第29話

 アーチを抜けてすぐの場所は駐車場だった。車での来客を空いているスペースに案内するか、満車になれば近くに借りた別の駐車場を案内する。わざわざ近場の空き地を駐車場として借りているあたりに気の入りようを感じる。

 駐車場に隣接する体育館からは音楽と歓声が漏れ聞こえてくる。聞こうと思えば歌詞さえ聞き取れるだろう。


「騒音対策はもっときっちりしたかったんですけど、暑さ対策との兼ね合いもあって中途半端になっちゃったんですよね」


 体育館を気にしていると小百合が不満げに呟いた。

 うるさいとかそういった意図があって視線をやったわけではないのだが、小百合はどこか悔しそうにしている。

 体育館の防音は実行委員会の中でも意見が分かれた。

 熱中症対策は各自の責任で行わせ完全密閉すべきと主張する一派と、参加者の安全第一で騒音対策より熱中症対策を優先しようとする一派である。

 前者は自分たちさえ楽しければ迷惑は気にしなくていいのか、周辺住民の協力を得られなくなる、自分で体育館に入るのだから体調管理は自己責任、と主張した。後者は一日限りのこと、熱中してしまえば体の異変に気付かない人もいるだろう、安全第一と主張した。

 議論の場は何度か持たれたが、なかなかまとまらなかった。

 転機は、どうせ学園祭をやるなら騒がせることになるからと、実行委員たちが手分けして周辺住民に挨拶をしている時に訪れた。

 完全密閉派の委員が挨拶に訪れた家は、学園祭の実施に否定的だった。準備に集まってくる実行委員がいるだけで騒いでもいない時期だったが、目障りな学生が消えたと思ってたのに不愉快だ、邪魔だ、やめろ、などと苦情を言われた。

