欠陥勇者の少年と最強魔王のお姉さん
雨音恵
序章:勇者アスタの戦い
「あなたは……もしかして……魔王ですか?」
この震える声の主は銀髪碧眼の少年。年のころはまだ十歳前後と幼く、それに相応しい短身と可愛らしい容姿をしているが成長すれば間違いなく世の女性たちを虜にする美男子に成長することだろう。
その背には子供が持つには不相応な長剣を担いでおり、いつでも抜けるように右手がその柄に伸びている。
少年の名はアスタと言い。幼いながらも勇者としてサイネリア王国より魔王討伐の任を受けた世界の希望そのものである。
「あら……久方ぶりの客人だと思ったら……その気配。その魔力。そして背中のその剣。もしかしてあなたは勇者様かしら? フフフ。懐かしい……私を殺しにでも来たの?」
そんな彼の前にいるのは一人の女性。アスタの戦う者として直感がこの人物が絶望を齎す諸悪の根源、すなわち魔王であると告げている。シャラン、と剣を抜いて構える。思いがけない遭遇による緊張で汗ばむ両手でしっかりと剣を握り締め、アスタは最大限の警戒態勢にとる
「あらあら。そんな怖い顔をしたら可愛い顔が台無しよ? 子供は子供らしく、笑っていたほうがいいと思うのだけれど……でもそれは無理な話よね」
悠然と佇み、微笑む美女。
ここは【常闇の大森林】と呼ばれる森の最深部。その名の通り、一歩踏み入れれば昼間だろうと関係なく陽の光が入らない黒の世界に包まれる。
一度入ったら出られない死の森と呼ばれているこの場所で、唯一太陽の光が降り注ぐ、拓けたこの場所に、場違いなほど美しい木造家屋から悠然とした足取りで出てきたのがこの女性だ。
闇を思わせる純黒のドレスに身を包んだ妙齢の美女。アスタがこれまで生活してきた王城でも見たことがないくらいの美しい。整った眉目、気の強さを伺わせる少し吊り上がった目尻だがその瞳は慈愛に溢れている。
王城にいた全ての女性よりも大きな胸はドレスから零れそうになっており、さらに腕を組んで下支えしているからその凶暴さがより強調されている。流砂のような金髪を腰まで流しており、それは陽を浴びて星のようにキラキラと輝いている。
「私の名前はエーデルワイス。あなたの言う通り魔王よ。可愛くて小さな勇者様。あなたのお名前、教えてくれるかしら?」
まるで迷子の子供をあやすような言い方に、アスタはカチンときた。確かに自分はまだ十歳の子供で背も小さい。けれど王城にいる自分と同じような子供たちよりもアスタは一生懸命に剣を振るってきた自負があった。だから彼は力強く宣言した。
「ぼ、僕の名前はアスタ! サイネリア王国の勇者です! あなたを倒すためにここに来ました、魔王エーデルワイス!」
「そう。アスタ君っていうのね。いい名前ね。それにその銀色の髪も素敵よ」
ニコリと笑みを浮かべながらアスタの名前と銀髪に素直な称賛を送ったエーデルワイス。
自身の名前や周囲からは気味悪がられていた髪の毛や素敵と言われたことが初めてだったアスタは相手が魔王だとわかっていても少し嬉しい気持ちになってしまった。
「それで。アスタ君はどうしてここに私がいるとわかったのかしら? もう私のことを知っている人間なんていないと思っていたのだけれど……?」
しゅっとした顎に手を当てて首を傾げる魔王エーデルワイス。不謹慎と思いつつもアスタはその仕草を見て可愛いと思ってしまった。
だが彼女に言われてみて初めて彼は考えた。どうして自分はこの森に来たのだろうかと。
彼が国王からの与えられた命令を要約すると、
―――世界を不安と恐怖に陥れる魔王を討伐してくるのだ―――となる。
現存する魔王は四人。それらがどこに居城を構えているかはアスタの頭に入っていた。国を出るまではどこに向かうかも決めていた。そのはずなのに気が付けばほとんど陽の光が入らない死の森の中に足を踏み入れていて、なぜか今こうして
―――あれ、どうして僕はこの人が最古の魔王だって知っているのだろう。
アスタの中でまた疑問が泡のように浮かび、消えていく。
「まさか直感? いえ、ありえないわね。それならこの子以外の勇者が今までたくさん来ているはず……フフフ、面白い。本当に久しぶりに……興味が湧いたわ」
魔王エーデルワイスは一歩、また一歩とゆっくりと前進してアスタとの距離を縮める。近づくにつれて彼女の身体から発せられる圧力が大きくなり、アスタの身体がその強大すぎる力を前にして小刻み震え出す。
本能が警告している。彼女には誰も勝てないと。
「フフフ。ねぇ、アスタ君。あなた……私のモノにならない? 大丈夫、痛いことはしないから。少しだけ……そう、少しだけ。あなたの身体を触らせて欲しいの。ダメかしら?」
舌なめずりをしながら。獲物を見つけた肉食獣のような目で。とても艶のある声で。魔王エーデルワイスはアスタに提案した。彼は思わず後ずさりした。
本能が警告している。彼女から逃げろと。
しかし。アスタは幼いと言っても仮にも勇者。人類にとって最大の敵である魔王を前にして逃げ出すわけにはいかない。緊張と恐怖で早鐘を打つ心臓を落ち着けるため、アスタは大きく深呼吸をする。その様子を余裕の笑みを浮かべて眺めている魔王様。そんな顔をしていられるのも今だけだ。
「行くぞ……魔王、エーデルワイス」
アスタは初めから全力を出すことにした。自身の身体の中にある魔力―――精気、生命力ともいい誰しもが有しているモノ―――を行使して切り札である魔法を発動する。
「フフッ。あなたの銀髪に似て、とても綺麗な輝きね…………それにどこか懐かしい。高位の身体強化の魔法ね?」
「
銀色の
アスタが剣を一心不乱に振り続けたのは純粋に強くなりたいという思いもあったが、それ以上に魔法を使えなかったためだ。彼以外の勇者である子供たちは魔法で大きな爆発を起こしたり、周囲を一瞬で凍らせたり、雷を起こしてみたり、とにかくド派手で強力な魔法を使うことが出来た。
しかしアスタにそんな才能はなく。その代わり使えたのは身体を強化することだった。これは勇者でなくても騎士や他の人でも使用できる基本的な魔法であり、身体を強くしたところで通用するのは精々魔王の配下である魔物まで。絶大な魔王が相手では意味はない。だから他の攻撃的な魔法が使えないアスタは出来損ないとして蔑まれた。
だが実際は、アスタは十人いる勇者因子を持つ子供たちの中で最も強く、今回の魔王討伐に任命された。
その理由はこの魔法【
だからアスタは誰よりも強かった。魔法が使えなくても勇者としていられる彼の心の拠り所。
「時間がありません。行きます―――!」
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