第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その15)
5.
静かな夜を迎えた。
朝が早かったせいか、部長たちはすっかり床についている。
私も布団に入り、目を閉じ、そして──
そっと起き上がった。
「……部長、寝てます?」
「ウン」
起きてるし。
「すぐ戻りますから、心配しないで下さい」
小声でそういって、浴衣を脱いで、他の着替えもないから制服に再び袖を通し、音を立てないよう、そっと扉をあけて外に出る。
「私のいいつけを守るならね……」
眠そうな声で部長はそう答える。……ゴメンなさい、ちょっと
――まず、一つ目の
抜き足さし足。慎重に音を立てないよう、ホテルの廊下を進む。八幡家の人たちがどの部屋にいるかはわからないけど、どこかの扉から廊下の様子を覗いてはいないことを確認する。
煌々と蛍光灯のともる廊下を抜け、間接照明の薄暗い通路を進み、裏手の非常口のノブをそーっと回し、開ける。過去、どうだったのかはわからないけど――うん。
抜け出すのは、やっぱり簡単だ。
静かな暗闇の中、旅館とホテルの明かりの反対側をみて、ゾっとする。
真っ暗な闇。
完璧な闇。
都会にいる限り絶対に見られない、何の照明もない黒墨の暗闇。
ここが田舎の村である実感が、やっと私にもわいた。
月の無い闇の中、石段の方へゆっくりと進む。塔まで三〇分ほど……は、
しばらく進んで、ようやくLEDライトのスイッチを入れる。
虫の声だけが響く闇を、おぼつかない足で進む。手元のこの灯りだけが頼りだ。
暖冬とはいえ、さすがにこの時期、秋の虫は殆どいないはず。これは越冬するクビキリギスの声だろうか。
光の当たるポイントは、何もかもが炎のように赤い。はらはらと枯葉が散るのを肩で、頬で、感じる。
もう十二月なのに、今年は異常気象で、どこも雪がまだ殆ど降っていないと聞いた。
「今年は異常気象」は毎年聞いているような気もするけど。とにかく、これはスキー宿としては大打撃かもしれない。
八幡家に向かうべきかには、迷った。
彼女が旅館かホテルに居るかを確認しようか迷った。でも、探している暇はない。それに、
慎重に歩いているつもりでも、サクサクっと枯れ葉を踏む音だけは、どうしても響く。
やがて、その音が二重奏になる。
毘沙門の塔ちかくまで登った私の背後に、後をつけていた綺羅さんの声がした。
「そろそろ、教えてくださらない?」
「やっぱり、つけて来ましたね」
「そりゃあ、心配だもの。あなたみたいな小さな女の子が……」
「若い女性が夜道に一人、心配なのは綺羅さんも同じですよ」
「今は一人じゃないわ」
「私もです」
屁理屈同士だけど、一瞬微笑み合った。
「でしたら、もっと早い段階で声をかけて下さいよ。この石段、もう毘沙門塔に登るしか行き先だって無いんですから」
「ふふふ……だって、こんな夜中に独りで塔まで登るだなんて……面白いじゃない。目的地まで邪魔はできないわ」
「ええと、その理由は、ちょっと弱いと思います。幾らあなたが
「あなたのその反論もね。真偽を判定するには甘いし、コイントスを目で追った後で裏か表かを決めるような話だわ。どうとでも結論を恣意的に解釈できるもの。正に『選択的解答』ね」
曖昧な微笑みを絶やさないまま、柔らかな物腰で綺羅さんは少し身を屈めて、私に視線を合わせる。
「――つまり巴さん、あなたは私を『おびき寄せるために抜け出した』のね? そして私は
「それを理解した上で追ってきている時点で、そんな表層上の想定は消失しますよ、双方とも」
うぅん、と少し綺羅さんは考え込む。
そう。綺羅さんは理知的な人で、簡単に尻尾を出すような人でもない。
だからこそ
「選択的……ようは、後付け後出しなら何とでも誤魔化せるし、未確定、未確認の状況は全て机上で反駁可、『どっちもどっち』の曖昧にもできるって話ね、確かに証言にはならないわ」
「それでも、箱の中に未決の確率を詰め込むこととは根本的に違う点があります。それは『既に為されている結論』に対して。
「ハトは出さないわよ? ハトに限らず、たぶん
「もっと具体的にいうなら、両面とも表のコイン、裏のコイン、そのどちらかをあたなは持っていて、結果を
「……あなた、本当に中一?」
「ハイ。よくいわれます。……あの、綺羅さん」
「何かしら?」
「不確定……いえ、『未回答』の話と、その確認です。私は、綺羅さんが『
私のその言葉に、綺羅さんは小首を傾げて考え込む。
「これから? 私が? 何を、ですって?」
「はい。ですから、それがわからないんです」
「……う~ん。『わからない』といいながら、私が、これから何かをするって思ってるのね? どうして?」
「そこは、単なる憶測です。……伝聞ですけど、粂さんの言葉に、どうしても引っかかることがありましたから」
「お婆様に……? 何かしら?」
「粂さんが、リヒテルさんによる放火を
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