第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その5)


 ミシ、ミシっと、古い日本家屋の長い廊下に、誰かが近づく音が響く。


「やぁ、おかえりんせぇ嬢さンら。あんねェ、何ゆぅ子だっけか思い出っしゃぁよ、ウンウン」

「あ、お婆さん。先ほどはどうも」


 今朝にお話を伺った仲居頭のお婆さんが、わざわざ奥の部屋から私たちを捜しに来たようだ。さすがにお婆さんの歩行速度では、待っているこちらも間が持たない感じはあるけど。

 ――思い出す?

 ああ……そういえば最初、何かおっしゃってたような……。「あと、あの子ら――」って、


「ウンウン、シオリさんゆー子かぃね。ふだしておいでんせぇな、昭和の終わりっ頃かいねェ」

「あぁ――いらしてたんですね、他に先輩も」


 沙織さんと魅織さん、お婆さんの中で混じっちゃったようですけど。

 そう……その話をうかがった時点で、私も真冬さんの活躍以降に、別の先輩がこの宿に来たことに気付くべきだったんだ。


「……ウンウン、せーでな、ワシかんじんな話わすれよぅなよ、イカンねぇ」

「はい?」

「ウン、じきに後輩がココに来よるよーならゆう、伝言お願いされよぅでな」

「伝言……?」


 え、魅織さんから? それとも沙織さん?


「ン……えぇど何じゃっけかなぁ、あーイカンイカン、どんなんかサッパリ忘れようなぁ、アッハッハ!」

「あは……あはは、いや、まあ、その……」


 いや、まあ期待はしていませんでしたけども、えーと。伝言って。

 ……いつ現れるかもわからない、何年先の未来になるかも知れない「後輩」に、メッセージを残す……? ちょっと、それは私には考えられない行為にも思えた。


「こりゃまた、どうしたもんだろうね」


 やや呆れ顔で、カレンさんたちも苦笑いをしていた。とはいえ、そんな何十年も前の、誰宛かもわからない伝言なんて、覚えているほうがやっぱりどうかしていると思うし、責められる話でもないし。


「う~ん。思うに、メッセージの中味そのものは、そんなに重要じゃないと思います」

「え、そう?」

「重要なのは、そうやって『遺したい』メッセージが存在した、という事実だけなんじゃないかな、って」

「う~ん、それ、ちょっと私にはわかんない」


 まあここは私も、ロマンが過ぎる考え方だとは思うけど。


「ん~、ああ、いっこだけ思い出っしゃわァ、えー、何かいねぇ……そうそう、『正義』がどーのこーのおっしゃっせなァ」

「正義……?」

ェかワリィかの判断は任す、ゆうよぉな」


 え。何ですって? 何のっ!?

 ……さすがに一番蔵と二番蔵の間のは関係ないか。

 ―― Justice ……。


「正義って……イキナリいわれてもなぁ」


 カレンさんも少し考え込む。


「ですよねぇ。探偵にとって、ほど遠い言葉の一つですし」

「えぇっ!?」

「えぇっ!?」


 今度は宝堂姉妹が目を丸くした。


「そんなコトないわよ。正義感って、探偵には一番必要な物だと思う」

フェアネス は必要ですし重要ですけど、正義はどうでしょうか」

「だよねー。探偵って行為が、そもそも違法性のカタマリなんだし」

「カレンはそんなだから良くないのよ……。ホラ、巴ちゃんにだって悪い影響与えちゃうし」

「えっ、私が?」


 う~ん……。


 ここで正義とは何ぞや、を言い争っても意味はないと思うけど、カレンさんと宝堂姉妹が軽く口論を始めて、さて私はどうしたものかと考え込む。


「あ、そうそう」


 考え過ぎかもしれないけど、これは一応お婆さんに聞いておかないと。


「楓さんの事件当時をご存じの方が、もうお婆さんだけになってしまいましたけど……」

「ほんに。あん頃ァ伸夫サンらも祐二サンも子供じゃったしなァ。まァ、粂サンも大往生よねェ、ワシよりだいぶどし上じゃけぇな」


 ウンウン、と感慨深そうにお婆さんは頷く。


「こっちにんのはみーんな、死によぉでな。ワシだけじゃ。ダヅヨさんの方なぁ、喜一さんもまだ居らっしゃんのじゃろぉがの」

「あ、そうですね……」


 美佐さん、親子ほどの年齢差のある相手と結婚しているんだから、大変なんだなぁ、と今更に思う。それくらいの年の差カップルもまた、珍しくはないのだろうけど。


「ええと、他には……」

「んンー、やァ、みーな死によぉでよ。ヤハさんのンも皆。どく夫さンも暁夫さンも善夫さンも、ワケわからん死にかだしょーで。ハヅさんも大往生はしょーでじゃけどねェ」

「あ、ハツさんのことは初耳です」


 確か当時の使用人の一人。あとは――。


「ンでー、生きよっせのァ伸夫さン恒夫さン、あと力でるさンだけじゃろ。操さンもねェ……なーんで死んでじゃか」

「操さんの自殺は……原因、わからないままなんでしょうか」

「遺書も無ァしねェ、まァ……旦那サンが事故で死によぉでじゃけ、後を追いようなぁで」

「そういった、愁傷な話でしたか……」


 ここで、お婆さんの笑顔がスゥっと消えて、声のトーンが沈んだ。


「……そこぁどーなんか、ワシにゃぁ何もいえん」


 ……お婆さんは、操さんの自殺の理由を知っているのかも知れない。だけど、ここでそれ以上のことを、問いただすような真似は私にはできなかった。

 仮に粂さんも自殺なら、八幡家に嫁入りしてきた者は次々と自死を遂げたことになる。

 ちょっと嫌な話だ。


「それと、タエさんはその後、どちらに?」


 さすがに、あの事件の後まで八幡家でお手伝いを続けられたとも思えない。


「ん……まあ、お縄になるよーなこどでもねーしなぁ、ヤハさんからお暇貰ぉで、K市の方で女工やりょうなぁ話ァ、力輝サンから聞いだなァ、ほでも、万博の頃くらいにゃー病気で死んだァゆうの聞いでねェ」

「つまり伝聞だけで、詳しくは存じてらっしゃらない……わけですね」

「ほんにのぉ」


 ――過去の事件のその後の話って、必要なのかしら? ……と、先輩たちは目で軽く訴えている。うん。やっぱり、気になったから。


「えっと……それと、最後にもう一つ。気に障ったらゴメンなさい、あの、お婆さんの『発音』のことなんですけど」

「ン? ワシがどーかしょっかね?」

「お婆さんの喋り言葉、備前の方言とは違いますよね? どちらの言葉なんでしょうか?」




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