第152話 ティルフィング、はじめての羊羹
アパートに着いたのは丁度、午後の三時頃だった。
玄関のベルを鳴らすと、パタパタと足音が聞こえてきて、すぐに鍵が開けられた。
「ただいま」
「おかえりなさいませ。坊ちゃま、お勤めお疲れ様でした」
「んー」
双魔は出迎えてくれた左文にローブを預けると洗面所に向かう。
「ただいまだ!」
「はい、ティルフィングさんもおかえりなさい。おやつを用意してありますから、しっかり手を洗ってきてくださいね」
「おやつ!うむ!わかったぞ!」
「おっと……」
おやつと聞いて興奮したティルフィングが先を歩いていた双魔を追い抜かして洗面所に飛び込んでいった。
「やれやれ…………」
双魔が年寄臭い表情を浮かべている間にティルフィングが洗面所から出てきて、スキップしながらリビングへと入っていった。
「さてさて」
洗面所に入ると右手に嵌めて聖呪印を隠している手袋を外してポケットに突っ込む。ついでにきっちりと止めていたワイシャツの第一ボタンを外して首元を緩める。
それから、手を洗う。風邪を引いてこじらせると面倒なので、爪の間や手首もしっかりと洗い、畳んで積んであった綺麗なタオルで手を拭うと、そのタオルを洗濯籠に放り込んで、首を回しながらリビングに向かった。
「おかえり、お仕事お疲れさま」
「ん、ただいま」
食卓の椅子に座って何やら本を読んでいた鏡華が顔を上げて微笑んだ。
「ほほほ、なんや今のやり取りは良かったね……照れてまうわ」
「…………」
鏡華がからかい半分に言ってきたのを双魔は視線を逸らしてやり過ごす。
左文の言っていた通り、おやつの時間だったのか机の上には何処から仕入れてきたのか、切り分けられていない栗羊羹と芋羊羹が一本ずつ、取り皿と小さなナイフと一緒に置いてあった。
ティルフィングがそれを興味深げに身を乗り出して見つめている。
「…………」
浄玻璃鏡はソファーに腰掛けて普段通り眼を閉じて仏像のようになっていた。
「玻璃は、歓迎会について何か言ってたか?ティルフィングは随分楽しかったみたいだが…………」
「うん、面白かった言うてたよ。ただ……話すのはあまり得意やないからね。疲れたみたい」
「そうか……」
「…………」
「ん?なんだ?」
浄玻璃鏡の方をちらりと見ながら鏡華の向かいの椅子に座る。視線を前に戻すと鏡華が双魔の顔をジッと覗き込んできた。
「双魔、少し疲れてる?後で肩揉む?」
「…………ん、じゃあ後でな」
「そ、任しとき……ふふふ」
別段、肩回りが張っているような仕草を見せたわけでもなく、自分でも少しだけ張っている気がしただけだったのだが、鏡華には分かったらしい。
洞察力では鏡華には敵わない。
「ソーマ、ソーマ」
「ん?」
隣に座ったティルフィングにシャツの裾を引っ張られたので顔を向けると食卓に置かれた羊羹を指差していた。
「これはなんだ?」
「ああ、羊羹は初めてか」
「ヨーカン?」
「餡子を寒天で固めたお菓子や、黄色い方はサツマイモ、甘くて美味しいよ?」
「おお、そうなのか!アンコもサツマイモも食べたことがあるぞ!とても美味だった」
「あらぁ、そしたら左文はんが来るまでもう少し待ってな?」
「うむ!」
ティルフィングの疑問に自然と鏡華が答える。ティルフィングもそれを楽しそうに聞いている。
最初は鏡華のことが苦手だと言っていたティルフィングだったが大分打ち解けたようで改めて安心した。
「…………ふー」
一息つきながら椅子の背もたれに身体を預けたところで左文が湯呑と急須を乗せたお盆を持って台所から出てきた。
「お待たせしました、鏡華様、羊羹を切っていただいてもよろしいですか?」
「はいはい、双魔は普通のとお芋のどっち?」
「ん、俺は芋だな」
