第12話 ゴブリン繁殖計画

 プリミラが妻となった翌日、聖は彼女と共に、ゴブリンの標準的な住処――というより巣と形容する方がふさわしいその場所へと訪れていた。


 すなわち、洞穴である。


 その多くは、自然現象、もしくは他の動物が掘った穴を再利用し、拡張する形で形成されていた。


「このように、ゴブリンは非常に不衛生な環境で生活している訳です。で、あらば、抵抗力を得る成体になるまでの幼体の致死率が高いのは当然です」


 聖は中腰になりながら、洞穴の中を検分していた。


 魔族の中で最弱であるゴブリンは、他の魔族からその身を守るため、他の魔族の誰もが住みたがらないような劣悪な環境に身を委ねる。


 食事、就寝、排泄、生殖、おおよそ生活の全てを同じ空間で行い、清掃という概念のないゴブリンの巣は、すえた腐敗臭で満ちていた。


 今も、聖とプリミラの圧倒的な魔力に恐れをなしたゴブリンたちは、排泄物にまみれながら、洞穴の隅でただただ平服している。


「なるほど。ヒトも密集した場所で暮らしていている弱い個体ほど、病気になりやすかった」


 プリミラは頷いた。


 既にヒトの都市にバイオテロをかましているプリミラは、すぐに聖の言ってることに納得がいったらしい。


「ええ、その通りです。増して、洞窟は空気の流れが悪く、ヒトのスラムよりも生活環境は悪いとさえ言えるでしょう――もっとも、ゴブリンにとってはそれすら生存政略の一貫だったのかもしれませんがね。そもそも、この程度のことは、私でなくとも気付いて欲しいところですが」


 『あんな臭くて汚くて小さくてまずくて食いでのない生き物を襲う価値はない』と、他の魔族に思わせることができれば、それはそれで既に育ち切ってしまったゴブリンにとっては利益なのであった。


「……中級以上の魔族ならば、呪いでもなければ、自然の病にかかるような軟弱な肉体はもっていない。だから、考えたこともなかった。ゴブリンは、魔物よりは、むしろ、ヒトのような脆い存在として認識すべきだと再確認する」


「ええ。加えて、ストレスという考えもあります。全ての動物には多かれ少なかれ縄張りーーヒトでいうところのパーソナルスペースがあります。こんな狭い場所に押し込められていたら、ストレスで共食いが起こっても仕方ないですよ」


 聖は何となく、ハムスターを連想していた。


 小学生の頃、クラスで飼っていたハムスターの世話がおざなりになり、中々、グロテスクな光景が繰り広げられたのを思い出したのである。


 動物は、ストレスが貯まると容易に共食いを始める。


 それと同じように、このような環境ではゴブリンの生存率が低くなるのは仕方ないことであった。


「……道理。ゴブリンを地上に引っ張り出す?」


「はい。幸い、多くの魔族が討ち死にしたことで領地は余っていますからね。ゴブリンの繁殖に地上のスペースの一部を使っても、他の魔族からは不満は出ないでしょう」


 ゴブリンの生育環境の改善についての現場確認を終えた二人は、そう話し合いながらさっさと巣穴から出た。


「……了解。ワタシは、ゴブリン用の入浴施設を作る準備に入る。灌漑用の水も、いくつか貯水池はすでに準備済み」


「仕事が早いですね。できれば、雨風を凌げる程度のゴブリンの住居も作って頂けるとありがたいのですが」


「はっきり言って、ワタシはそういうのは得意でない。住居を作るなら、土魔法が得意な他の魔族を使うべき。農地の開発も、半分はワタシが出来るけど、灌漑用の経路の整備や、土壌の改良には土魔法の助力が不可欠。具体的には、『暴食』の魔将であるギガ」


「プリミラさんの指摘はもっともです――他にも、ゴブリンが種付けをして、出産が見込める頃には、教練も開始しなければいけませんが、やはり、それにも別の魔将が必要ですよね?」


「そう。ワタシは前衛の練兵はむかない。特に、水の魔法の使い手は、搦め手が得意なのが多かったから……。直接戦闘に明るいのは、やはり『憤怒』の系列。今の魔将はフラム。計画の実現のためには、最低限、ギガとフラムは確保すべき」


