視点
翌週、深雪は放課後すぐ、一年生の教室へ実咲を迎えに行った。途中で風音と会う。
「どうかな、実咲。一緒だったら来られるかな?」深雪はおそるおそる聞く。
「正直わからない。無理そうなら仕方ない。」風音はさっぱりと言う。
実咲の教室まで来て、後ろの扉から中を窺う。実咲は窓に近い席で荷物を片付けていた。あの長い髪に隠れて表情は見えないけれど、荷物を片付ける動きには不自然なところもなく、元気そうだった。近くの女の子が一列離れたところから声をかけて教室の後ろの方へ歩き去る。実咲は何か答えながらその姿を目で追う。深雪はその実咲の表情を窺おうと思ったのだけれど、表情らしい表情は浮かんでいなかった。寂しそうという印象を受けたけれどそれは深雪の思い過ごしかもしれなかった。
実咲は女の子を追った視線の先に深雪たちを見つけ、今度ははっきりと笑顔になった。深雪ははあ、と軽く息を吐いた。よかった、と思った。
「ありがと。迎えに来てくれたの?」扉のところまできた実咲が言った。
「うん、行くよ、部室。」
風音はそう言うとひらりと実咲に背中を向け、部室に向かって歩きはじめる。実咲の表情を気にしながら深雪は実咲と並んで風音の背を追った。
前を行く風音。後を追う実咲と深雪。三人とも黙っている。深雪は何か言おうと思うのだけれど、どんな言葉もうまく伝えられない気がして口を開けなかった。二歩おきに実咲の顔を覗き込みながら歩く。実咲は静かな表情のまま淡々と歩いている。風音の背中は力強く二人を引っ張る。一度も振り返らない。
部室の扉を開け、風音が入って行く。実咲と並んで歩いていた深雪は、部室の狭い通り道を通るため、半歩前へ出て実咲を導くように先行した。
「気をつけて、ガラクタに埋もれてるから。」
深雪はそう言って自然に実咲の手を引く。実咲の手は繊細な蝋細工のようで、強く握れば砕けてしまいそうだった。
衝立の角を折り返すと風音は壁際のパソコンの方へ歩み寄って道を開ける。奥では朝妻が作業の準備をしていた。
「おつかれさまです、朝妻さん。戸倉崎さんを連れてきました。」と深雪が言う。
「はじめまして、一年の戸倉崎と申します。」
実咲は自己紹介をしてぺこりと頭を下げた。
「ようこそ、ぼくは三年の朝妻です。一応部長ってことになってるけど実質の部長は椋沢さんということで異議ありません。」
朝妻もそう言ってぺこりと頭を下げ、すぐに顔を上げて笑い出した。
「すごいね椋沢さん、同好会会員四人目。あと一人で部活に返り咲くよ。まあ、ぼくは来年卒業しちゃうからもっと二三人は入れないとすぐ降格されちゃうかな。」
朝妻はあくまで部の存続などには興味がなく、ぜんぶ深雪任せで良いというスタンスを守っているものの、昨年のように投げやりな態度ではなく、しっかり深雪に任せているという姿勢だった。
「ぼくはだいたいここで
「もちろんぼくが必要なら相談してくれれば協力はするよ。でも椋沢さんでどうにもならないものはたぶんぼくでもどうにもならない。」そう言って朝妻は楽しそうに笑った。
がさがさと音を立てながら小松沢もやってきた。
「お、戸倉崎。ようこそ。」
実咲は振り向いて微笑む。
「先生、よろしくお願いします。今日は調子よくて来られました。」
そう言うと実咲は荷物を風音のそばへ持っていき、パソコンの準備を終えた風音にメモリーカードを手渡す。
「先生、早速なんですけど、わたしの写真を見てほしいんです。」
深雪の心配をよそに、今日の実咲は堂々としていて自然で、とても病気を抱えているようには見えなかった。そうなのだ。実咲は調子が良ければ深雪たちと何も変わらない。どこにも問題などないように見える。
実咲はメモリーカードをセットして写真を表示する。テーマには関係なく作品を持ってきたようだった。前にプリントで見せてもらった写真も画面に並んでいた。小松沢は画面を覗き込み、実咲の横から腕を伸ばしてマウスを操作する。実咲は少し椅子をよけて場所を空けながら小松沢の表情を気にしている。
「ああ、すごいな。」
小松沢は実咲にではなく、独り言のように小さくつぶやいた。しばらく画面を送りながら写真を眺め、マウスを離して背中を伸ばした。
