第180話 ガビロール宗家当主夫妻

 「…………」


 「…………」


 (…………もっと穏やかに進めたかった)


 「な、ななな!なんだってー!」


 双魔が心の中でぼやくのと同時にキリルが大声を上げた。


 ドアが開けっ放しで他の客に迷惑を掛けてはいけないと思い、双魔は後ろ手で扉を閉める。


 「べ、ベル!?ど、どういうことかな!?」


 キリルは想定外の事態にアタフタと立ち上がりかけたのを座りなおし、膝の上で組もうとした手をすぐ解くなどして慌てている。


 「キリル、落ち着いて…………」

 「う、うん……」


 それを隣に座った女性が穏やかな声を出して落ち着かせている。


 そうしながら女性はチラリと時計を確認した。


 「そこの貴方」

 「はい」


 そして、双魔の方を見ると少々険を帯びた声で呼び掛けてきた。ここで、動揺してしまうと後々響きそうなので双魔はなるべく自然に返事をする。


 「お見合い相手が来るまでまだ少し時間があるわ。とりあえず、お座りなさい、イサベルも」


 時間はギリギリと聞いていたがイサベルは随分と余裕を持って自分と待ち合わせたようだ。


「お心遣い感謝します、ほら、イサベル」


 双魔は自分の腕に抱き着いたまま固まっているイサベルもソファーに誘導し、女性の前に座らせると自分はキリルの前に腰掛けた。


 目の前の紳士は落ち着きを取り戻したようで、部屋に入ってきた時に見たようにゆったりと構えているが、驚きはまだ少し残っていた。


 (…………まあ、俺が話すしかないか…………)


 イサベルはまだこちらに戻ってきていないのでここは自分で先手を取るしかない。双魔は微笑みながら口を開いた。


 「先ほどご紹介に預かりました、伏見双魔と申します。お二人は……イサベルさんのご両親と言うことでよろしいでしょうか?」

 「う、うむ……ゴホンッ!如何にも私はキリル=イブン=ガビロール、ベル、イサベルの父だ」

 「やはり、貴方がキリル=イブン=ガビロール氏でしたか。ご高名はこの愚才の耳にも聞き及んでおります」

 「う、うむ…………そうか」

 双魔が頭を下げるとキリルは少しぎこちない返事を返した。

 「そちらのご婦人は……」

 「サラ=ガビロールよ、イサベルの母です。伏見さんと言ったかしら?よろしくね」


 名前はサラと言うらしいイサベルそっくりな女性は動じることなく口元に笑みを浮かべたまま双魔に自己紹介をした。


 「こちらこそよろしくお願いいたします」

 「ええ、それで?どういうことなのかしら?ああ、伏見さんはいいわ。娘の口からしっかりと聞きますから」


 サラは双魔の想定と違い突然娘のお見合いの場に現れて、娘が恋人だと宣言したどこの馬の骨かも分からない男に対して丁寧に接してくれた。


 先ほどからのやり取りを見るに、家庭内で主導権を握っているのはキリルではなくサラのようだ。


 「ベル」


 別に大声を出しているわけでもないのによく通る凛とした声で娘の名前を呼ぶ。


 「は、はい!お母様!」


 呼び掛けられたイサベルはしっかりこちらの世界に帰ってきた。正気を取り戻したのか目の渦巻きは消えて普段のイサベルに近い状態に戻っていた。


 「きちんと説明なさい」

 「そ、その前に……どうしてお母様もいるの?お父様だけって聞いていたんだけれど……」

 「あら、娘のお見合いに母親が同席しても何ら問題はないでしょう?まあ、最初はキリルだけの予定だったんだけれど……」


 そう言ってサラは隣に座るキリルの顔を見た。


 「な、何かな?」


 キリルは少し不安げな表情を浮かべた。それを見てサラはクスリと笑った。


 「この人だけだと頼りないでしょう?」

 「そ、そんなことないだろう!?ベル?」


 キリルは慌てた様子で背もたれから身体を起こすと縋るようにイサベルを見た。


 「…………」


 が、イサベルも苦笑いを浮かべるだけだ。


 それがショックだったのかキリルはしょげて両手の人差し指をツンツンと突き合わせはじめてしまった。


 「あらあら……まあ、いいわ。それで?これはどういうことなの?私はお見合いの付き添いをしに来たのよ?恋人を紹介されるなんて聞いていないわ?」

 「そ、その……電話が来た時に言おうと思ったんだけど……お父様がいつもと違って勢いが凄くて……それにもう日にちと場所まで決まってるっていうから言い出しにくくて…………」


