第136話 押しかけ女房?

 店を出た双魔は来た時よりも軽い足取りで帰路に着いていた。


 セオドアに話を聞いてもらって気分も落ち着いたのか、身体もいつも通りと言わないまでも、そこそこ動く。


 まだ明るいとはいえそろそろ込み合ってくる時間帯だ。通り沿いを避けて人の少ない路地を選んで左文とティルフィングの待つアパートに向かう。


 十五分ほど歩くと久しぶりのアパートが姿を現した。ここまで歩いてすっかり気分が良くなっていた。


 疲れも大分取れている気がする。身体の疲れだけではなく予想外のことに対しての気疲れも大きかったのだろうか。


 それと、不思議なことにティルフィングと契約してから身体が丈夫になった気がする。


 すっかり軽くなった足取りで玄関前の段差を飛び越えて、扉の前に着地するとベルを鳴らした。


 少し間を開けて扉の奥からパタパタとこちらに向かってくる足音が聞こえてくる。


 そして、カチャリという小さな音が二回して扉の鍵が開いた。


 「ただいま…………っ!?」


 双魔は何の気なしに普段通り扉を開けた。のだが、次の瞬間、驚愕に身を固めた。


 「おかえり!遅かったねぇ、どこか寄ってきたん?」


 玄関で双魔を出迎えたのは左文ではなく…………白い制服に身を包み、頭に曼殊沙華の髪飾りをつけた黒髪の美少女、すなわち鏡華だった。


 「…………どうしてうちにいるんだ?」

 「ちゃやろ?うちが”おかえり”言うてるんやから、双魔は?」

 「あ、ああ……ただいま」

 「はい、おかえりなさい!フフフ……ええわぁ、これ。幸せ!」


 一瞬、むすっとした表情を浮かべた鏡華だったが、コロッと満面の笑みに変わった。


 「詳しい話はお部屋でするさかい、とりあえず手洗ってリビングに来て」


 そう言うと鏡華は双魔の返事を聞く前にパタパタと見るからに機嫌のよさそうな足取りで奥へと入っていってしまった。


 「…………何がどうなってるんだか……な?」


 置いてけぼりの双魔はいまいち事情が読めなかったが、仕方ないのでローブを脱いでコート掛けに掛けると言われた通り洗面所に向かった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「……ただいま」

 「ソーマ!おかえりだっ!」

 「おっと!」


 手洗いとうがいを済ませてリビングの扉を開けるとすぐにティルフィングが飛び込んできた。流石に慣れてきたのでしっかりと受け止めて、くしゃくしゃと髪を撫でてやる。


 「ん、ただいま。いい子にしてたか?」

 「むふー!もちろんだ!」 


 ティルフィングも負けじと双魔の胸と腹の中間あたりに顔をこすりつけてくる。


 「あらあら、仲良しさんやねぇ」


 そして、いつもは左文がキッチンから出てくるのだが、今日はワンステップ多い。


 ソファーには鏡華が優雅に腰掛けていた。隣に同じようにして浄玻璃鏡が目を閉じて座っている。


 「坊ちゃま、お帰りなさいませ」


 遅れてキッチンから左文が出てきた。手には湯気を昇らせている人数分の湯吞茶碗を載せたお盆を持っている。


 「ああ、ただいま……なんで鏡華がいるんだ?」


 双魔の最もな質問に左文は眉を曲げて少し困ったような笑みを浮かべた。


 「それがですね…………」


 「うち、今日からここでお世話になるんよ。ああ、もちろん家事も受け持つよ?何もせえへんのは落ち着かへんからね」


 「は!?」


 後ろから聞こえてきた鏡華の言葉に双魔は勢いよく振り向いた。


 目には楽しそうに微笑む鏡華が映る。


 「…………ということのようです」


 左文は困ったような笑みのままテーブルにお茶を置いていく。


 「詳しい話は家からきちんとするさかい取り敢えず座り」

 「あ、ああ…………」


 突然、衝撃の報告をされて混乱している双魔に鏡華が自分の向かいのソファーに座るように勧める。


 双魔は勧められるがままに腰を下ろしたが、本来の家主は一応双魔だ。リビングの中は押しかけてきた鏡華が家主である双魔に席を勧めるという何とも奇妙な状況に陥っていた。


 「左文はん、お茶、おおきに」


 鏡華は自分の目の前に置かれた湯呑を手に取ると息を吹きかけて上品にお茶を口にした。


 それにつられて双魔もお茶を啜る。


 「むむむ?そう言えばどうして鏡華がいるのだ?」


 ティルフィングが今更首を傾げていた。頭の上には疑問符がいくつか浮かんでいるように見える。


 「ティルフィングさん、今から坊ちゃまと鏡華様が大事なお話をしますからこちらで私とお菓子を食べていましょうね」

 「む?そうなのか。わかった」


 左文はティルフィングが話の邪魔をしないように気を使ってくれたようだ。お盆に湯呑と一緒に載っていた菓子受けを食卓に置いた。


 「では、いただきます…………むぐむぐ」


 左文に誘われたティルフィングは大人しく席に座って菓子を食べはじめた。これで落ち着いて話が出来そうだ。


 「……で?どうして鏡華がここにいるんだ?そもそも編入してくるなんて聞いてないぞ?」


 双魔が湯呑を置いて、いつものように片目を瞑ってこめかみをグリグリと刺激する。


 それを見て、鏡華は悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 「フフフ……堪忍なぁ、まあ、その何?”来ちゃった!”ってやつ、うちもやってみたかったんよ」

 「……はあ?」


 この時、鏡華の言っていたことの意味が双魔には全く分からなかったのだが、後ほど左文に聞くところによると恋愛ドラマや漫画でそういうシーンがあるらしい。


 が、今は話を先に進めるのが先決だ。よく分からないことは無視した方がいいだろう。


 「主…………婿殿……が……困惑……する……故……要を…………話せ……」


 沈黙を保っていた浄玻璃鏡も助け船を出してくれた。双魔は鏡華に対して強く言えないところがあるので、心の中で浄玻璃鏡に感謝した。


 一方、窘められた鏡華の顔はというと、楽しそうな笑みからつまらなそうなものに変わるのであった。

 

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