 学校のそばに引っ越してきたやつが何を、と反感を覚えたところで自治会の集まりに顔を出した。ここでも嫌味のひとつも言われるかと思ったら、


『にぎやかでいいじゃない』

『前より盛大にやるって? 楽しみだな』

『学校が閉まっちゃって寂しかったのよねえ』

『何か手伝えることがあったら言ってくれ』


 と、肯定的に迎えられた。

 完全密閉派がぐらついたところで、実行委員長が決定を下した。


『どうせ来年には開催しないからクレームは気にしなくてヨシ!』


 わりと最低な鶴の一声により完全密閉派はいなくなった。

 とはいえ肯定的な人にさえうるさいと思われたら残念なので、過去にこの学校で学園祭をやった時よりも気合を入れて防音した。

 それでもしっかり音が漏れているのは予想以上に盛り上がっているからである。


「結構うまいバンドもありますけど、前島くんが体育館に行くことはお勧めしません」

「分かってる。人が密集するところに杖で行くのは危ないからね」

「それもありますが、耳栓持ってきてませんよね」

「あ、そういう」


 爆音轟く場所に慣れていないなら耳栓は大切である。耳が痛い状態よりも適度に耳をふさいでいた方が聞こえることもあるのだ。

 帰りに興味があったらちょっとだけ覗いてみることにして、二人は体育館に背を向けた。

 駐車場から敷地内に入ればたくさんの露店が並んでいる。かき氷やたこ焼きといった縁日の定番、冷やうどんといった変わり種と、種類も多い。


「唐揚げなんてあるんだ。学園祭の露店ってあんまり火を使うものは出せないイメージあったんだけど」


 歩が知る限り中学校や高校の学園祭では火を使わないことが多い。理由は単純に危険だからである。

 お好み焼きやたこ焼きくらいならホットプレートで作れるだろうが、大量の揚げ物を作るとなると相応の火力が必要になる。

 火事だけではなく、熱した油をひっくり返してしまったら大惨事だし、鶏肉は生焼けだと食中毒の恐れがある。素人が出すにはリスキーな品物だろう。


「揚げ物はほとんど校舎内の調理室で作ってます。お店を閉めた人が監督してくれているので、味も安全性もなかなかですよ。……少しお腹がすいてきましたね」


 そう言って小百合が紙コップひとつ分の唐揚げを買った。揚げたてなのか、小百合が歯を立てるとさくりと音がした。

 はふはふと熱そうに食べる小百合が、つまようじに刺した唐揚げをひとつ差し出してきた。

 恐る恐る、つまようじに口が触れないよう気を付けて口で受け取る。


「あっつ! あ、でもおいしい」

「でしょう。うちのクラスのお店なんですよ」


 衣はさっくりしており、肉汁が口にあふれる。それがまた熱いが、しっかり下味がついた肉はうまい。なるべく口に空気を入れて冷ますようにしながら飲み込んだ。


「うん、びっくりした。……欲を言うとご飯がほしくなる味だね」

「あ、すみません、おにぎり(小)ひとつください」


 小百合は歩の言葉を聞き流しながら隣の露店に声をかけた。

 そこにはおにぎりの屋台があった。ビニール手袋をした学生がはいよろこんでーと手際よくご飯を握り、海苔を巻いて小百合に渡す。小百合は器用に左手で紙コップとおにぎりを持ちながら、唐揚げとおにぎりを交互に口にする。

 そしてにやりと笑い、歩を見た。


「抜かりはありません」


 歩の目の前でまたひとり、唐揚げを買ってからおにぎりを買う人が流れた。

 杖を持った手の甲をもう片方の手でたたき、苦笑しながら称賛した。

 小百合は瞬く間に唐揚げとおにぎりを平らげる。次の露店でたこ焼きを買い、焼きそばを買い、他にもちょくちょく買い、学園祭にも侵食していたタピオカミルクティーには目もくれず、緑茶の屋台でお茶を買っていた。

 わざわざ連れてきてもらったのだから飲食代は自分が持とうとこっそり決意していた歩が口出しする暇もない早業だった。

 しばらく歩き続けて歩が疲れてきた。休憩しましょうか、と中庭のベンチに腰掛ける。


「…………ふぅ」

「タピオカとか興味ないの?」


 冷えた日本茶をあおってご満悦な様子の小百合に声をかけると、何言ってんだコイツと言いたげな視線を向けられた。


「あんな甘いのご飯のお供にはならないです、わたし的に。それよりこの露店は茶道部連合がやってるだけあって水出し緑茶がおいしいんですよ。気になるならタピオカ買ってきます?」

「いや、いいや……」

「さっきから何も買ってませんけど、足りますか? おすそ分け程度じゃお腹が膨れないでしょう」

「大丈夫。なんか、圧倒されちゃって」

「ああ……人、思ったよりたくさん来てますからね」


 違うそうじゃないと言いそうになった。

 歩が圧倒されているのは小百合の食べっぷりである。

 派手に雑に口に詰め込むように食べるわけではない。淡々と、上品に食べている。

 その手が早い。ずっと一定のペースでひょいひょいと食べ物が消えていくのは面白いが、この短時間で小百合が食べた量を考えるだけで軽く胸焼けする。

 どこに入ってるんだろう、と小百合の細い腰にちらりと視線をやる。

 一瞬のことだったのに、小百合は視線とその意味に気付き、カラになった紙コップを取り落とした。


「もしかしてわたし、大食いですか」

「……その、僕は同年代女子の平均とか知らないけど、カロリーで言えばかなりいってる気がする」


 パンケーキやクレープなど甘いものは食べてない。それだけましだろうが、先ほどから炭水化物や揚げ物を攻めている。食が細い歩は比較対象として不適切にしても、周りを歩いていた高校生男子と同等以上に食べているように見えた。

 歩は暇つぶしのひとつとして食事のカロリー計算していた時期がある。その時の自分の一日分のカロリーをあっさり摂取したのではなかろうか。


「ま、まあ気にすることはありません。スタイルは維持してますし。ところでホットドッグ食べますか。わたしはお腹がいっぱいになってきました」

「……うん、もらうよ」


 見たところまだまだ余裕はありそうだったが、空気を読んで受け取ることにした。

 包み紙を開いてみると見事なホットドッグが顔をのぞかせる。ケチャップ、刻んだタマネギ、マスタードがたっぷりかかっており、ソーセージもしっかりしたものだ。奇抜さはないが、極めて順当においしそうだった。

