第3話 鬼女誕生②
虎御前は為景の言いつけを破り、忍ぶようにして春日山城下に足を運んだ。
目的の寺門の前で虎御前は周囲を注意深く見渡す。
誰かに見られてはいまいかと警戒を強め、寺門を潜った。
林泉寺の天室光育に虎御前は虎千代のことを相談しに来たのだった。
光育は天台宗を始めとした日本古来の経典だけでなく、真言密教や道教にも精通していた。その知識は天文学、古語、薬学、錬金術、数学、文学、医学等々留まること知らず。見識の深さから賢人として為景のみならず、他国からも領主達がこぞって光育に教授を受けにくるほどだった。また、光育は妖術、幻術、呪術などを自在に操る類稀なる霊力で高名だった。
ふ~。虎御前の話を聞き終えた光育は、深く長い溜息をついた。
虎御前は光育の顔を縋るように見つめている。
光育は顔を上げ、瞳を大きく見開いた。
「話は分かりました。だが、はたして人の力でそんなことが出来得るのか?まやかしや物の怪の類いでも、それだけの力は御座いませぬな」
「では、何なのでございましょう?」
虎御前は必死の形相で膝を乗り出した。
「神」光育は重厚な口調で言った。
「神?」虎御前は目を見開いて訊き返した。
「そう、あなた様のお子は、神そのものかもしれません。力の使いようによっては神にも鬼にも成り得る。長きに渡って繰り返されてきた、戦が無くなる世が来るのやも知れません。その為の神の降臨なのでしょう。だが、一歩間違えば夜叉、悪鬼羅刹となることでしょう。越後だけでなく、日の本の民は地獄の業火に焼かれ、悶え苦しむことになるでしょう」
光育の話を聞いていた虎御前の生唾を呑む音が大きく響いた。
「……どうすれば」虎御前は弱々しく光育に教えを乞うた。
「さすれば」光育は胸元を正して虎御前と向き合った。
「我が寺でそのお子をお預かりいたしましょう」
「しかし…」
虎御前が言葉を挟みかけたのを光育は手で制して、たしなめる。
「左様。ご存じの通り我が林泉寺は女人禁制で御座います。領主様の御正妻様とは言え、入れるのはこの客堂の間まで。この奥には決して足を踏み入れることはできませぬ」
「はい」虎御前は無論承知していた。
尼寺でもない限り、女児とは言え入門することは叶わない。
落胆の表情を浮かべる虎御前の肩を光育が両手でしかと掴んだ。
「男のお子であれば問題がない」
虎御前が首を傾げる。
「光育様の言っておられる意味が分かりませぬ」
光育はにこりと爽やかな笑みを浮かべて
「ですから、虎千代殿を男のお子様としてお認め下さればよいのです」
そこまで聞いて勘のいい虎御前が言葉を続けた。
「だから、虎千代を男の子として認め、この寺に預ければよいと」
光育は固く口を結んで頷いた。
「為景様には私の方から上手く言っておきますよ。虎千代殿を夜叉にするわけにはゆきませぬ」
光育はそう言って手を合わせ、数珠を鳴らして目を閉じた。
女人禁制の寺や霊山には男でないと入れない、と表向きはされていたが女人が男装さえすれば「女人にあらず」と認められ、何人も入山している記録が残されている。
光育はそのこと実を見知っていたのだった。
「心配いりませんよ」
抱擁に満ちた光育の声で、虎御前は張り詰めていた心気が途端に緩み、その場にへたり込んだ。
為景は先勝占いや家臣の裏切りがないか等、ことある毎に光育のもとに足しげく通っていた。……光育の口添えが有ればもしや。虎御前の心中に一筋の希望が指すのだった。ほどなくして、虎千代は男
お
の子として林泉寺に入門した。
為景は虎千代の話を光育から聞かされ病に伏した。病は常軌を逸していた。為景は夜な夜な城内で獣のような咆哮を上げ、理由もなく下女を手打ちにした。戦では鬼神の如き為景あったが、領内では善良な領主で通っていた為景の面影が薄らいでいった。重臣たちに勧められ、為景は隠居し、長兄の晴景が跡目を継いだ。
虎千代は長く綺麗な黒髪を落とし、林泉寺の門をくぐった。
虎千代の荒れ狂う強大な神通力は光育の法力で抑え込まれた。また、光育の法力は虎千代の悪しき記憶の一切を封じた。
虎千代の身分は隠され、掃除、洗濯、読経等々他の修行僧と同様の生活を送ることとなった。
その他に虎千代には光育から特別修行が課せられた。
その修業は峻烈を極めていた。滝行、火行、断食、万経書写行。
兄僧達からは、幼い虎千代にそこまでと光育に意見するものさえ現れるほどだった。虎千代の体を心配する兄僧達を「まぁ、まぁ」と明るく笑顔で制し、虎千代は光育の出す課題を淡々とこなしていった。
