第23話 反魂香

 ”反魂香はんごんこう”とは書いて字の通り「魂を返す香」であり、中華における伝説的な魔香だ。遡ること約二千二百年前。赤龍の子、高祖劉邦こうそりゅうほうが開いた前漢王朝の時代である。


 時の皇帝、第七代武帝は死んだ寵姫李夫人を恋しがるあまり道士に命じてある香を造らせた。それが”反魂香”という名の伝説的な香である。


 命を受けた道士はあらゆる霊薬を調べて調合し、それをぎょくの釜で煎じて練り香を完成させた。武帝がそれを李夫人の櫛と共に金の炉で焚いたところ、煙の中に死んだ李夫人が現れ一時の逢瀬に心を費やしたという逸話が有名だ。


 しかし”反魂香”の効能はそれだけではなかった。反魂香は皇帝の宝物庫に収められ現在の皇帝にまで受け継がれているがそれと共に後世に伝わっていない効能が記されていたと伝わる。


 話はこうだ。武帝が李夫人との奇跡の逢瀬を楽しんでいる間に焚かれた香が風に乗り流れていった。李夫人が現れた時点で武帝はその場にいた道士、側近たちに下がるように命じたため誰も香が漏れ出たことに気付かなかったのだ。


 武帝が李夫人との逢瀬を終えた後、寝室で休んでいると何処からともなく一人の侍女が現れる。これに気付き、怪しく思った武帝は傍に置いてあった剣を手に取ると鞘から抜いて侍女に向けて「お前は何者か」と詰問した。すると侍女は跪き、かしずいて涙を流しながら「陛下、私は先ほどまで貴方様に愛していただいた女でございます」そう言って顔を上げた。


 その顔は確かに李夫人であった。これはどうしたことかと驚く武帝に侍女は話を続けた。その話を聞くとなんと反魂香にはそれを多量に体内に取り込んだ者に呼び出された魂が憑依し現世に留まってしまうというのだ。


 武帝は急いで道士を呼んで確認させると確かに侍女の身体に李夫人の魂が宿っているという。李夫人はこのままでは侍女がかわいそうだ。自分は既に死んだ人間であるので陛下との別れは惜しいがこの娘のためにも分を弁えて冥界に帰るべきである。と。


 武帝はその言葉を聞き涙ながらに頷くと道士たちに命じて儀式を執り行い李夫人の魂を冥界に帰した。李夫人の魂が抜け出ると女はその場に倒れた。確認してみると女は宮廷の炊事場で働く侍女であった。


 武帝はこの反魂香の副作用については不問にして反魂香を造った道士と魂送りを執り行った道士たち、そして侍女にそれぞれ千金を与えると道士たちと大臣に命じて反魂香を厳重に封印した。これが記されていた反魂香のもう一つの効能である。


 これは中華大帝国の統治が現在のシステムに変わる際に行われた宝物庫の調査で発見されたもので長年知られていなかった。現皇帝の命によりさらに厳重に保管されているらしいがまさかそれが日本にも存在していたとは誰も思わないだろう。現に香の島の反魂香については誰も認知していなかった。