 遠慮なくかぶりつこうとすると視線を感じた。どこからの視線かなんて確認するまでもなかった。

 杖から手を離す。包み紙で再度ホットドッグを包み、だいたい半分になるよう力を込めた。

 ぱきっと小気味よい音を立ててホットドッグが割れる。半分を右手に持ち、紙に包まれたもう半分を小百合に差し出した。


「僕、お昼は病院で食べてきたから。ひとつ丸ごとは多そうだから、半分もらうよ」

「……そうでしたね。それならわたしも半分手伝います」


 二人でもそもそホットドッグを食べる。

 とても学園祭で売られているものとは思えない味だった。もしかすると、揚げ物と同じように元プロが関わっているのかもしれない。


「おっ、さっちゃんだー」


 歩がぼんやり中庭を見回していると、間の抜けた声がした。

 声がした方を向くと、染めた髪に着崩した制服と、これまで歩が関わったことのないタイプの女性が立っていた。

 慌てずホットドッグを呑み込んだ小百合が応じる。


「実行委員長じゃないですか。楽しんでます……ね」


 楽しんでますか、と尋ねようとして、小百合はそれが愚問だと悟った。

 実行委員長を見た歩は唖然とした。髪を染めていることとか制服を着崩していることとか関係なかった。

 まず、両手にどうやって持っているのか不思議なくらいに物を持っている。右手に持っているペットボトルはいいとして、右手の小指で器用に持ったリングポテトが存在感を放っている。左手にはそれぞれの指の隙間に挟むようにして学園祭案内図、焼き鳥、チョコバナナ、りんご飴を持ち、器用にもそれらが触れ合わないようにしていた。

 肩に下げたバッグはすでに膨れている。バッグ自体が今日買ったものなのか、大学園祭というパンフレットと同じロゴが入っている。季節外れのカーディガンを羽織っているが、これも学園祭で買ったものかもしれない。

 一目で学園祭をめいっぱい楽しんでいると分かる人だった。


「そのカーディガン、どうしたんですか」

「これねー、手芸部で売ってたの。可愛くない?」

「可愛いですけど暑くないんですか」

「暑いー」


 気の抜けた様子で額に汗をにじませながら応えた実行委員長は、どこか満足げだった。暑いことさえ楽しくて仕方ない様子である。


「で、そちらの男の子は誰よ。もしかしてさっちゃんの彼氏?」

「違います」


 冷やかすように歩に視線を向けた実行委員長に小百合はにべもなく即答した。


「初めまして。前島歩といいます。松葉さんとは同じ中学校に通ってました」

「あ、丁寧にありがとね。私は――」

「この学園祭の実行委員長です。大学園祭の言い出しっぺにして責任者です」

「自己紹介くらいさせてよー」

「すみません、なんかそうしなきゃいけない気がして」


 二人は歩を蚊帳のそとに楽し気に言い合っていた。実行委員長の方がいくらか年上のようだが、随分気安い関係らしい。


「で、どう前島君。学園祭は楽しんでる?」

「はい。食べ物がおいしいです。あと……食べ物がおいしいです」

「そっか」


 よかった点を並べようとして、まだ露店でつまみ食いくらいしかしていなかったことに気付く。

 まるで食べ物しか褒めるところがないような言い方になってしまって、慌ててそれ以外の感想を探す。


「あ、あと、活気があってすごいなと思いました」


 小並感。

 そんな単語が頭をよぎる。

 やっちまったと思う。顔が赤くなってきているのが分かる。

 こんなアホっぽい感想を言われたら笑われる、と思った。


「そっかぁ」


 実行委員長は笑っていた。

 ただし歩が想像していたような、嘲笑ではない。

 両親へのサプライズに成功した子供のような、心底嬉しそうな笑みだった。


「……どうして学園祭をしようって思ったんですか」


 屈託なく心から笑う実行委員長を見て、歩は思わず尋ねていた。

 様子が変わった歩を見て、実行委員長も居住まいを正す。ただし両手には荷物を持ったままである。


「こんな、大きな催しをしようと思ったら大変だったと思います。時間も手間もかかるだろうし、手続きとかもたくさんあっただろうし。それでもやろうと思ったのはなんでですか」


