第21話 聖女と勇者と騎士
『慈愛』の聖女こと、アイシアは聖堂の一室にいる。
彼女は跪いて祈りを捧げながら、とある人物を待っていた。
その存在を誰もが知っている。
その存在を誰もが敬う。
曰く、世界の希望。
曰く、神の怒りの代弁者。
その奇跡の名を、人は勇者と言う。
アイシアは緊張していた。
勇者様自身の人柄は秘匿すべき事柄なのか、アイシアの耳には入ってこなかった。
しかし、勇者様をとりまく神官の方々については別だ。彼らは信徒の中でもとりわけ宗教的なマナーに厳しい人たちだということで有名だった。神の信徒であるとはいえ、アイシアは元々、辺境の田舎村で暮らしていたただの村娘に過ぎない。牧歌的だった農村で、比較的緩い戒律の下生きてきたアイシアにとって、総本山たるこの都が要求するルールを短い期間で身に着けるのは、とても大変なことであった。
今でもこうして粗相をしないか、不安でいっぱいなのだ。
コン、コン、コン――コン、コン――コン。
『謙譲』を意味する三重のノックがドアを叩く。
「失礼。祈りに加わってもよろしうございましょうか」
「神の家に鍵はありません」
神官の入室の許可を求める声に、アイシアは立ち上がって応諾する。
やがて、ドアが開かれる。
「――聖女と二人で話がしたい。外で待ってろ」
先導しようとした神官を制止し、一人の男性がゆらりと姿を現した。
聞くまでもなく分かった。
あの方が勇者様だ。
その見たこともない奇妙な服を見るまでもなく、一声で神官たちに命令を下せる人物など、勇者様以外に思い当たらない。
「あんたが聖女か?」
勇者様はそう言って、刃のような鋭い目つきでアイシアを見つめてくる。
「はい。じ、『慈愛』の聖女、アイシアと申します」
未だに言いなれない二つ名と共に、アイシアは自身の名を口にする。
ちなみに、勇者に二つ名はないらしい。
勇者はその呼称そのものが最大級の尊称だからである。
「俺は、勇者、イイダツネオだ――ああ、俺の前ではマナーとかは気にしなくていい。俺も守るつもりがない。マナーなんて、マナーで儲けたい奴らが考え出した虚構だ」
「そ、そうですか。ありがとうございます。私も正直、マナーには疎くて」
アイシアはほっと胸をなでおろした。
単純に、勇者様がお堅い方でなくて良かったと思った。
「そうか。……俺は回りくどいことが嫌いだ。だから、単刀直入に確認する。神官共が言っていた通り、俺に力を貸すつもりはあるってことでいいんだよな?」
「はい……。騎士領へ売り払われた私の村人を、隷従の憂き目から救って頂けるなら、私は勇者様にこの力を捧げます――その、ごめんなさい」
アイシアはそこで視線を伏せる。
「なぜあんたが謝る? 何か悪いことをしたのか?」
勇者様の目がすっと細まる。
アイシアはその迫力に鳥肌が立つのを感じた。
「い、いえ。で、でも、聖女の癒しの力は、万民を救うためのものだと聞いています。ですが、私はそれを、自分の身内や知り合いのために使おうとしているから」
万民を救うなど、アイシアには思いも及ばぬことであった。
そもそも、アイシアにとっての『世界』はついこの間まで、自分の村と、せいぜいその隣くらいのものであった。
「あのなあ。そもそもアイシアの大切な人たちが奴隷になったのは、なんでだ?」
「……村人がお勤めを果たせなかったからです」
「違うだろ? 強欲な神官共のせいだろ? 私欲のために異常な重税をかけて、払えなかったら奴隷にする。そんな畜生以下のくそ共のせいだ」
「それは――」
あまりにも率直な物言いに、アイシアは目を見開く。
確かに、勇者様の言うことはアイシアにとっての真実であったけれど、この人は反発というものが怖くないのだろうか。
どこに神官たちの目や耳があるか分からないのに。
「……口を
勇者様は唐突に声を荒らげた。
「はい?」
「口を噤んだからって、権力者たちが察してくれるなんて思うな。不正に声を上げなければ、なかったことにされるんだ! そして、あいつらはますます調子に乗る! だから、思い知らせてやらなきゃいけない! 俺たち下級国民の怒りを!」
「……その通りだと思います。でも、私は恐ろしいんです。お偉い方々は、色んな力を持っているから」
アイシアの隣の村は、一揆を起こして皆殺しにされた。
直訴状を持って行ってくれたあの人の良い行商を、二度と見ることはなかった。
「その横暴に対抗するための力が勇者だ。あと、アイシアが言ってた万民云々の件は気にすることない。俺は全ての奴隷を解放する。その中に、たまたまアイシアに親しい者が含まれているというだけだ」
「ぜ、全員ですか?」
アイシアは無知な村娘だったが、それでも奴隷が貴重な財産であることは知っていた。
それを、全部解放させる?
