第210話 賢翁への来客
「………………」
炎の巨人が町から跡形もなく姿を消した後、ヴォーダンは椅子に腰掛けて暗い室内を眺めていた。
「……はい、はい、分かりました。指示は先ほどと変わらないとのことです。事情は後程お伝えします。各所と連携して火災の処理と倒壊しそうな建物の処分を。明日、明後日には王室を交えた会議を開き、そこで復興計画を立てますので…………はい、よろしくお願いします、それでは」
横では追加の指示を伝えたグングニルが受話器を置いたところだった。
「…………ご主人様」
そして、グングニルは何かを察知したのか素早くヴォーダンの傍に駆け寄った。ただ、姿勢よく立っているように見えるが、死角は何処にもなく、すぐさま動ける臨戦態勢だ。
「よいよい、そう構えるな……」
「……かしこまりました」
主に止められて幾分か穏やかな雰囲気になったグングニルだったがそれでも隙はない。
「…………来たか」
生真面目な契約遺物に苦笑を浮かべたヴォーダンそう言った瞬間だった。
来客用のソファーとテーブルの辺りの空間に黒い点が生じた。
そして、それは徐々に大きくなり、人が通れるほどの大きさになると拡張を止めた。
その黒い穴から、音もなく、ゆっくりと紅と蒼と金の派手で緩やかなローブに身を包み、黒い仮面を着けた者が姿を現す。その後ろからは蒼い長髪に白のドレスが良く似合った、
「………生きていたとはな」
ヴォーダンが淡々とした口調で仮面の君に語り掛けた。普段の好好爺然とした様子ではなく、見る者が見ればそれだけで卒倒するような冷徹な雰囲気を醸し出している。
「フフフフフッ……惚ける必要はないよ、知っていたんだろう?ねぇ、兄上?」
「………………」
そう呼ばれたヴォーダンは何も答えず、眼帯で覆われていない方の眼で静かに視線を送った。
それを気にしているのか、いないのかは分からないが仮面の君はソファーにゆっくりと腰を下ろした。
蒼い少女はその後ろに控え、ヴォーダン主従と同じような構図になった。
「…………何用か」
「冷たいじゃないか……まあ、いいか。ただ、挨拶をしに来たのさ」
表情を崩さず、固い声のままのヴォーダンに対して、仮面の君は親しみを失わず、何処までも朗らかな口調だ。
「……挨拶じゃと?」
「ああ。そろそろ、
「………………」
ヴォーダンは沈黙して話を聞く構えを取った。
「そもそも、私は”終末を遂げる者”だ。笛吹男が私を殺す運命だったけどそうはならなかった。あの戦いは運命なんて関係なかったのさ、きっとね。私は義理の甥を殺そうとしたのに死んだのはその娘だ。白銀の娘、高貴の具現の死に様は忘れられないよ!」
口元に笑みを浮かべて饒舌だった仮面の君の声がそこで少し低くなった。
「もちろん、その後のこともね……兄上に献上される剣だと言うから少し悪戯をしただなのに……まさか、この胸を貫かれるなんてね…………」
手袋に包まれた手を胸の、心の臓の上に当てて軽く摩る。
「偶然に、神々に最も愛された者の命を奪い、得られないはずだった”死”を得て、めでたく、私は終わるはずだった…………でもこのザマさ!結果として私は死ねなかった。あの呪われた剣の、世界で最も優れた剣の憤怒を受けてもさ!だから……私は今度こそ殺してもらうんだ」
「…………会ったのか?」
「ああ……さっきね。中々いい状態だったよ。呪いが引っ込んでいたみたいだからね。あの娘と一緒にいた時の輝きと切れ味を取り戻していた……今考えるとあの悪戯は余計なことだったかな?それと、あの少年、伏見双魔もいい感じだ。まさにあの娘と瓜二つだ!多少、混じり気はあるみたいだけど十分だ!今度こそ、私はあの少年とティルフィングに死を呈してもらう!それが目的さ!フフッ、フフフフフッ!」
興奮した様子の仮面の君は片を大きく揺らして笑い声を上げた。
ヴォーダンはその様子をなおも静かに見つめていた。
「……何を、するつもりか?」
問われた仮面の君は笑うのをやめて、座った時と同じようにゆっくりと立ち上がった。
「それはその時のお楽しみさ……兄上も招待する予定だからね。待っていてくれると嬉しいよ。それじゃあ、そろそろお暇しようかな」
仮面の君はヴォーダンに背を向けると再び空間に黒い歪みを作り出した。
その時だった。
「…………」
「ッ!」
ガッチャーン!パリンッ!ピシピシッ!
無言のまま、身体を一切動かさずにグングニルが剣気の槍を仮面の君目掛けて放った。
それを察知した、蒼い少女が瞬時に剣気による蒼炎の盾を作り出してそれを防ぐ。
二つの剣気の衝突に室内の空気は震え、幾つかの調度品は砕け散った。
「……グングニル」
「……レーヴァ、行くよ」
数瞬、遺物同士が睨み合ったが、それぞれの主の制止に従ってそれ以上の攻防はなかった。
そして、仮面の君は半歩黒い歪みに足を踏み入れたところで何かを思い出したかのようにヴォーダンの方へと振り向いた。
「そうそう、今回のムスペルは半分、私が唆したようなものだからね。双魔のことを褒めてやっておくれ。それでは兄上、御機嫌よう」
仮面の君は恭しく首を垂れると今度こそ空間の歪みに消えていった。
後を追う蒼い少女も一礼して歪みの中に消え、二人を吸い込んだ黒い歪みもやがて消えた。
「…………よろしかったのですか?」
グングニルが静かに訊ねた。
「うむ……お主にも分かったじゃろうが、あ奴自体の力は往時と比べてほとんど残っておらん。企みごと潰す方が良かろう。それよりも、あの蒼い少女の力はどうじゃった?儂は……初めて見る遺物だったが…………」
「はい、かなりのものかと…………少なくとも私に退けは取らないと思われます」
「…………ふむ……そうか…………」
ヴォーダンは目を閉じて顎に手をやると、髭を撫でて何かを考えるような仕草を見せたがすぐに止めた。
「いや……これは今考えることではないかのう…………それよりも…………」
椅子をくるりと窓の方に回してゆるりと立ち上がる。
窓の外では街の明かりの中で巨大な水の龍があちこちで上がった火を食い破って回っているのがよく見えた。
「今回の処理……それと、尽力してくれた皆へのご褒美について考えねばならないかの?フォッフォッフォ!」
ヴォーダンの笑い声がムスペルの巨人の消滅により夜が満たされた学園長室に響く。
その表情から、冷徹さは鳴りを潜めいつもの好好爺へと戻っていた。
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