第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その21)


「徳川の時代に、公的に鋳造されたなんて、くらいです。その前提なら、考えとしてはあり得ます」

「キリシタンを処刑したなら、それは幕府としてもみせしめに公にするはずじゃ……集める為にそのことは伏せて、いい噂だけを流してたのかしら?」

「それも考えられますが、むしろ幕府側には伏せて行っていた、とか。文献にも一切残さないよう徹底したり。この地の役人と結託しないとできない話なんでしょうね。そうなるとますます、お金のやりとりと切っても切れない背景があったのかも知れませんけど」

「ミカエル様をそんなことに……」


 ため息を吐きながら、福子さんは十字を切った。


「そして、その仕掛けを思いつき、実行した伊作さんは……ユダヤ人だった、という

「えっ!?」


 大子さんは目を見開く。荒唐無稽な話であれ、八幡家の血筋が外国人である事は理解していたとしても。

 福子さんも考え込む。即時にその話は「受け入れがたい」という面持ちだ。うん、慎重だし、その姿勢は正しいと思う。


「あそこにある蔵の、籠目の六芒。ソロモンの星ですね。メズーザーに見立てた門の花入れにしても、あの二つの給水塔はまるでシナゴーグでも模したかのようです」

「……荒唐無稽よね」


 綺羅さんも苦笑をこぼす。勝手知ったる「我が家」のことであれ。


「私もそう思います。四角い平瓦に漆喰をなまこ状に厚盛りする防火の技法で、籠目状なんて普通は無理です。職人に無茶を要求してます。もっというなら、そもそも前提として。……しかし、現状の材料で組み立てるなら、そういった『話』の想定が可能です」


 どういうことなのかわからない、そんな顔で、宝堂姉妹が戸惑っていた。


「だから、『』なんです、今の話は。それが事実がどうかより、そう『』という点。識字率も低い江戸時代の頃の農村、ましてあらゆる記録を意図的に封殺可能な、地理的にも閉鎖された僻地の村落で、正確なことなんて何一つわかりません。ですが……」


 そう「」なら――それは与太話でも噂話でも何でもなく、れっきとした「事実」になる。ある種の閉じた環の中では。


「想定としてはまさに『六部殺し』のスケールアップ版ですね。そして、ここは重要な点ですが、結局は急に財を成した者への、外部からの『』のパターンなんです」

「外部ならともなく、当の本人がそれを信じてしまえばそれは『事実』になるわ」


 たとえ嘘でも、妄想でも。それは、狂気に近い。ある意味では「呪い」――。

 あながち、綺羅さんのいうことは間違ってはいないかもしれない。


「……呆れる、というより驚いたわ。高々半日で、どうやって知ったの?」

「じゃあ、今の私のは正解だったのでしょうか……?」

「……調喋ってたんじゃないの?」

「いいえ。そして、普通は歴史的事実なんて机上の推理と推察でわかるわけもありません。……条件設定の問題です」


 ……えっ? という顔で綺羅さんも首をかしげる。


「おそらく明治末から大正、昭和初期の間に、あなたのご先祖にカバラの秘術にはまった人がいらっしゃるんじゃないでしょうか。徳夫さんか、その先代か」

「ああ、あの『』ね」


 綺羅さんは苦笑する。

 本来はユダヤ教義と密接に存在する、カバラの秘術……しかしそれは、キリスト教の異端者に取り入れられてからは、西洋魔術的「神秘主義」へと変貌した。不老不死の探求や、タロット等の占術の源流でもある。


「それと、お屋敷全体に張り巡らされた、正門、蔵、母屋等、十のセフィラと二十二のに割り振られた『生命の樹セフィロト』もです」

「まぁ、それは気がつかなかったわ! 私の家にそんなものがあったの?」


 そして、かつて楓さんが暮らしていたであろう真ん中の蔵の位置は、第六のセフィラ。ティファレト(美)を意味するセフィロトの樹の中心で、守護天使は


「ご家族ですら気付かなかったんですね、には。……つまり、家族にすら打ち明けず、胸のうちに――そのまま、誰にも一言も告げずに徳夫さんはお墓の中まで仕舞い込んだのでしょうね」


 荒唐無稽の想定を、自身の出自として「信じ込こめる」ということ。

 狂信といっても良いだろうし、心霊現象と同じく、「」者にはいかなる与太話だって「」になる。


「奈良時代から安土桃山までに、日本にもユダヤの民は多く入っていたともいわれています。商技術の神様や福徳を願う土着信仰の多くに、カバラの影響もあると聞きますね。ヤハタの語源の一つとの説もあります。これはちょっと飛躍し過ぎとも思えますが……」

「だから、私はそれは『狂気』だと思うの」


 。いわゆる「トンデモ学説」とか電波とか、さんざんないわれ方をされている珍説で、でも大まじめにそれを信じて論じている人だって大勢いる。

 ユダヤ教と神道の類似点を協調してユダヤ・マネーを取り込むべく、満州に移民を目論んだ「河豚計画」なんて物を、戦前の軍部が大まじめに検討した時期さえあった。真贋はともかく、杉峰楼にはその関係者たちの名前もあった。

 少なくとも、八幡家の人たちが生粋の東洋人ではないことは、顔を見れば誰にでもわかる。その説が正しいかどうかより、正しいと「信じた」者が過去に居た。

 ――きっと、それが重要なんだ。


「……だからこそ、ある種の過激な原理主義者にとって、或いは無信仰の者にとって、キリスト教なんて異端の『新興宗教』で、そんな相手を殺すことに何らいといは無かった。……もちろん、伊作さんが特別、異常だったと考えるべき話ですし、そもそも偶像崇拝なんてしない文化ですから。……ともかく、そういった『』です」


 漂泊のユダヤの民の多くがユダヤ教徒ではないように、この極東の最果ての戦乱の地で、原型から離れた独自の信仰観を形作っていてもおかしくはない――そう考えた場合。


「そんなの、まるで……」

「石数も決まっている、人別帳なんて戸籍ではなく実際は『小作人リスト』、財源の帳面ですし。田畑もお上に管理されている時代に、金鉱があるでなし、どうやって財を成したのでしょうか? そう考えた場合、これだけ突飛な話でも信じるに足りえたかも知れません」

「だ、だからね、巴ちゃん。それと一体、この事件と何が……?」


 福子さんも戸惑ったままでいる。


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