それは、例えるなら、アイシアたちの飼っていた鶏や豚を根こそぎ奪われることに等しい。
そんなことが可能なのか?
所有者がそれを許すのか?
「当たり前だろ。すでに教皇には奴隷の解放を約束させた。当然、ガーランドの奴らにもそれを約束させる。その次は魔王を殺して、その先にある商人どもの国だ。住んでる地域が違っただけで、こっちの奴隷は解放されて、あっちの奴隷はそのまま、なんて不公平が許される訳ないだろ」
勇者は躊躇する様子もなくそう言い切った。
確かに、アイシアはこの聖都に来てから、一人の奴隷も見ていない。
もっとも、あまり外出させてもらってないから、見えている範囲は狭いかもしれないけど。
(これが、勇者様……)
それは、紛れもなく光であった。
眩しすぎて、アイシアごとき村娘では、目を背けたくなるほどの希望だった。
ああ、だけど、このくらい強い光でなくては、万民を照らすことなどできないのだろう。
アイシアは畏怖と尊敬を持って、勇者の前に跪いた。
確かに、彼が『神の怒り』の体現者である気がしたから。
「素晴らしいお志だと思います。誰もが、虐げられることなく、自由に、幸福に生きられる世界がやってきたなら。私にそのお手伝いができるなら」
アイシアは、純粋に心から祈った。
そう祈ることができるからこその聖女であった。
「ああ。ただ、当然、敵も抵抗してくるだろうな。ガーランドで誰に話をつけたらいいのかは知らないが、一番トップの所までいくまで、道中の敵を全員ブッ飛ばしていくのは面倒だ」
勇者は腕組みする。
『面倒だ』ということは、必要があればやるつもりなのだろうか。
勇者はとてつもなく強いだろうが、騎士だって強い。しかも、勇者は一人だが、騎士はたくさんだ。
ひょっとして、ということもあるかもしれない。
それに、騎士と戦いになれば、その過程で奴隷の兵士と戦闘になって、アイシアの身内が死ぬかもしれない。
そうなれば、癒しの奇跡でも、お手上げだ。
神は、死者を生き返らす逆理を許しはしない。
そして、アイシアには、万が一にも死んで欲しくない人がいた。
「そ、それならば、ガーランドの有力者の方に、『騎士王』との謁見の手引きをして頂いたらいかがでしょう」
アイシアは、かつてもう一つ、希望の光を見たことがある。
それは、勇者ほどの強さを持った光ではない。
勇者の強さを太陽とするなら、それは夜道をそっと照らしてくれるような優しい月の光だった。
「そんな奴いるのか? あいつら、奴隷を戦争に使うようなクズだろ?」
「全てがそのような方々ではございません。『純潔』の騎士団長――ジュリアン様は、騎士王様の意向に関わらず、ただ己の正義に従って働かれる御方です。事実、私は彼女に命を救われました」
勇者は希望だが、いつの時代も側にいてくれるわけではない。
勇者は魔王と共にしか現れないのだから。
勇者も魔王もいない、狭間の時代に生きる庶民にとっての、身近な希望こそ『純潔』の騎士団長であった。純潔の騎士団長は、汚れなき乙女の中から、『聖剣』に選ばれて生まれる。彼女を戴く、汚れなき乙女のみで構成された『ユニコーン騎士団』は、国の如何を関わらず、盗賊や魔物の脅威があれば無償で駆けつけてくれるのだ。
「わかった。俺がぶっ殺したいのは悪い奴だけだ。そいつが弱い者のために戦う正義なら、拒む理由はない。会ってみよう」
勇者が頷く。
「それでは私がジュリアン様に便宜を図ってもらえるように手紙をしたためます――といっても、私は字が書けないので、神官様に代筆して頂く形になりますが」
アイシアはかしこまって告げる。
(多分、ジュリアン様は、私のことなんて覚えていないだろうなあ……)
ジュリアンにとって、アイシアは守るべき民の一人にすぎないことを、アイシアは自覚していた。
ただの村娘の懇願なら、常に数多くの陳情を常に抱えているジュリアンに届くことは期待できなかっただろう。
でも、今のアイシアなら――『慈愛』の聖女のそれならば話は別だ。
「わかった。もしかしたら、神官共が自分に都合のいいように文章を改竄する可能性もあるから、一応、俺も目を通させてもらうぞ」
「はい」
勇者の確認に、気もそぞろに頷く。
(もう一度、会えたらなんて言おう)
密かな胸の高鳴りを感じながら、アイシアは手紙の文面を考え始めた。
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