第五話 貴顕紳士の黄昏(2)-2
『私の親族だけなのかな。顔が
かつて県大会の決勝戦を観戦に来ていた
「陽愛! パントキックをするなら助走を取らないと駄目だよ」
頭上から声が聞こえ、顔を上げると、世怜奈先生が窓から顔を出して笑っていた。
「助走がないと身体を斜めに倒せないからね。インステップを使ってハーフボレーのイメージで蹴ってごらん。零央! 窓が割れたらバイト代を出さないから、死ぬ気で守りなさい!」
「ふざけないで下さいよ! 俺、二日も徹夜したんすからね! おい! 陽愛、やめろ! 準決勝に連れてってやらねえぞ!」
「そしたら零央君のパパに言いつけるもんね!」
「
仕送りをもらっているということは、彼は大学生だろうか。
「ああ、もう! 世の中、敵ばっかりだ!」
「危ない!
次の瞬間、陽愛ちゃんが蹴ったボールが、見事に零央さんの顔面を直撃していた。
中庭に悲鳴がこだまし、彼が背中から地面に倒れていく。
「何で俺がこんな目に合わなきゃならないんですか? 本当、割に合わないっすよ」
談話室のソファーに
「零央君、鼻が赤いよ」
「お前にボールをぶつけられたからだよ! 忘れるな! 鳥か!」
「小学一年生に
「世怜奈さん、絶対、俺のこと馬鹿にしてますよね。何すか、ペーパーナイフって。もうちょっと強そうなもので例えて下さいよ。大体、今回のことだって俺じゃなくて
「大学生を全員、自分と同じように暇人の枠でくくるのは暴論じゃないかな」
舞原零央、二十一歳。彼は東京の大学に通う世怜奈先生のいとこらしい。
零央さんは迷惑そうに不満を
連戦の続く短期決戦では、トーナメントが進むほどに、敵チームの分析が困難になる。
これからの三日間は、次に戦う最強の敵、翔督対策で手一杯になるだろう。決勝で対戦する可能性のある二チームの分析に割く時間はない。そこで、先生は事前に、二人のいとこにある依頼をしていた。いつも進んで協力してくれる陽凪乃さんと、冬休みで暇を持て余している大学生の零央さんに、トーナメント反対側のチームの解析を、半分ずつ頼んでいたのである。
準決勝の二試合は同日に同じ会場でおこなわれる。
決勝戦の敵は、僕らの前の試合の勝者だ。どちらが勝ち上がっても良いように、確認すべき項目を精査した上で、先生は陽凪乃さんと零央さんに情報収集の任を
二人を見送った後で、資料を見せてもらうために世怜奈先生の自室に入る。
「さっき零央さんが陽愛ちゃんを準決勝に連れて行くって言ってましたけど、陽凪乃さんは具合でも悪いんですか?」
「陽凪乃は旅行が出来ないんだよね。だから東京には来ていない」
陽凪乃さんは零央さんと同い年の二十一歳だ。学生ではないようだし、膨大な時間をレッドスワンのために割いてくれているわけだから、仕事もしていない気がする。
「前に言っていた、少し特殊な事情って奴ですか? 長く外出出来なかったっていう」
優しい微笑を
サッカーには人を笑顔にする力がある。きっと、陽凪乃さんは今大会もテレビで観戦してくれていることだろう。けれど、最初期から縁の下で支えてくれた彼女には、本当は会場で勝利を見て欲しかった。そんなことを思うのは僕の
「これが零央の用意した青森代表の資料。で、陽凪乃が用意した徳島代表の資料はこっちね」
陽凪乃さんが用意したという資料は、零央さんが用意した物の二倍の厚さだった。ページ数の多さイコール精度の高さではないが、陽凪乃さんの方が入念に調べてくれたのだろう。
二つの資料に目を通しながら、
先生と青森代表監督、
結局、その日も、翌日も、世怜奈先生に何も聞けなかった。
高槻涼雅について、先生が赤羽高校に赴任した理由について、彼女の口から聞きたいと願っているのに、どうしても勇気が出ない。
決勝戦で恩師との戦いが実現すれば、世怜奈先生が高校サッカー界でやりたかったことはすべて達成されてしまう。そうなれば、本当に先生が赤羽高校を離れる日は遠くない。
彼女は大人しく地方の一教員で収まり続けるような器じゃない。
先生が消えてしまったら、僕らは一体、誰を信じて未来へと進めば良いのだろうか。
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