第353話 闇に染まる

 「……ティルフィングはきっと幸せだった。が、運命は非情だった……」

 「…………そうね、ティルフィングがドヴァーリンとドゥリンに預けられてしばらく経った頃、ドゥリンは死んでしまった……事故だったわ。川で洗濯をしていたドゥリンは足を滑らせて川に落ちてしまった……泳ぐことの出来なかったドゥリンはそのまま息を引き取った……」


 フォルセティはそこで一度言葉を切った。ここから先は痛ましい話が続くばかりだ。それは双魔も分かっている。双魔は話を先に促すことなくフォルセティが再び話しはじめるのを待った。


 出来れば聞きたくない話だった。しかし、数秒経つと俯いていたフォルセティの視線が双魔に向けられた。話の続きをする心の準備ができたようだった。


 「一番悲しんだのは勿論最愛の妻を失ったドヴァーリンだったわ。ティルフィング……純粋だったからドゥリンの死を理解できなかった……只々不思議がっていたそうよ。でも、そのうちドゥリンがいなくなったことに気づいたティルフィングは泣き出してしまうようになった」

 「……それで、ドヴァーリンは後妻を娶った、か」

 「ええ、責任感の強いドヴァーリンは己よりもオーディーンの命を優先した。そして、何より悲しむティルフィングを見るのが辛かった……同じ小人のガルザという名の若い娘を娶った。ガルザはドゥリンと比べると勝気だったけど働き者だった。少し時間が掛かったけど、ティルフィングも段々と懐いていった……決定的な事件が起こったのはそんな時だったわ……」

 「そのガルザってのが……」

 「ええ、ティルフィングが闇に染まる原因を作ってしまった。当時、人間の世界には一人の強大な王が君臨していた。名前はスヴェフルラーメ。獰猛な気性と野心に溢れる王で戦争によって領地を拡大していた……ガルザは生活の糧を得るためにスヴェフルラーメのもとへドヴァーリンの作った剣を売りにいった……スヴェフルラーメは勇猛なだけでなく狡知にも長けた男だった」

 「……ガルザは言葉巧みに誘導され…………ティルフィングを渡してしまった」

 「…………そうね、運命の悪戯だと思うしかないわ。今は違うけれど、当時のティルフィングは眠るときに剣の姿に戻っていたの。人間の王に愚弄されて生来の負けん気が前に出てしまったガルザは眠っていたティルフィングをドヴァーリンに隠れて持ち出してスヴェフルラーメに渡してしまった。ティルフィングを手にしたスヴェフルラーメは切れ味を試すと言ってまずガルザを両断した。無垢な剣が初めて穢れた。あまりの切れ味にスヴェフルラーメはすぐさまティルフィングを佩刀にして戦争を始めた…………ドヴァーリンが異変に気づいた時にはティルフィングは既に万を超える人間の血を吸って殺戮の化身たる漆黒の剣となってしまっていた……やがてティルフィングはスヴェフルラーメさえも切り殺し怪物と化した……」

 「……ドヴァーリンは……ティルフィングを見て……何を思ったんだろうな?……」


 双魔の心中は真っ赤に焼かれた串を差し込まれたように痛んだ。フォルセティも同じだろう。我が子の変貌を目にしたドヴァーリンの心中は察するに余りある。それに責任感の強い彼のことだ。どうなるかは話の内容を知っていなくとも想像がつく。


 「……ドヴァーリンは涙を流して自らが打った刃を胸に突き立てて命を断った……オーディーンへ、妻への懺悔……そして、守ってやれなかった我が子への贖罪……父をも失ったティルフィングはそれを知ってか、それとも知らずか……近づく者を全て斬り殺す魔剣になってしまった……」


 ここまでフォルセティの話を聞きながら記憶の復元をしていた双魔にふと疑問が浮かんだ。ティルフィングの真の主たるオーディーンはこの事態を把握してはいなかったのだろうか。それが気になった。


 「……オーディーンはティルフィングの状況を察していなかったのか?オーディーンは神々の王にして知識の神でもある予言にも長けていたんじゃないのか?」

 「……その疑問は当然ね、理由は定かじゃないけどティルフィングについてはおじい様を以てしても何も予測できなかったらしいわ」

 「……真実の神たるアンタが定かじゃない……か……」

 「ええ……私もティルフィングについては知りえないことが多いわ……知っていそうな人は知っているけど……その話は後にしましょう」

 「……ん、分かった」


 ここまで話が途切れ途切れになることはあっても決して言葉を濁すことのなかったフォルセティが言い淀んだ。気になりはするが話す気はあるようなので双魔は追及をせず頷いた。


 「ティルフィングの惨状を初めに知ったのはミーミル翁だったわ。彼はすぐさまおじい様を呼び出すと現状を伝えた。それを聞いたおじい様もすぐにティルフィングのいる戦場へと向かった……そこには微かな面影を残し変貌を遂げたティルフィングが一人立っていた。土は血で変色し、腐乱した死体が異臭を放つ戦場、その中心に幾人もの死体がうずたかく積まれた小山の上に。美しかった白銀の髪が黒く、白かった肌が返り血で赤黒く染まった小さな怪物が両膝を抱えて蹲っていた」

 「……それを見てオーディーンはティルフィングの封印を決意した」

 「近づくおじい様に気づいたティルフィングは漆黒の魔剣へと姿を変えて襲い掛かってきた。相具してきたグングニルにティルフィングの相手を任せておじい様はティルフィングを封印する術式を組んだ。魔に染まったティルフィングの力は凄まじく、グングニルは片腕が吹き飛んだそうよ」

「っ!?いや、でもグングニルはそんなこと一言も……」

 「言わないでしょうね、きっとおじい様に他言を禁じられているんでしょう……腕は後から繋いだみたい。グングニルの奮闘もあってティルフィングは無事に封印を施されて妖精たちの住む光の世界アルヴヘイムに幽閉された。ティルフィングの材料となった黄金樹の根本の牢に……清浄なアルヴヘイムでティルフィングに染み込んだ負の感情を浄化させようとした……おじい様の目論見は八割くらい当たった。長い長い年月を経てティルフィングは殆んど産まれたときの無垢な少女の姿を取り戻した……でも血に染まった黒髪が綺麗な銀髪に戻ることはなかった……ここまでが、私、フォルセティとティルフィングが出会う前までの話……ふう、少し疲れたわ。お茶を飲みましょうか!双魔もどうぞ!」

 「……ん、それじゃあ、有難く…………」


 ティーカップを手に取るフォルセティを見て双魔も同じようにティーカップを手に取った。長く話を聞いていたはずにもかかわらず不思議と湯気が上がっている。花の香りが鼻腔をくすぐった。未知なれど既知、そんなフォルセティとティルフィング、双魔とティルフィングの話はまだ半分と言ったところだった。


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