「うん。戸倉崎の写真はすごい。力があるな。たぶん見る人によって感じるものが違うだろうけど、ぼくはね、寂しさと強さをいっぺんに感じた。」
そこまで言うと小松沢は深雪の方に顔を向けた。
「前にね、椋沢の写真には椋沢がいないっていう話をしたことがある。」そう言って実咲に視線を戻す。「戸倉崎のは逆で、戸倉崎の写真には戸倉崎だけがいる。とても濃く。被写体が何であれそこには戸倉崎が刻まれてる。ただ、他者との関わりが全くない。他者自体が存在しない感じがする。」
「他者…。」
実咲は小松沢の顔を見たままでつぶやく。
「他者というのは必ずしも自分以外の人物とは限らない。たとえばスプーンに対してのスープボウルでもいい。適度な距離感でスプーンとスープボウルがあると、そこには関わりが生まれる。他者との関係性っていうのは調和でなくてもいい。調和のほかに融合や共存、並走もある。逆に対立や競争、拒絶といった関わりも、それはやっぱり関わりだ。翻って戸倉崎の写真を見ると、そこにあるのは孤立だ。たとえ世界の中にたった一人だとしても、その一人と世界の関わりはあり得る。でも戸倉崎の写真では孤立した一人は世界とも距離を置いている感じがする。拒絶しているわけでもなく浮かんでるように見える。」
小松沢は講義をするように話しながら時々実咲の方を見る。
「ぼくはね、それがだめだと言いたいんじゃない。一人の愛好家としてこの写真はこれでとても良いと思うよ。だけどぼくは戸倉崎を導く立場としては、世界はそんなに寂しいところでもないと伝えたいとも思う。」
小松沢はそう言い終えて実咲に微笑みかけた。
「たしかに。わたしは何を撮るときでも、自分がそれになった気持ちで撮っていました。テーブルの上のスプーンになったつもりだったり、庭につながれた犬になったつもりだったり。わたしがそれを見てシャッターを切るんですけど、そのときわたしはその被写体の側にいて、そこから世界を見てる感じなんです。そうすると自分の周りにスペースがほしくて、どうしても周りの空いたフレーミングにしちゃうんです。」
それが実咲と世界の距離感なんだ、と深雪は改めて思った。その実咲が風音を撮るときだけ、距離を超える。
「ね、実咲、応募する写真にさ、こういう今までの持ち味を活かしたやつのほかに、風音を撮ったらどうかな?」
深雪の提案に実咲も風音も振り向いた。
「風音は我が道を行く感じだからテーマにも合うし。」
深雪がそう言うと風音は「そんなのわたしを知らない人には伝わらないでしょ。」と笑った。
「でも人を撮るっていうのはいいと思うよ。」と小松沢が言う。「特に自分たちで撮り合うのはやってみるといいよ。それを応募するかどうかはあとで選ぶとして、三人でお互いに撮り合ってみてごらん。それもこっそり撮るだけじゃなくて、撮られる側も撮られることを意識してみる。そうすると写真を撮るってどういうことなのか、写真に撮られるっていうのはどういうことなのか、そういうことへの見方が少し変わるかもしれない。」
「はい。」三人はそろって返事をした。
「こっそり撮られてたやつもいろんな驚きをくれたけどね。」
深雪は風音がくれた初詣の写真を思い出しながら言った。
「自分の知らない自分に会った感じ。わたしの知ってるわたしと風音の知ってるわたしは違うと思った。きっと他のわたしを知ってる人たちの中にもそれぞれの椋沢深雪がいて、それはぜんぶわたしだけどどれもわたしとは違うんだって思った。」
「だから、」と風音が口を開く。「同じ人を撮っても撮る人によってぜんぜん違う写真になるのよ。わたしの知ってる実咲と深雪の知ってる実咲は違うし、実咲の知ってる深雪とわたしの知ってる深雪も違う。」
「そう。それは単に知っていることが多いか少ないかとかいうレベルの話じゃない。長年付き合っている人には見えないことが、初対面の人には見えたりもする。どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、違いがあるということを知ることに意味があるんだ。」
小松沢は三人の顔を均等に見まわしながらそう言った。
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