第256話 傀儡姫は見た

 (たまには食堂でお昼でも食べようかしら?)


 授業後、イサベルは早歩きで魔術科棟の階段を下りていた。


 普段は梓織、アメリア、愛元と一緒に学園のカフェテリアや学園外で昼食を取ることが多いのだが、評議会の仕事がある日は購買でサンドウィッチと飲み物を買って評議会室で会議が始まる前に軽く済ませてしまうことが多いのだが、今日は何となくしっかりと食事を摂りたい気分だった。


 幸い、授業が早く終わったので時間にも余裕がある。


 余裕があると言ってもいつも通り早めに評議会室に行って諸々の準備をしておきたいので少し急いだ方がいい。


 階段を降り終えて、事務棟に続く長い通路を三分の一ほど進み、もう少しで食堂の入り口に向けて曲がる場所まで来た時だった。


 授業後のこの時間でも人通りが少ない通路を歩いている二つの人影が見えた。


 (っ!あれは……双魔君!)


 よく見なくともイサベルには分かる。


 二つある人影の内、背の高い方は愛しき双魔だった。


 ここ一週間は遺物科の議長の下で色々と用事をこなすことになったと連絡があり、ほとんど話せていない。


 イサベルは喜びのあまり、背に羽が生えたかのように身体が軽くなったように感じ、はしたないと思いながらも、我慢できずに走りだしそうになった。


 「っ!…………」


 が、双魔の隣を歩く人物を見るや、思わず傍にあった柱の陰に隠れてしまった。


 (双魔君の隣にいるのって…………)


 後ろ姿だが間違いない。長い若草色の髪を揺らして、双魔と話しながら歩いているのは昨年から遺物科の議長を続投しているロザリン=デヒティネ=キュクレインだ。


 この学園に多くの学生ありといえども若草の髪など二人としていない。それに加えて滅多に顔を出さない人物とはいえ、昨年も魔術科の評議役員であったイサベルはロザリンと面識があった。違えるはずがない。


 (べ、別に隠れなくても……普通に声を掛ければよかったんじゃ…………でも…………)


 何となく、話しかけにくい雰囲気があった。これはイサベルの僻目であったかもしれないが、兎も角、一度隠れてしまったが故にもう一度出ていく勇気が湧かない。


 仕方なく、柱の陰から少し顔を出してジーッと二人の後姿を見つめる。


 (……キュクレインさん……いいなぁ……私も双魔君とお話したいのに…………)


 双魔との仲が深まってからイサベルの心のたがは大分緩んでいた。


 いつでもどこでも双魔の傍にいたい。双魔との同じアパートに住んでいる鏡華が羨ましい。


 今、双魔の隣を歩いて二人きりでいるロザリンが羨ましい。


 そう思いつつも、他人を慮って行動に移せないのがイサベルの長所であり、短所でもあるという自覚が本人には乏しい。


 (……何を話してるのかしら……って詮索なんて双魔君に失礼だわ……それにしても……何かいい雰囲気に感じるのは気のせいかしら?……梓織にも言われるけど私って恋愛とかには疎いし……でもでも……っ!そう言えば…………)


 ふと、イサベルの脳裏に鏡華との会話が蘇った。


 『イサベルはんがどうやって落とされてしもたのか、うちは知らへんけど、きっとうちと同じようなもんやろし……このまま放っておいたら、きっと、もっと同じような子が増えると思うけど、双魔が余所見しようとうちのことも見てくれるんやったらそれでええの……ど?イサベルはんは、沢山の自分以外の女に愛されて、いちいちそれに応える男は嫌?』


 『大丈夫です…………私は、何があってもあの人が……双魔君が好きです』


 そう、双魔の婚約者である鏡華は達観と寛容を以って、双魔とイサベルの仲を認め、自分とイサベルが友人たること、そして自分と同じく寛容であることを望んだ。


 (……鏡華さんと約束したもの……もし、キュクレインさんと双魔君がその、うんそうなっても、私と同じ立場が増えるだけだし……違うは正直それはいいの……それより…………やっぱり羨ましいわ!)


 双魔への愛で脳が過熱状態に陥っていた。


 「っ!」


 そこで何と双魔が立ち止まり、こちらを振り向いた。


 残っていた理性を総動員させてイサベルは柱の陰に身を隠す。


 (あ、危なかったわ!)


 心臓がバクバクと激しく拍動している。双魔と一緒にいるときに感じる暖かく心地よいものではなく、何となく後ろめたい鼓動だ。


 「…………」


 心臓が落ち着きを取り戻したのを感じてから再びそっと柱の陰から顔を覗かせて通路を見ると双魔とロザリンの姿は消えていく。


 「……はーーー……私、何やってるのかしら?」

 イサベルは片手を柱につけて自分の不甲斐無さに思わず項垂れた。

 「イサベルはん?」

 「っ!誰っ!」


 その時だった、突然後ろから声を掛けられた。情緒が安定していないせいか勢いよく振り向いてしまう。自分がどんな顔をしているのかイサベルは分からなかった。


 「ほほほほ……こないなところでどうしたん?難しそうなお顔してはるけど……何やあったん?」


 そこには、遺物科の白い制服を身に纏い、長い黒髪に赤い花の髪飾りがよく似合った女子学生が柔和な笑みを浮かべて立っていた。


 「……鏡華さん!?」

 「よかったら、話聞くよ?せや、一緒にお昼でも食べる?」


 いつも通り、鏡華はいつも通りだった。そして、今のイサベルには世界で一番頼もしい人物であった。


 「……その、お願いします」

 「うん、そしたら行こか、カフェでええかな?」

 「……はい」


 心の中で感情が落ち着かないイサベルは表情を曇らせたまま頷くと、鏡華に並んでいく予定のなかったカフェテリアへと足を向けるのだった。


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