第155話 伏見宅の洗礼
無意識にため息が出た。「双魔は断らない」と昨日の自分や梓織は決めつけていたが、もし断られたらと思うと不安で仕方ない。
それに梓織が言っていた”立ちはだかる壁”や「何があっても諦めるな」と言う言葉が妙に引っかかる。
(…………梓織は何が言いたかったのかしら?)
頭の中をもやもやとさせながらも足は止まらない。気づけば目的の赤レンガのアパートが視界に姿を現した。
そのまま、歩き続け、五分もしないうちにアパートの玄関の前に到着してしまった。
双魔が住む寮は所謂”メゾネットタイプ”らしく、部屋は二階建てになっているらしい。
その証拠に二階に上がる階段は外にはなく、玄関の仕切りも一階にしかついていない。双魔の部屋は確か一番右端だったはずだ。
(つ、着いてしまったわ…………双魔くんの家に)
イサベルは緊張の余り、思わず玄関の前で立ち尽くしてしまった。ちらりと見たスマートフォンの画面のデジタル時計は十三時半の五分前を指し、お邪魔するには丁度いい時間だろう。
立ち尽くしたまま、周囲の音が聞こえなくなる。聞こえるのは自分の心臓の鼓動だけだ。
(っ!いっ、いけないわ!こ、ここで緊張なんかしていたら…………そ、双魔君にこ、ここ恋人の役を頼んだりできないもの!)
「ふーーーーーすーーー…………はーーーーーーすーーー…………はーーーーーー……」
二度ほど深呼吸をして心身のリラックスを図る。そして、成功。
イサベルは改めてアパートの玄関の扉と向き合った。
真剣な面持ちで一歩一歩をしっかりと踏みしめて段差を昇り、扉の前に立ち、ベルを鳴らした。
「はいはーい!」
扉の奥から女性の声と共にパタパタとこちらに近づいてくる足音が聞こえて来る。
やがて、扉の鍵が解かれ、ガチャリと音を立てて扉が開く。
「こんにちは!左文……さ…………ん?」
「あらぁ!話には聞いてたけど、偉い美人さんやねぇ!」
「…………え?」
イサベルの予想を裏切り、出迎えに来たのは面識のない赤い和服を纏った品のよさそうな黒髪の美少女だった。
赤と黒の和風美人が浮かべる嫋やかな笑みと放つ雰囲気にイサベルは完全に飲まれてしまった。次の言葉が出てこない。
それを知ってか知らずか出迎えた少女は話を進める。
「あんはんがイサベルはんでよろし?」
「は、はい!」
「さよか、うちは六道鏡華言います。以後よろしなぁ」
「り、六道さんですか…………よろしくお願いします…………」
「ほほほ、鏡華で構へんよ。あ、来ないなとこで話さないで中に入ろか、双魔はリビングで待っとるよ。そこで靴脱いで、コート預かるよ?貸して?」
「は、はい」
ポシェットとバスケットを一旦置いて、コートを渡すとサッとハンガーに通して、コート掛けに掛ける。
待たせては悪いとイサベルは靴を脱いで、きっちりと揃える。以前日本のマナーについての本を少し読んだのが役に立った。
板の間に上がるといつの間にかスリッパが用意してあったのでそれに履き替えて、ポシェットとバスケットを持ち直す。
「…………」
鏡華、そう名乗った少女は笑みを浮かべたまま、イサベルを待ってくれていたが、何処か見定められているような視線を感じて、イサベルは少し警戒してしまった。
「…………すいません、お待たせしました。お邪魔します」
「いえいえ、それじゃ、行こか」
鏡華のあとについて短い廊下を進み、突き当り手前のドアの中に入ると目的の人物、伏見双魔が姿を現した。
通されたのはテーブルやソファー、食卓やテレビのあるやや広めの部屋だった。リビングだろうか。
ソファーに腰掛けた双魔の膝の上にはいつか見た契約遺物の少女がちょこんと座っている。
「こ、こんにちは、伏見君」
「ん、わざわざ来てもらって悪いな、ガビロール。まあ座ってくれ」
双魔はティルフィングがどいてくれずに立てないのか申し訳なさそうな笑みを浮かべて自分の向かいのソファーを勧めた。
「し、失礼します…………?」
スカートが皺にならないよう気をつけてソファーに腰を掛け膝の上に持ってきたバスケットを置いて、前を見ると黒のワンピースを纏った双魔の膝上の少女と目が合った。
「…………」
じーっとイサベルのことを見つめ、やがて、視線はバスケットに移った。
遺物の少女、確か名前はティルフィングと言ったか、彼女は数瞬そうしていたが、ふいっと顔を逸らしてしまった。
「ティルフィング、挨拶は?」
双魔がくしゃくしゃとティルフィングの綺麗な髪を撫でてやると少女は再びこちらを向いた。
「…………」
じーっと、イサベルの顔を凝視する。
(わ、私が先に挨拶した方がいいのかしら……そうよね、うん)
「は、初めまして私、イサベル=イブン=ガビロールと言います。その、よろしくお願いします」
イサベルが自己紹介をするとティルフィングの表情はパッと何かを思い出したかのよう明るくなった。
「おお!思い出したぞ!お主、この間、土の竜を暴走させた魔術師だな!」
「うっ…………」
ティルフィングの無垢な言葉がイサベルの胸に深く、深く突き刺さった。
双魔に「あまり気にしないように」と励ましの言葉を掛けてもらってはいたのだが、実は年末の失態をイサベルはかなり気にしていたのだ。
「…………ティルフィング、挨拶」
双魔が気を使ってくれたのかティルフィングを諫めるように彼女の両頬を軽く手で挟んでムニムニと揉んだ。
「む、むむむ……ほうま!はにほふる……わはっは!…………むう、我が名はティルフィングだ!イサベルと言ったな、よろしく頼むぞ!」
「え、ええ!よろしくお願いします!」
微笑ましい双魔とティルフィングにイサベルの内心はいくらか穏やかになるのだった。
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