「お芋ね…………はい」
「ん、ありがとさん」
鏡華は芋羊羹を少し薄めに二切れ切ると皿に載せて双魔の前に差し出した。
「ティルフィングはんは……」
「どっちもだ!」
「はいはい」
鏡華は年の離れた妹の世話をする姉のように眉を少し困ったように曲げつつ、口元には笑みを浮かべて羊羹にナイフを入れた。
「はい、どうぞ」
「うむ!かたじけない!」
双魔の羊羹より分厚く切った羊羹を皿に載せてティルフィングの前に置いた。
「左文はんは?」
「私は結構です。後で頂きますので。それよりお茶をどうぞ」
「ん、ありがとさん」
「あら、おおきに」
「いえいえ」
左文は鏡華が羊羹を切っている間にお茶を注いでいた湯呑を双魔たちの前に置いていく。
「浄玻璃鏡さんは……」
「ああ、玻璃のことは放っておいてええよ」
「そうですか、かしこまりました」
「ソーマ、もう食べてもよいか?」
待ちきれなくなったのかティルフィングが子犬のような目つきで双魔を見上げてきた。
「ん、いいぞ」
「うむ!それでは、いただきますだ」
「はい、どうぞ召し上がれ」
「まずはアンコの方からだな…………はむっ…………んーーーーー!」
普通の羊羹を口にした次の瞬間、ティルフィングは恍惚のうなり声を上げた。どうやら羊羹も気に入ったらしい。
身体をゆっくりと揺らして羊羹の味を楽しんでいるティルフィングを横目に双魔も芋羊羹を小さく切って口に放り込んだ。
もったりととした食感と優しい甘味が口に広がる。
(うん…………美味い)
そのまま、リビングには穏やかな時間が流れた。
「ん、そうだ」
そして、しばらく経った頃、双魔が何かを思い出したかのように声を上げた。
「双魔、どしたん?」
「ああ、日曜にちょっと人が来るんだが…………午前と午後どっちがいい?」
「お客様ですか?」
「ん、ガビロールが何か相談事があるとかでな…………」
「あら、ガビロール様が…………」
左文はイサベルと面識があるがこちらに来たばかりの鏡華はイサベルとあったことがないためか、話に付いて来れていない。手元で菓子楊枝を弄んでいる。
「その、ガビロールはんってどんな人?」
「ん、一応、俺の友人ってことになるのか?あとは、魔術科でたまに講義に出てるクラスの生徒ってところだな」
「そ」
「お綺麗で真面目な方ですよ……坊ちゃまが倒れた時にもわざわざお見舞いに来てくださいましたし…………」
左文のその言葉で、鏡華の目つきが少し変わった。それまではそこまで興味がなさそうにしていたのに、突然目を輝かせて身を乗り出した。
「何?その人、女の子なん?」
「あ、ああ…………イサベル=イブン=ガビロール……俺と同い年で今期から魔術科の副議長をやるらしいが…………」
珍しく話題に喰いついてきた鏡華に驚いて双魔は身を引いてしまった。
「そ…………ほほほ、なんや面白そうな予感がするわぁ……うちもいてええの?」
「ん……丁度いいから紹介しようとは思ってた……あと、俺じゃ聞いてやれなくても女同士、鏡華が聞いてやれることもあると思ってな……」
「うんうん!それがいいわ!フフフ……なんや楽しみになってきたわぁ」
(ふふふ……双魔はどう思ってるか知らんけど……女がわざわざ相談に乗って欲しいなんて裏があるに決まってるわ…………ふふふふ、どんな子やろ)
「…………」
「…………」
何が引き金になったのかいきなり上機嫌になった鏡華に双魔と左文は顔を見合わせて首を傾げる他なかった。
「ヨーカン!お代わりだ!」
「ふふふ……ふふふふふふ…………」
リビングにはティルフィングの元気な声と鏡華少し気味の悪い笑い声が奇妙な旋律を奏でるのだった。
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