第183話 冷笑と挑発

 一方、オーギュストは心中穏やかではない。荒れざるをえなかった。


 当てつけのつもりだったが相手が自分より上の手を出してきてしまった。これでは自分の面目が潰れただけだ。


 それに、花を贈られた時のイサベルの反応が自分の時と全く違って見えた。恥じらいを露にし、熱っぽい視線を伏見双魔に送ったのが気に喰わない。


 加えて悪いことに肝心のキリルの心も忌々しき伏見双魔の方に寄っていってしまっている。


 (…………このままではまずい……何か……何かないのか!?)


 オーギュストの心中はさながら天変地異が起こっているようなものだった。


 これまでの人生でここまで慌て、追い詰められたことなどなかった。自分はいつでも人より抜きんでた存在だったからだ。


 これらの経験から積み重ねられた慢心にオーギュストはさらに追い詰められた。


 最早、つい先ほどまで取り戻していた余裕など消え失せた。


 自然と背骨が曲がり、頭が前に倒れていく。


 再び沸き上がった炎が臓腑を炙りはじめる。気づくと、無意識に口が開いた。


 「……と……だ」

 「……オーギュスト君、どうしたのかね?」


 異変に気づいたキリルがオーギュストに声を掛けた。


 直後、オーギュストは勢い良く顔を上げて双魔を睨みつけた。


 「決闘だ!伏見双魔!私とイサベル殿を賭けて決闘をしろ!」


 突如、”決闘”と言う穏やかではない単語が出てきた。それを聞いたキリルは即座に立ち上がった。その表情は極めて厳しい。


 「オーギュスト君!本気か!?やめなさい!」


 これまで見せてきた穏やかさは一切、鳴りを潜め、そこに立っているのはまさに世界で有数の実力を持つ魔術師、キリル=イブン=ガビロールだった。威厳、風格に満ち、その一喝は室内の空気を震わせた。


 「っ!…………」


 余りの剣幕にイサベルは一瞬震えた。いつも優しい父のこんな姿を見るのは初めてだった。


 しかし、頭に血の昇ったオーギュストにキリルの忠告は届かない。


 「オーギュスト君!」

 「…………」


 二度目の呼びかけにも答えず、激情にかられ赤くなった顔で双魔を睨め着けたまま右手に嵌めた手袋を外す。


 「……………………」


 (や、やめてくださいって……言わなきゃ…………)


 イサベルも止めようと思うのだが凍ったように喉と口が動かない。


 咄嗟に双魔の方に目を向ける。


 双魔はいつものように気だるげにしている。その表情からは何を考えているのかは全く読み取られない。ただ、オーギュストの激しい視線を真正面から受け止めていた。


 視線の端に映った母は先ほどと同じように事態を静観しているようだった。


 「もう一度改めて言おう!伏見双魔!決闘だ!受けろ!」

 「オーギュスト君!やめるんだ!」


 キリルの再三の制止もかなわず、オーギュストは握った手袋を双魔の手元に投げつける。


 オーギュストの手を離れた純白の手袋はパサッと乾いた音を立てて双魔の右手を打つとそのまま床に落ちた。


 「…………」


 双魔は何も言わない。目の前の男は憤怒に顔を染めているが半ば勝手に怒っているようなものだ。まともに相手をすることもない。


 そもそも、ここまでキリルに止められているのに全くやめようとする気配はない。ガビロール家当主の不興を買えば目先のイサベルとの縁談の破棄に加えて将来が潰れるかもしれないとは考えられないのだろうか。


 決闘など百害あって一利なしだ。受けても受けなくても、勝っても負けても面倒なことになりそうな予感しかしない。


 (…………さてさて……どうするか…………)


 予想されるオーギュストの実力と己の実力を比べれば負ける要素は極僅かだ。それでも、オーギュストからの挑戦を受けるメリットがはっきり言って双魔にはない。


 イサベルがオーギュストと結婚するのを阻止するという目的は既に果たされたようなものなのだから。


 しかし、次の瞬間オーギュストの放った挑発が不覚にも双魔の癇に障る部分を正確に射貫いた。


 「どうした!?早く私の手袋を拾え!怖気づいたのか?……フハハ!やはり貴様のような腰の抜けた子供に教わるから学生がまともに魔術を修められないのだ!」


 気だるげにしていた双魔の雰囲気が豹変する。


 室内の温度が数度下がったかのように冷たくなり、空気がひりついた。


 「……どういうことだ?」


 双魔が訊ねるとオーギュストは冷笑を浮かべた。


 「なに、躾のなっていない駄犬が何匹か吠えたててきたのでね、少しわからせてやっただけさ……ハハハ、どこかの誰かの価値のない講義を受けていたからかな?実に大したことなかったよ。ハハハ!」

 「……アンタ、まさか」


 双魔の脳裏に昨夜のケルナーからの連絡がよぎった。


 生徒たちは打撲や骨折などの大怪我をしていたと言っていた。確証はないがガビロール一門の家系ということはゴーレム使役を行い自分より実力の劣る者たちを嬲った可能性は否めない。


 「…………?」

 「…………」


 二人の会話の意味を読み取れないキリルは怪訝な表情を浮かべ、イサベルは変わらず不安そうにしている。


 (…………やはり、こいつとガビロールがくっつくのは絶対に回避だな……面倒だが……こういう輩は叩き潰して分からせるしかないか)


 心中で決意を固めた双魔は身を屈めて床に落ちたオーギュストの手袋に手を伸ばした。


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