年月が経ち、虎千代の神通力を制御してきた光育の法力が陰りを見せ始めた。虎千代は十四歳に成長していた。
「この七年、我が法力で何とか制してきたが、もはやこれまでか」
光育は己の両手を見つめて、不甲斐なさに溜息をつくと共に日毎に増大し続ける虎千代の魔力の大きさに恐怖した。
「何とかしなければ」
光育は虎御前を寺に呼び寄せ、陰日向なく現状を伝えた。
虎御前は当惑し目を泳がせた。
「どうすれば」
「虎千代殿の力を封じ込める何かが必要です。玉や勾玉程度のものでは虎千代殿の力は封じ切れません」
光育はそこまで言うと大きなため息をついた。
「そこで。毒を持って毒を制す。虎千代殿の力を魔力で封じ込めるしか手立てが御座いません。飛騨山中の洞窟に呪術でその力を封じ込められた鬼斬り丸という妖刀が御座います。鬼斬り丸ならば虎千代殿の力を封じ込めることが出来るでしょう」
光育は静かに閉眼して気持ちを落ち着け、躊躇う言葉に勢いをつけるようにかっと目を見開いて、話を続けた。
「鬼斬り丸はただの刀ではございません。鬼斬り丸は血を好み、人を惑わす妖刀。一説ではかの、源の義経が瀬戸内海で沈めし、天朝様の秘刀。草なぎの剣とも噂されし妖刀。鬼斬り丸の霊力に打ち勝つことが出来なければ、その力に取り込まれ、手にした者は死に至る」
どろりと粘着した唾液が喉に絡み、虎御前は小坊主に出された茶を口に含ませる。
「そこで、御前様にお願いが御座います。飛騨に虎千代を行かせ、鬼斬り丸をとってこさせようと思います。ついては、護衛のものを虎千代に付けて頂きとうございます。山賊の類いまたは、隣国から姫君を守るために」
光育はそこまで話して一旦言葉を打ち切り、一拍おいて重い口調で話し始めた。
「それと、虎千代殿にこれ以上無駄な血を流させたくない。血が血を誘い道中で羅刹になりかねない、その時は護衛のものに」
「虎千代を殺せと!」
虎御前が声を裏返して、光育の先の言葉を続けた。光育が頷くと虎御前は目頭に熱を込めて声を震わせた。
「光育様は虎千代と共に行っては、頂けないのでしょうか」
虎御前が尋ねると、光育は力なく小首を振った。
「私の霊力もこの七年ですっかり衰えた。虎千代殿の力を抑制するのに使い果たしてしまいました。もはや、鬼斬り丸の霊力に耐えうるだけの力は残っておりますまい。虎千代殿には己の力で鬼斬り丸と対峙して頂き、飼いならして頂かなければなりませぬ」
「飼いならす?」
虎御前は不可思議な顔を浮かべた。
「そう、飼いならす」
光育は神妙な面持ちで頷いた。
「鬼斬り丸は幻覚を見せ、手にしたものを惑わせる。時には快楽に溺れさせ、時には目を伏せたい過去を走馬灯のように再現し気を狂わせる。幻覚や幻聴に恐怖し、鬼斬り丸に心奪われしものは、人の血を望み、最後には自害に及ぶと伝えられておりまする。幻覚に打ち勝ち、鬼斬り丸と契りを結ぶ」
「契り?」
食い入るように光育の話を訊いていた虎御前が眉をひそめた。
「主従の契りです。鬼斬り丸の幻覚に打ち勝てば鬼斬り丸は忠実なる臣として契約者の意のままに従うでしょう。負ければ…」
「虎千代は黄泉の国へと旅立つ」
虎御前が悲壮感を漂わせて零すと、光育がコクリと頷いた。
虎御前は何かを決意したかのように胸を張る。
「話は分かりました。虎千代に護衛をつけましょう。虎千代が羅刹になるようなことがあれば、虎千代を一思いに切れる者を」
凛と光育を見据える虎御前の目から大粒の涙が尾を引いた。
虎御前は庵に戻ると、すぐさま一人の男を呼び寄せた。
男の名は加当段蔵。『飛び加藤』と忍び仲間からも怖れられる男だった。
段蔵の才覚は十六と言う若さにも関わらず、長尾家お抱え忍者集団軒猿の中でも群を抜いていた。残忍、暴虐さに加え冷静沈着さを兼ね備え、どんなに困難な任務も確実に完了させた。敵にしたらこれほど怖い忍びはいないと、主である為景も常々漏らしていた。
虎御前は段蔵に光育からもらった洞窟への地図を手渡し、虎千代が人を殺したら首をはねろと命じた。
段蔵は奥に闇を宿した切れ長の目で虎御前を冷やかに見つめ、静かに頷いた。
頼む、と頭
こうべ
を垂れる虎御前を残して段蔵は音も立てず姿を消した。
つづく
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