらりとしてしまいそうになる。が、格好がつかないので耐えて、畳に座る鏡華の目の前に胡坐をかいて座った。


 「……単刀直入に聞くんだが……」

 「うん、なあに?」

 「……明日、暇か?」

 「明日?うん、暇やけど……何?何処か連れていってくれるん?」

 「ん、そうだな。暇なら……何処か行かないか?二人で……」

 「………」


 双魔に明日の予定を尋ねられた鏡華は冗談めかして笑って見せたが。双魔が肯定した途端ピタリと固まった。


 「鏡華?」

 「……え?その……それって……」

 「……ん、分かりやすく言うと俺は鏡華をデートに誘っているわけだ。こっちに来てから案内も出来なないからな。二人で出掛けたかったんだが……」

 「……ほ、ほほほっ……なんや……双魔に誘われるなんて初めやない?」

 「まあ、確かにこうやって誘うことはあまりなかったかもしれないが……どうだ?無理なら……」

 「行く!行くよ!」

 「おっ、おう……そうか」


 面食らっていた鏡華だったが、双魔が無理強いはしないと伝えようとすると食い気味にデートの誘いを了承した。


 「……行くけど、急に言われたら困るわ。朝からは無理やからお昼過ぎからでもええ?」

 「ん、そこは鏡華に合わせる……突然で悪いな……」

 「もう、嬉しいけど女の子には色々と準備があるんやから次からもっと早めに誘って欲しいわ!分かった?」

 「……ああ、すまん……」

 「分かったならええわ……ふふふっ!」


 申し訳なさそうに頬を掻いた双魔を見て鏡華は釣り上げていた眉をなだらかにして微笑んだ。


 「もしかして、うちのこと如何やって誘おうか、考えてた?」

 「?ああ、まあ、そうだが……」


 (なるほどな……ふふふっ!双魔は可愛い所あるんやから………ふふふっ!)


 夕食前の違和感がこんなに嬉しい形で返って来るとは思わなかった。鏡華の心はふわふわと雲の上にいるような夢見心地だ。


 「そしたら、夜更かしせんと早う寝なあかんね!楽しみにしてるよ!」

 「ん、それじゃあ、突然悪かったな。俺も風呂に入ったら早めに寝るよ」

 「うん、おやすみ」

 「ああ、おやすみ」


 互いに照れた笑みを交わすと双魔は鏡華の部屋を後にした。その足で下に向かう。


 双魔が去った部屋は鏡華だけになる。


 「……ふふふふふふっ!」


 自然と笑みがこぼれてしまう。あまり積極的ではない双魔が自分から誘ってくれたのだ。嬉しくないはずがない。思わず立ち上がるとくるりくるりと回転してしまう。鏡を覗き込むとここ最近では一番締まりのない笑みの自分が映っていた。


 「早う寝ないとなんて言うたけど……眠れないかもしれへんね……ふふふっ!」


 鏡華は桐箪笥の前に立つといそいそと抽斗ひきだしを開けた。好きな人により良い自分を見てもらいたい。そんな乙女の想いが夜を長引かせてゆくのだった。


 一方、誘った双魔も湯船に浸かりながら新しい思案に耽っていた。


 「さて……誘った手前、楽しんで欲しいし、何処に連れて行ったもんか……話を聞くのは最後でいいとして………うーん……」


 チャプチャプと湯船の水面を揺らしながら天井の換気扇を見つめる。このまま考え続けていると湯あたりしてしまいそうだ。


 「また、夜風に当たりながら考えるか………」


 ブツブツと呟きながら湯船から上がる。考え事は尽きない。次から次へとやって来る。


 鏡華と双魔、春の夜は長く長くなりそうだった。


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