 イサベルが申し訳なさそうに途切れ途切れに説明するのを聞いてサラはじろりと隣を見た。


 隣のキリルは「頼りない」と言われたことをまだ気にしているのか俯いたままだ。


 「キリル」

 「う、うん?何かな?」


 妻に静かながら鋭い声で名前を呼ばれたキリルは恐る恐るといった風に顔を上げた。


 「今の話、聞いていたわね?」

 「……だ、大体は……ね……」


 妻の問いに答えるその声は少し震えていた。この次にどうなるかなど誰にでも想像がつくだろう。


 「もう!どうして貴方はこう、そそっかしいの!?仕事に関すること以外まるで駄目じゃない!」


 ピシャリと叱られて身を縮こませたキリルだったが、そこで折れはしなかった。


 キッと少し弱弱しくも妻を睨み返す。


 「そこまで言わなくても……」

 「いいえ!私にプロポーズする時だって、両親に挨拶する時だって今回と同じようなものだったわ!」

 「……ごめんよ」


 物凄く痛い所をつかれたのか、僅かに示した妻への反意は一瞬でしぼんだ。


 「全く……伏見さん」


 サラの視線がこちらに飛んできた。気を抜くことなく構えていた双魔は真剣な表情で真正面から視線を受け止める。


 「なんでしょうか?」

 「貴方とイサベルの仲については一旦置いておくわ……安心なさい、奥手な娘が自分で選んだ人ですもの余程のことがない限り無碍には扱わないわ」


 その言葉を聞いて少し暗くなっていたイサベルの表情が明るくなった。


 「…………ありがとうございます」


 またややこしい事態に陥る切っ掛けが出来てしまった気がしたが双魔は微笑んで礼を言っておく。


 「問題は……この後来る手筈になっているお見合い相手にどう引き下がってもらうかね…………キリル」

 「……なんだい?」

 「もう怒らないから考えて頂戴。どうするの?」


 妻に頼られたことで気分が盛り返したのか、キリルはその表情に威厳を取り戻した。


 「うん……まあ、伏見君のことは一旦置いておいてだ」


 サラが言っていたことをわざわざ力強い声で言い直して、同時に双魔をギロリと睨んだ。


 「っ!…………」


 その迫力に双魔の腕には鳥肌が立った。


 (…………流石、大家の当主なだけあるな…………)


 キリル=イブン=ガビロールは世界トップレベルの魔術師であり、イスパニア王国ではその頂点に立つ人物だ。先ほどまでは頼りない雰囲気だったが切り替わったのか一変して実力に相応しい重圧を放っている。


 その中には愛娘が連れて来たどこぞの馬の骨に対する警戒心と言うか対抗心と言うか、諸々が入り混じった感情も加味しているのだが、双魔にはそれが分からなかった。


 「今から来るのはル=シャトリエ家、フランスのガビロール一門筆頭の家の嫡男だ……汚い話をすると立場的にこちらから話をなかったことには出来るが……彼はベルを痛く気に入ってしまったようでね……恐らく無理だろう…………それに時間もない」

 「そうね……もう来るんじゃないかしら?」


 (…………ん?今、”ル=シャトリエ”って言ったか?)


 双魔の脳裏に数日前に授業に乗り込んできた特権階級の生まれらしき高圧的で如何にもエリート意識の高い金髪の男が浮かんだ。


 「……まさかな」

 「双魔君?何か言った?」


 考えたことが口に出ていたのかイサベルが顔を覗き込んでくる。


 とりあえず、自分の意思が尊重して貰えたことに安心したのか顔色は今日会ってから一番良かった。


 「いや、何でもない?」

 「そう?」

 「ん」


 イサベルに気の抜けた返事を返していると、目の前でひそひそと話し合っていたキリルとサラの視線が双魔に向いた。


 「……?どうしましたか?」

 「伏見さん、貴方は何か良い案はないかしら?今から来る人には悪いけれど、はっきり言って彼は貴方とベルの道を阻む障害の一つととっても何ら問題はないわ。それを取り除く方法を、貴方は何か持ち合わせていないのかしら?」


 キリルではなくサラが淡々と試すような眼でそう言った。


 突然そんなことを言われてもこの手のことに経験のない双魔がポンポンと策を思いつくはずもない。


 下手に取り繕うと印象が悪くなってしまう可能性があるので、双魔は堂々と答えた。


 「”彼を知り己を知れば百戦殆からず”と中華では言いますが……私は今からこちらに来る方の人となりを知りませんので……事情を話して分かっていただく他にないかと」

 「…………妥当ね……兎も角、相手を待ちましょう。名前は確か、オーギュストさんと言ったかしら?」

 「うん、オーギュスト=ル=シャトリエ君だ」


 サラとキリルは双魔の答えに納得して頷いた。しかし、双魔はそんなことは全く気にならなかった。それよりも、聞き捨てならない名が二人の口から出た。


 (……オーギュスト=ル=シャトリエだと!?)


 確か、否、確実に、授業に乗り込んで来て生徒たちを侮辱した男は自ら”オーギュスト=ル=シャトリエ”と名乗っていた。


 その心根の歪んだ男がイサベルのことを狙っているとなれば一大事だ。


 眉間に深く皺が刻み込まれ、顔の筋肉が強張った。


 「…………ねえ……」


 そんな双魔にイサベルが声を掛け、肩に手を触れたその時、部屋の外で近づいてきていた足音が止まった。


 コンッ、コンッ、コンッ!


 扉が静かに三度ノックされる音に何も知らないイサベルと事態を悟った双魔の二人に緊張が走った。


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