「シャミーも同意見でしたね。そこら辺、魔王の権能を使えば一発なのですがね。それでも、なるべくなら強制はしたくないのです。一度でも強制的な命令を使えば、真の意味で魔将たちとの信頼関係は築けそうにありませんから。――皆、プリミラさんのように賢明であることを期待したいのですがね」


 一度でも強制的な命令権を発動してしまえば、『調子のいいことを言って、いざとなっれば無理矢理服従させるのだろう』という疑念をもたれても仕方がない。


 ちなみに、聖はシャムゼーラに対して一度魔王の権能を使用したが、彼女は魔王を召還した張本人なので、当然命令される覚悟もしていただろうからノーカウントである。


 ――というより、むしろシャムゼーラは性癖的に、聖に無理矢理命令されることを喜びそうな節があるが。


「……魔将たちは魔族全体の危機的な現況を認識できないほど愚かではない――と思う。……おそらく、魔王に対する伝統的な偏見が、他の魔将の帰参を邪魔している。ワタシがその誤解を解くために、残りの魔将に手紙を書こうと思う。旦那様は、今までの魔王とは違うという事実と魔将に対する厚遇を伝え、それぞれの魔将が望む利益をほのめかして、諸将を誘引する」


「誘引するには、その対象が何を欲しているかを正しく理解している必要がありますよ?」


「……みなまで言わなくても大丈夫。諸将が抱いている『本当の欲望』を、もちろんワタシは知らない。だけど、それぞれ二つ名持ちの魔将になったからには、無視できない『建前上の利益』が存在する。仮に無視すれば、魔将としての名に傷がつく。……もちろん、ワタシが協力できるのは、彼女たちを旦那様の前に連れてくるまで。そこから先――諸将の心を掌握するのは、旦那様の仕事」


 例えば、『暴食』ならば食らうことにこだわらなければならないし、『嫉妬』ならば他者が力をつけるのを座視している訳にはいかない。


 魔族の伝統的な徳目は因習に過ぎないが、その因習を逆に利用してやろうというのだ。


「そこまで理解して頂いているのならば、何も問題はありませんね――私自身がはなから報酬を提示するのは嘘くさいですからね。気を回して頂けると助かります。期待していますよ」


 絶対的な命令権を持つ魔王本人が、いきなり報酬を払うから来い、と提案しても、多くの魔将は何かの罠かと勘繰るだろう。


 その点、同じような立場にある魔将であるプリミラからのお墨付きがあれば、信用度はぐっと増す。


 無論、シャムゼーラも魔将であるが、やはり彼女は魔王召喚の当事者であるから、己の行動を正当化しなければいけない立場――すなわち、初めから魔王サイドにつく動機が明らかであるので、諸将を勧誘するには中立性が薄い。


「……任せて」


 プリミラは頷く。


「よろしくお願いします。プリミラさんの手紙は、任務のついでにワーウルフにもたせましょう」


「……ゴブリンの繁殖相手の確保のついで?」


「はい。とにかく、今は片っ端から雌を集めることが肝要ですからね」


 ゴブリンの繁殖相手として、即座に使えるのは生き残った魔族の雌。だが、中級以上の魔族にはゴブリンの母体とする以上に有益な使い道があるし、下級魔族のメスだけでは数が全く足りない。


 だから、冬眠中の野生動物を捕獲することはもちろん、ヒトに化けるのが得意な人狼には、商人を装って、辺境の村から家畜や奴隷を買い集めさせるつもりだ。本当は都市の市場にアクセスするのが一番買い付けの効率が良いが、そういった都市部には必ず魔族対策として偽装を見破れる神官や魔法使いもいるので、避ける必要があった。また、都市部で派手に買い付けをすると、こちらの計画の意図が敵に気取られる可能性を避けるという意味もある。


 なお、現金の心配はない。魔族は通貨を必要としないので、今までの魔族の歴史の中で、ヒトを狩った余禄として、財物はドラゴンなどの光物が好きな魔族の巣に溢れかえっている。


 武器に転用しやすい銅貨などはすでに鋳つぶされてしまっているが、銀や金は武器に使っても役に立たないので、余っているのだ。


「……戦乱で農地と共に家畜を放棄する農民も多いし、親を失って奴隷堕ちするヒトもたくさんいる。問題なく雌の動物は集まる」


 プリミラは確信を持って言う。


「そうだと期待しましょう」


「……大丈夫。散々、ヒトの住処を荒らしたワタシが言うんだから間違いない」


 プリミラがそう言って、自慢げに胸を叩いた。

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