第110話 いざ、化野へ

 食堂を後にした双魔たちが連れてこられたのは陰陽寮の裏手にある広い庭だった。普段はここで修練を積む陰陽師たちも多いらしいが、今は人がいない。


 陽が沈み切って暗くなった庭を等間隔で並べてある石燈篭の灯がほのかに照らしている。


 庭の真ん中あたりまで足を進めると人影が二つほどポツリと立っていた。


 「待たせてしまって悪いね」

 「ご心配をおかけしました」


 剣兎と春日が二人で立っていた。


 「ん、気にするな。春日さんも良かった」


 近づいて見ても春日の顔色は良くなっている。休憩は短いように思えたが十分だったようだ。


 「あら?剣兎はんたちだけなん?」


 鏡華が意外そうな声で言った。見ればわかるが、この場で双魔たちを待っていたのは二人だけだ。


 「いえ、他の人員はすでに車で現場付近に移動していますので……」

 「そ、それなら安心やね…………それで?うちらはどうするん?」


 鏡華はチラリと双魔を見た。これから敵と対峙するのに双魔が車酔いで調子を悪くしてしまってはどうし用もないと考えているのだろう。双魔も車の移動は避けたかった。


 しかし、そこのところは剣兎たちもしっかりと把握していた。


 「大丈夫、大丈夫。僕らは他の移動手段があるからね。ときに、双魔」

 「ん、なんだ?」

 「馬とか動物は大丈夫だったよね?」

 「ああ…………大丈夫だが」


 馬や牛と言った動物も車や電車などと同じように揺れるのだが、不思議と双魔はそれらに乗っても体調を崩すことはない。


 「じゃあ、大丈夫だね、少し離れて」


 言われた通りにその場にいる剣兎以外は距離を取った。


 それを確認すると左手で刀印を結んで空に掲げる。


 「始祖清明、宗家より承りし式よここに!十二天将、後六、出でよ”天空てんくう”!」

 剣兎が空中に五芒星を描くと空が光輝き一体の式神が姿を現した。


 巨大な狗だ。全長五、六メートルはあるだろうか。白と黄の毛並みが美しい。


 「アオォォォォォォン!」


 軽やかに地に足を着くと雄叫びを上げる。そして、剣兎に顔を寄せると甘えるように顔をこすりつけた。


 「よしよし、しばらく呼んでなかったからね、寂しかったかな?」


 ペロペロと大きな舌で剣兎のことを嘗め回す。愛情表現だろうが嘗められた剣兎は涎でびちょびちょになっている。


 「…………あれは?」


 「風歌一門の式神、天空です。見ての通りかなり人懐っこいんですよ」


 檀の言う通り優しそうな式神だが、剣兎が更にべちょべちょになっている。


 左腕の怪我に気づいたのか天空は心配そうな目をして丹念に包帯の上から剣兎の腕を嘗めていた。


 「おおー!大きな犬だな!」

 「ほほほ、かあいらしいね」


 ティルフィングと鏡華は吞気にそんなことを言っているが、全身涎でぐしょ濡れになった剣兎を見て春日は少し引いていた。


 「おい、剣兎」

 「おおっと、そうだった。天空、ここにいるみんなを乗せてくれるかい?」


 剣兎は取り出したハンカチで顔についた天空の涎をふき取りながらそう言った。


 「わん!」


 天空は頷くような仕草をしながら一鳴きすると、足を折ってしゃがみ込み、乗りやすいように体勢を崩してくれた。


 「よし、じゃあ、みんな乗って!」


 剣兎はジャンプして天空の首の辺りに飛び乗った。いつの間に用意していたのか上から吊りはしごを垂らしてくれた。


 「檀さんと春日さんは先に。ティルフィングたちはもうここで変身しておいた方がいいだろうからな」

 「分かりました。それではお先に」


 檀と春日が吊りはしごを登っていく。それを見た後、ティルフィングに向き直るとティルフィングは頬を膨らませていた。


 「ソーマ、我もその犬に乗ってみたかったぞ!」

 「…………また後で剣兎に頼んでやるから……」

 「約束だからな!」


 ティルフィングは渋々了承してくれた。そんなやりとりをしている間に鏡華は済ませたのか既にその手で紫水晶の鏡を抱いていた。


 「双魔、はよし」

 「ん、汝が名は”ティルフィング”盟約に従い真なる姿を我に示せ!」


 紅の淡い光に包まれてティルフィングは黒き刃の魔剣へと姿を変えた。双魔は右手で黄金の柄を握りしめると身体を鏡華の方へと向けて、傍に歩み寄った。


 「なぁに?」

 「ん、着物じゃ登りにくいだろうからな。少し我慢してくれ」

 「我慢って何を……きゃっ!?」


 双魔はティルフィングを逆手に持ち替えると鏡華を抱き上げた。俗に言う”お姫様抱っこ”の体勢になる。


 小さく悲鳴をあげた鏡華は事態が飲み込めないのか目を白黒させているが、双魔はお構いなしだ。


 「よっ……と!」


 ティルフィングの力で強化された脚力で飛び上がると天空の背中に着地した。


 「ん、大丈夫か?」

 「う、うん…………」


 優しく鏡華を降ろす。その時に天空の毛に触れたが、絹のように滑らかで非常に触り心地がいい。


 一方、鏡華は突然のことに驚いたのか目を見開いている。暗いのでよく分からないが耳が赤くなっているように見えなくもなかった。


 「ハハハ、双魔も中々やるね!」


 剣兎が二人の様子を見て楽しそうに笑うが双魔はまともに取り合わずに目で「さっさと出発しろ」と伝える。


 それが伝わったのか剣兎は肩をすくめて見せた後に前を向いて、天空の背中に大きな耳元に顔を寄せた。


 「天空、北の方に瘴気が濃い場所がある。そこに向かって欲しい」

 「わん!」


 剣兎の囁きに返事をすると天空が立ち上がる。同時に、天空の巨体を中心に風の渦が巻き起こり、ざわざわと周囲の木々がその身を揺らす。


 「飛ぶから、みんなしっかりと掴まって!」


 剣兎に言われ、天空の毛を強く握ってしがみついた次の瞬間、天空は跳んだ。


 「っ!?」


 上昇するときに顔に風が強く当たって目が開かない。


 そして、風が穏やかになり、目を開くと眼下には京の街が広がっていた。


 「わあ!凄いねぇ、このわんこ!」


 鏡華が楽しそうな声を上げる。


 天空は高く高く跳躍したのだ。丁度、雲間から顔を覗かせた月が近くに見えた。


 「よし、行け!」

 「アオォォォォォォン!」


 凛々しい遠吠えが空に響き渡る。天空は虚空を力強く蹴って空を疾走する。


 景色は早回しで再生した映像のように過ぎていく。京の街の明かりは遠ざかり、川や森、寺社を見下ろし、数分と掛からずに双魔たち一行は、先行していた部隊が控える山縣の屋敷に近い地点に到着したのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る