第83話 作戦会議1(前編)

 歩いているうちに頬の熱も引いていく。五分と経たずに陰陽寮の玄関前に到着した。


 玄関では檀と午前中に訪ねて来た際とは打って変わって、キリッとした雰囲気を纏った紗枝が出迎えてくれた。


 「お越しいただきありがとうございます」

 「いや、わざわざ出迎えてもらって悪い」

 「いえいえ、当たり前のことです。紗枝さん、そちらはお願いします」

 「はい、分かりました。それでは伏見さん、六道さん、私は後程伺いますね」

 「ん、ああ……」


 双魔が反応する前に紗枝は陰陽寮の中に引っ込んでしまった。


 「それではお二人はこちらにどうぞ」


 檀の後について陰陽寮に入る。通されたのは昨日剣兎たちと話した部屋だった。


 「お座りください」

 「じゃあ、失礼して」


 双魔と鏡華は檀の向かい側のソファに隣り合って座る。その後に檀もゆっくりと腰掛けた。


 「失礼いたします。お茶をお持ちしました」


 職員の女性が三人分の湯呑と急須を載せたお盆を持って部屋に入ってくる。


 「ありがとうございます」

 「おおきに」


 女性は手際よくお茶を淹れると笑顔で一礼して部屋を出ていった。


 「それではお話を始めましょうか」


 女性がドアを閉めるのを確認してから檀がテーブルの上に一枚の紙を出した。


 「こちらを見ていただきたい」


 覗き込むと、それは洛中と洛外の広範囲に渡って描かれた地図で、何か所かに何やら書き込みがしてある。


 洛中を中心に赤と黒の×印が点在し、一か所、洛東に大きな赤い×印が書かれている。


 「これは……例の怪異が発生した場所か?」

 「ええ、お察しの通りです赤が殺人と行方不明者、黒が正体不明の化け物です」

 「聞いてたより頻繁に起きてるんだな……」


 双魔が剣兎たちに聞いた話より明らかに件数、特に黒い方の印が多い。


 「これは異変に気付いていた賀茂家の当主が自分用に作っていたものを清書してもらったものです……双魔さんの言う通り黒い印が多いのですが……」


 そこで檀が言い淀んだ。困ったように眉を寄せている。


 「ですがって……何かあるん?」


 鏡華も会話に入ってきた。不規則な印の位置に興味津々と言った感じだ。


 「ええ、賀茂のご当主によると黒の印の怪異はよく分からないそうなんです」

 「どういうこと?」

 「気配は感じてもそこにい本当に出現したのかどうかは分からないと……それに」

 「それに?まだあるん?」

 「はい、この怪異が現れるようになってから地脈が微弱に乱れて京の中を把握するのに少し支障をきたしているとか……とにかく、こちらの怪異は赤の怪異と違って死人や行方知れずが出ずに怪我人だけで済んでいるとはいえ……厄介さでは同じようなものなんです」


 檀は話が進むにつれて徐々に表情が暗くなっていく。ここ数日の心労が目に見えるようになってきているのだろう。


 「はあ……えらい難しい事件みたいやねぇ……双魔、さっきからずっと黙ってるけど、何か分かった?」


 隣で一言も発さずに地図を凝視している双魔に声を掛ける。


 「……ん」


 短く返事をすると双魔は前のめりになっていた身体をソファの背もたれに預けた。そして、片目を閉じてこめかみをぐりぐりし始めた。


 「……話を聞くに黒い方は陽動だな」

 「陽動……ですか?ということはこの二つの件は完全に繋がっているということですか?」

 「まあ、そんな感じだろ。どこの誰が何の目的でやってるのかは分からないが、本命は陰陽師やら二条の武官を殺し回ってるんだな……ああ、そう言えば手紙に剣兎に詳しく聞けと書いてあったな……はぁ……」