 きっと場違いな質問だ。

 ここは学園祭を楽しむ場所だ。小難しいような鬱陶しい問答をすべき場所じゃない。

 分かっていても抑えきれなかった。今聞き逃せば一生分からないと思った。

 歩の問いを受けた実行委員長は、ゆっくりと口を開いた。


「やりたかったから」


 からっとした一言だった。

 歩が期待していたような筋道の通った理論的な回答ではない。どうして学園祭をやろうと思ったのか、という質問の回答にならない答えだった。

 ぽかんとする歩。ひっそり笑う小百合。


「本当はさ、あたしもこんな大規模にやるつもりなかったんだよね。去年は学園祭が中止になっちゃったから、浮いた予算をむしり取って友達とこじんまりやれれば楽しそうだなーって思ってた」


 始まりはそんなもの。そもそも時間や手間をかけて、人を巻き込んで開催するつもりはなかった。


「そしたら聞きつけた人が集まってきて、結構な規模になっちゃったんだよね。規模が大きくなると、こう、加速度的にやることが増えてくんだよ。準備の手順も必要物資も増えた人手を管理する人手もいるし、どんどん工程が複雑化してくし……」


 ちょっとだけ実行委員長の顔に陰が落ちた。

 実際、何度も「もうやだー!」と叫んでいた。

 実行委員長は楽しく盛り上がりたかっただけであって、めちゃくちゃな事務量に押しつぶされたいわけではなかったのである。

 つい愚痴が出そうになるのをなんとかとどめた。


「今さらやっぱやめる、なんて言い出せなくて、仕方なく頑張ってたこともあったよ」


 高い実行力を持つ彼女だが、ただの高校生だ。

 どこかのイベント会社に勤務してましたー、なんてことはなく、イベントを主催すること自体が初めて。それもノウハウがほとんどない状態からのスタートだった。

 大学園祭のノウハウを積み上げながら開催準備を進めていくと、彼女が最も学園祭について把握している人間になっていた。

 しんどくてやめたいと思った。

 同じくらい、投げ出したらどんな視線に晒されるか想像して怖くなった。

 一人きりの会議室で、気が付いたら泣いていることが何度かあった。


「でも、手伝ってくれる人がいてさ。すごい人がいてさ。こんな人たちが協力してくれる学園祭って、どんなになるんだろうと思ったんだ」


 筆頭が副委員長だ。

 実行委員長がパニックになりそうなっていると、いつの間にかフォローするポジションに立っていた。

 冷やかされたりからかわれたり、腹が立つことが多い相手ではあるが、感謝している。

 資材が足りないと泣きついた商店街の会長が、店をやめてヒマを持て余してる人を紹介してくれた。学園祭が好きな教師が仲間を募ってくれた。大変なことが目に見えている準備を手伝いたいと言ってくれたのは実行委員たち。実行委員でもないのに実行委員並みに頑張ってくれた小百合もいる。


「失敗しても成功してももうすぐ世界が終わっちゃうんだから、盛大にパーッとやってやろうと思ったね。そこからは意地。絶対学園祭開いて、気合で楽しんでやろうって」


 必死に転げまわっていたら仲間が集まっていた。

 雪だるま式に大きくなっていたのは規模だけではなく、実行委員会もだった。

 こいつらと頑張って作る学園祭はどんなものだろうといつしか楽しみになっていた。

 会議室に一人きりになることも、気づけば涙を流していることもなくなっていた。


「じゃあ、実際にその学園祭を回ってるわけですけど、感想はありますか」


 それまで黙っていた小百合が口を開いた。

 実行委員長はにんまりと笑って答えた。


「最っ高」


 それを見た小百合は思わず笑っていた。

 歩も笑った。

 あまりにも満足げで、楽し気で、見ているだけで心が浮き立つような、そんな笑顔だった。


「馬鹿でも無茶でも、やり通したらいい感じに着地できたっぽいね。あたしは満足して……ないな。やっばい急がないと周りそびれるところが出ちゃうじゃあね! 学園祭楽しんでねー!」


 ふと時計を見た実行委員長は足早に歩たちの元から去っていった。

 学園祭は出し物がたくさんある。実行委員長的には、それらを余すことなく満喫するためタイトなスケジュールをこなす必要があるのだ。


「……元気な人だね」

「慌ただしい人って言っちゃっていいと思いますよ。でも、良い人です」

「うん、そうだね」


 学園祭をめいっぱい楽しむためには時間がかかることは分かっていたのに、歩と話す時間を取ってくれた。

 一分一秒を惜しみながらも周りを気に掛けることが出来る。

 歩はその背が見えなくなるまで目で追った。

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