第160話 川辺の双魔とティルフィング

 「…………暇だな」


 家を追い出された、と本人は思っていないが、兎も角ティルフィングを連れて家を出てから既に小一時間が経った。


 双魔はテムズ川の岸辺のベンチでぼんやりと川を眺めていた。


 その手には紙カップが握られ、蓋の小さな飲み口からは細々と湯気が出て冷たい空気の中をゆらゆらと舞っている。


 水上はアスファルトで舗装された地上より寒いのだろう。行き交う船の上では時たま鼻を赤くした水夫がこちらにまで聞こえてくるほど大きなくしゃみをしている。


 「はむっはむ…………むぐむぐ…………」


 双魔の横ではティルフィングが口の周りをクリームやチョコで汚しながら夢中でクレープを頬張っている。


 ここに来る途中で選挙の時に学園に来ていたクレープの屋台に遭遇し、ティルフィングのことを覚えていたお姉さんがサービスでくれたものだ。


 アイスにチョコソース、生クリーム、カスタードクリーム、バナナ、イチゴ、砕いたナッツがてんこ盛りの見るからに豪華なクレープでタダで貰うのは流石に忍びなく代金を払おうとしたのだが、お姉さんに押し切られてしまった。


 その上、双魔もホットコーヒーを貰ってしまった。


 ふと、「こんなに好きに食べさせていていいのだろうか」と双魔も思う時があるのだが、ティルフィングはそもそも人間ではない故、健康に気を配る必要はない。


 双魔が我慢しろと言えば我慢できるので特に問題はないと判断して好きなようにさせている。


 というのは単なる言い訳で単に幸せそうにしているティルフィングに癒されるので甘やかしているというのが本当のところだ。


 「…………?」


 川からティルフィングに目を移すと、双魔の視線に気づいたティルフィングが首を傾げる。


 「…………ほら、口の周りが汚れてるぞ?」


 そう言って屋台で貰ったナプキンを見せる。


 「む?……はぐっ…………むぐむぐ……ごくんっ!……ん!」


 残り三口くらいだったクレープを一口で食べきるとティルフィングは双魔に口を向けた。


 「ん…………」


 双魔はそれを見て苦笑しながらティルフィングの口を拭ってやる。


 「ん、綺麗になったな」

 「うむ!…………ソーマ、まだ帰れないのか?」

 「んー…………そうだな……お?」


 丁度、その時だった。ポケットの中のスマートフォンが振動する。取り出して明滅する画面を見ると電話を掛けてきたのは鏡華だった。画面をフリックして耳元に当てる。


 「もしもし?」

 『ああ、双魔?お話終わったから帰ってきてええよ。イサベルはんから改めて話があるらしいから聞いたって』


 電話の向こうから聞こえてきた鏡華の声は嫌に明るかった。


 「ん、分かった」

 『よろしゅうな、切るよー』

 そう言って通話は終わった。

 「…………」


 何となーく、双魔は面倒ごとの予感がして帰りたくなくなったのだが、鏡華を怒らせるのは厄介だし、何よりわざわざ家にまで来てくれたイサベルが待っている。


 双魔はこめかみをグリグリと刺激しながら立ち上がった。


 「…………はあー…………」


 ため息が白い息に変わり川の方に流れて消えていく。


 「む、ソーマ?」

 「ティルフィング、帰るぞ」

 「分かった!」


 ぴょんっとベンチから飛び降りたティルフィングは双魔の手を握って楽しそうに歩き出す。


 どんよりした双魔。楽し気なティルフィング。二人の歩調は何とも非対称で傍から見れば面白い見世物のようだった。


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