 今頃思い出しても剣兎は恐らく何処かで伏しているのだろう。そう思って、双魔は溜息をついた。


 それを見た檀が何故か微笑みを浮かべた。


 「大丈夫ですよ、剣兎さんなら……おっと、いらっしゃったようですね。どうぞ」


 檀が話している途中でドアが軽くノックされた。許可を得てドアが開く。そこにいたのは意外な姿の意外な人物だった。


 「……なんだ、死にかけじゃなかったのか?」

 「ハハハ!相変わらず手厳しいね!まあ、血塗れになって腕と肋骨が何本か折れただけでだけでそこまで大したことないよ」


 朗らかな声で部屋に入ってきたのは車椅子に乗った剣兎だった。その後ろでは紗枝が車椅子を押している。二人は三人の座るソファにゆっくりと近づいてくる。


 「課長、ご当主をお連れしました!」

 「ありがとうございます、紗枝さん。剣兎さん、具合はどうですか?」

 「うん、まあ、痛いけど死にそうなほどってわけじゃないから大丈夫さ」


 そう言った剣兎だが見た目はかなり痛々しい。右腕はギプスの上から包帯が何重にも巻かれ、薄手のパジャマからは同じく包帯でグルグルに巻かれた胸元が覗いている。


 頬や目の下も切れているのかガーゼが貼られていた。そして、何のこだわりなのかよく分からないが頭にはいつもの灰色の中折れ帽を被っている。


 「思ったより元気そうだな」

 「うん、まあね。それで?黒い方は陽動なんだって?続きを聞かせて欲しいな……それが終わったら僕は赤い印の方の話をするよ」

 「……聞こえてたのか」

 「ハハハ!僕は耳聡いのさ……というわけで聞かせてよ」

 「双魔さん、お願いします」


 檀の言葉に少し身体を起こす。それを見た紗枝はゴクリと喉を鳴らしながら檀の隣に腰掛けた。鏡華は湯呑に息を吹きかけてからお茶をちびちびと啜っている。


 「ん、まあ……状況から考えれば一目瞭然なんだが……」


 双魔は右手で地図上のある一点を指差した。


 「ここを見ると珍しく黒い印の方で怪我人が出ている……そして」


 そこから指を話して違う地点に指を置く。


 「その直後、ここで二人殺られている。これと同じような時差の関係が……ここと、ここ。それにここでも起きている」


 双魔は地図上で指を次々と刺していく。その場の全員がそれを食い入るように見ている。


 「確かに……黒い印の方で大きめの被害が出た直後に赤いほうが出現していますね……黒が出現しただけの時は赤い方は発生していない」


 檀は納得するように数度頷く。剣兎も面白そうに笑っている。


 「それとだ……黒い方の化け物は賀茂家の探知を妨害する瘴気を出している。これもほぼ確実だ」

 「……うん、賀茂殿が違和感を感じてこの地図を付け始めたタイミングと怪異が始まったタイミングはほとんど同じだからね……それに、僕らの予想した化物の正体の特徴とも一致する。多分当たってると思うな……ね?双魔」

 「ん……そうだな」


 双魔が剣兎と視線を合わせて頷き合う。檀は正体の見当が付いていないのか目を丸くして驚いている。紗枝と鏡華も同じような感じだ。


 「檀さん、というわけで赤印の前に黒印を片付けたいんだが……ってどうかしたのか?」

 「い、いえ……自分には全く見当もつかないもので……化物の正体を教えていただいてもよろしいですか?」

 「ん?ああ……多分だけど、源三位げんざんみ入道の化物退治だ」


 双魔は再び片目を閉じてぐりぐりと親指でこめかみを刺激しはじめながら答えた。


 その言葉に檀の表情が再び引き締まる。


 「そんな……まさか……」

 「ん、まあ、そっちは俺が今夜中に何とかするから、あまり気にすることはないよ」

 「は?……その、いいのですか?相手は神出鬼没の上、伝承によればかなりの強さのはず……」


 あっけらかんと言い放った双魔に檀の引き締まっていた表情が再び可笑しなもの変わった。


 「ああ、応援はお願いするけどな。万事任せてくれていい。こっちにはティルフィングと浄玻璃鏡がいるからな。上手くやれるはずだ」

 「そ、そうですか……」


 檀は困ったように剣兎に視線を送った。それに気付いた剣兎は笑みを浮かべたまま大きく頷いた。それに檀も頷き返すと双魔の方に顔を戻した。


 「それでは……申し訳ありませんが……お願いします」

 「ああ、承知した」

 「ねえ、双魔?」


 そこで、それまで黙ってお茶を飲んでいた鏡華が話に入ってきた。


 「ん、どうした?」

 「うちと玻璃も行ってええの?」

 「ああ、来て欲しい……駄目か?」

 「ううん、うちが双魔の頼みを断るわけないやんかぁ……なぁ?」

 「……ん、ありがさん」


 鏡華はニコニコと満面の笑みで、双魔は先ほどから打って変わって何とも言い表しがたい生温かい表情になっている。


 「…………」

 「…………」


 檀と紗枝はどうしたらいいのか分からずに剣兎の方を見た。剣兎も何やら生温かい笑みを浮かべている。


 「……お二人さん、仲が良いのはよろしいけど、そろそろ僕の話、聞いてくれるかな?」

 「ん、そうだったな」

 「ほほほ、堪忍なぁ」

 「うん、ありがとう。それじゃあ、いったん休憩にしよう。花房殿、僕にもお茶をもらっても?」

 「あ、はい、かしこまりました」


 二人がこちら側に帰ってきたので話が始まると思いきや、剣兎がお茶を所望したことによってしばらく謎のまったりとした時間が流れるのだった。


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