 現在、魔術協会は反魂香は悪用することにより甚大な被害が引き起こされるとして危険指定を行い、万が一がないように製造を試みることさえ取り締まっている。


 「……随分大きなヤマになりそうだな」


 「もう頭が痛いよ……ところで双魔はここ数日変わったこととかないかな?」


 「何だよ、いきなり」


 「君は魔術的な変化に敏感だからね、信頼して聞いてるんだ。僕はこっちに来たばかりだから何か手掛かりがあればいいな、って」


 真剣な表情から一転カラカラ笑いながら聞いてきた。が、その笑顔はすぐに消えることになる。


 「変わったことと言えばお前に会う直前に怪しい魔術師に逃げられたな」


 「へー……それは気になるね。詳しく話してもらえないかい?」


 「ああ……」


 事の顛末を話すと剣兎はそれを前のめりになって聞いていた。そして話が終わるといの一番にそれまで黙って話を聞いていたティルフィングが声を上げた。


 「ソーマ!なぜ我を喚ばないのだ?ソーマが喚んでくれないと我はソーマを助けられないではないか!」


 「分かった、分かった!次からちゃんと喚ぶから」


 膝の上で頬を膨らませて拗ねるティルフィングを宥める。


 「フフフ……仲が良くて羨ましいね。残念だけど双魔の話は今回の件とは関係なさそうだね。でもロンドンがキナ臭いことになっているのが分かっただけでも収穫かな」


 「悪かったな、役に立てなくて」


 「アハハ、いいよ。また何かあったら協力してくれれば。じゃあ、夜も遅いしそろそろお暇しようかな」


 剣兎はそう言うとゆっくり立ち上がった。


 「そうかじゃあ玄関まで見送る」


 双魔は膝の上のティルフィングを床に下ろすと玄関に向かった。


 「大分温まったけど外はまた寒いだろうなあ」


 玄関でそうボヤキながら剣兎はコートを羽織る。そして帽子を被るとこちらに振り向いた。


 「じゃあ、お邪魔したね……って双魔?どうかしたのかな?」


 振り向いた剣兎がみた双魔は口元に手を当てて何かを考えている様子だった。そして双魔は口を開く。


 「一つ話忘れたことがあった」


 「おっ、そうなのかい?ぜひ聞かせて欲しいな」


 「去り際に奴は何か魔術を行使しようとした……それが何かまでは分からなかったが」


 「そうか……でも挙動は確認できただろう?」


 「挙動というか一つおかしなことがあった……香りがしたんだ」


 その一言に剣兎は眼を見開いた。


 「それは……どんな香りだったんだい?」


 「何かには形容しがたい甘ったるい香りがしたんだ。あんな花の香りは嗅いだことがなかったな……ん?剣兎、どうした?」


 剣兎は眼を見開いたまま笑っていた。


 「双魔!双魔が遭遇した魔術師と今回の件は繋がっているかもしれないよ」


 普段は細い目を爛々と輝かせながら双魔の肩を叩いてくる。


 「いきなり何だよ……見つかった奴らから甘ったるい匂いでもしたのか?」


 「その通りだよ。見つかった四人からは怪しい甘い匂いがしたらしいんだ……これで捜査も楽になるぞ!ありがとう双魔!」


 「そもそも捜査はおまえの仕事じゃないけどな」


 双魔は肩を叩き続けている剣兎の手を払いながら冷静にツッコんだ。


 「まあ、細かいことはいいじゃないか。また何かあったら会いに来るよ」

 「待て、もう一つ思い出した」


 「なんだい?」


 「バッジ、多分だが着けていた。多分だけどな」


 魔術協会では登録された魔術師に位階に応じた徽章を配布し、装着することを半ば義務付けている。


 「ということは………協会に登録している魔術師ってことだね。いやー、双魔、本当に助かるよ!」


 「ん、気にすんな」


 双魔は剣兎に向けてひらひらと手を振る仕草をする。


 剣兎はドアノブに手を掛けて扉を開くと何かを思い出したかのようにもう一度振り向いた。


 「あ、そうそう。双魔、次の選挙に出場するらしいね」


 「げ、なんで知ってるんだよ」


 双魔は心底嫌そうな顔をするが剣兎はそれを見て楽しそうに微笑んだ。


 「そろそろ双魔も隠れてられなくなるだろうからね。これがきっかけだと思って吹っ切れた方がいいよ。世界はいつだって怠惰な者を許してくれないからね」


 「うるさい、放っておけ」


 「あ、それと反魂香のことだけど」


 「なんだよ?」


 「反魂香も甘くて何とも言い表せない不思議な香りがするらしいよ」


 「ん、そうか。で?そんなこと俺に聞かせて、何かあるのか?」


 「アハハ!一応言っておいただけさ。じゃあ、今度こそ本当に帰るよ。また近いうちにね」


 「ああ」


 剣兎は帽子を被ると静かに扉を開けて出ていった。


 段差を降りて上を向くとチラチラと白いものが降っている。


 「おや、雪か。これだけ寒ければ当然かな」


 ゆっくりと歩きながらしばらく歩きながら思案を巡らす。


 「双魔が言っていた”甘い香り”……これはもう奴が関係しているのは間違いないな」


 今回の事件では早い段階である魔術師が捜査線上に上がったという部下の報告から剣兎は一つの確信を得ていた。少し難しい事件になるかもしれない。そこに一つ強い風が吹く。


 「おお、寒い寒い……取り敢えずホテルに帰ってからかな」


 そう呟くと剣兎は風に乗るかのように浮かび上がり、まるで空を駆けるかのように霧の都の夜闇に消えていった。


 一方、双魔はティルフィングを説得するのに必死になっていた。


 「ソーマ!キャラメルがもっと欲しい!」


 いつの間にか剣兎に貰ったキャラメルを食べきっていたらしい。余程気に入ったのかもっと欲しいとご所望だ。双魔は頭を抱えたが左文にも手伝ってもらい明日以降すぐに用意すると約束をして何とか説得することができた。


 そんなこともあり布団に入るのがかなり遅くなった。眠気はすぐにやってくる。


 「俺は……遺物と契約したのか……子守を押し付けられたのか……」


 ボヤキながら意識は静寂に落ちていった。

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