第8話

 


 ――太助がお沙希を家まで送ってる場面だ。二人は月を見上げながら、少し間隔を置いて歩いている。


「……実は、お嬢さんのこと、前から知ってました」


「えっ! どこで?」


「隅田川の花火見物に行った時、両国橋から川を見下ろすと、涼み舟に乗ったお嬢さんが、花火を見上げてました」


「ヤだぁ。だったんですか? 恥ずかしい……」


「鍵屋~っ! なんて、声を上げて」


「うわ~、めっちゃ恥ずかしい。どうしよう」


 お沙希は恥ずかしそうに顔を覆うと、背を向けた。


「……カワイ……かったですよ」


「えっ? ほんとに?」


 急いで太助に振り向いた。


「ええ」


「……うれしい」


 恥ずかしそうに俯いた。


「……お嬢さん」


「え?」


「……俺と付き合ってくれませんか?」


「ぇ。……エッ? 今なんて?」


 聞き違いかと思い、聞き直した。


「……お嬢さんとおいらじゃ、月とすっぽんかもしれねぇが、お嬢さんに好かれるように頑張りますから……」


(えっ! うっそー! マジで? やりーっ!)


「……今のままの太助さんで、十分ステキです」


「……ありがとうございます。けど――」


「それと、……お・さ・き、って呼んでほしい」


 何が、お・さ・き、って呼んでだ。チキショー、腹立つなぁ。男は太助だけじゃねぇぜ。ここにも独身のいい男がいるぜ。……聞いてねぇか。


「……お・さ・き……ちゃん」


「は~い」


 何が、は~いでぃ。チキショー、ヤけるな。チッ! 見つめ合ってら。早く、場面が変わんねぇかなぁ。



 ――翌日の昼四ツ(午前10時)頃。……あー、よかった。場面が変わって。


 暇潰しに、お沙希が嘉右衛門の屋敷を見張ってるってぇと、やって来た水売りが門の前で、足踏みを始めた。誰かが出てくるのを待ってるってぇ素振りだ。


(……お梗でも待ってんのか?)



 ところが、出てきたのは、例の女中だった。水でも買うのかと思いきや、なんだか様子がおかしかった。喋々喃々ちょうちょうなんなんと言った雰囲気で、何やらささやき合っていた。


(女中の“色”か? 無器量でも、女は女か? ……だが、この二人、臭いな。――待てよ。勝手口から入ったのがお梗の男とは限らない。それに、中に居る女中なら心張り棒を外すこともできる。もしかして……)



 兵治に情報提供するってぇと帰宅した。


「お嬢さん、おかえりなさいませ」


「あ~、腹減った。めしは?」


「お亀がご用意を――」


「おう、新蔵。勘定のほうは合ってんだろな? 合わなきゃ、めし抜きだぜ」


「へ」


 お沙希はいつもの決まり文句を口にすると、外股で引っ込んだ。――




「お亀、本当のことを教えて」


「えっ? 何をですか?」


「私のホントのお父っつぁんのこと」


「! ……本当のって?」


「新蔵だってぇのはホントか?」


「……」


「ホントなんだな?」


「……どうして、そんなことを?」


「めんこい頃に、そういう噂を聞いたからよ」


「……」


「正直に言ってくれ。じゃなきゃ、故郷いなかに帰すぞ」


「……はい。新蔵さんが、お嬢様の本当の――」


「やっぱりか。……汚ねぇ」


「けど、お二人は愛し合ってたん――」


「そんなのは言い訳じゃねぇか。死んだ旦那さんを裏切ったことには違いねぇ。チッ」


 お沙希は箸を置くと、立ち上がった。


「お、お嬢様、どちらへ」


「こんな汚れた家におれっかー!」


 吐き捨てると、背を向けた。


「お、お嬢様っ!」

 


 お沙希は涙を溜めた目で、帳場格子で算盤を弾いてる新蔵を睨み付けると、急いで出ていった。


「お、お嬢さんっ!」


 理由が分からない新蔵は、不可解な顔をして、お沙希の背中を目で追った。



 ――お沙希は、絶望の中で身を震わせながら、木戸の前で太助が帰ってくるのを待っていた。間もなく、


「……お嬢さんじゃないですか」


 太助の声がした。お沙希は振り返ると駆け寄り、その泣き顔を太助の胸に埋めた。


「……お嬢さん、どうしたんですか」


 太助は優しく訊くと、お沙希のか細い背中に手を置いた。



 ――太助は煮売屋にうりやに誘うと、チロリ(酒を温める道具)のかんを呑みながら、涙の訳をお沙希から聞いた。


「……そうだったんですか」


「……ぇ」


「……おいらのお父っつぁんは、おいらが十八の時に、……突然倒れて」


「……」


「お父っつぁんの跡を継いで左官になったはいいが、全く、素質が無くて」


「……もしかして、太助さんの天職は、他にあるのかも」


「……かな?」


「……たぶん」



 太助とのたわいない会話で、お沙希の気持ちは、澄み切った青空のように晴れやかになっていた。


「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」


「え」


 お沙希はまた、まっかっかの顔になっちまって、まるで、金時の火事見舞いみてぇだ。呑むと顔に出るたちなんだろうが、ま、今回は少し控え目にしたせいか、酔ってはないようだ。


「おやじ、勘定を」


「あいよ」


 おやじが算盤を弾いた。


「えーと、六十六文ですな」


「え? 六十六文?」


 太助が納得いかない顔をした。


「あ、私が――」


 太助の懐具合を心配したお沙希が巾着を出した。


「いや、お嬢さん、そうじゃないんです。払えるぐらいの銭は持ってます。ただ、勘定が合わないんですよ。酒が四十文。煮豆、煮魚、煮しめが二十四文。合わせて六十四文のはずだぜ。もういっぺん、勘定をしてくれないか」


 太助はスパッと言い切った。


(カッコい~)


 お沙希は胸元で指を絡ませると、太助の横顔をとろけそうな目で見つめた。


 何が、カッコい~だ。こちとら、お沙希の気持ちまで読めちゃうんだぞ。チェッ、悔しいけど、確かにカッコい~やなぁ。メソメソ……(語りのすすり泣き)


「――へ。確かに六十四文です。申し訳ありません」


 算盤から指を離したおやじは、頭を下げた。太助はボロっちい財布を出すと、勘定を済ませた。――



「ごちそうさまでした」


 太助に寄り添うお沙希が礼を言った。


「あんなもんしか、ごちそうできなくて、お嬢さんに申し訳ねぇ」


「そんな。おいしかったです」


「家まで送ります。今夜はおんぶはいいですか?」


「も。意地悪ぅ」


「ハハハ……」


 太助は月夜に笑うと、送り狼になったのだった。……てな訳ねぇか。チキショー、手、繋いでやがるよ。ジェラシーに身を焦がして、こちとら大火傷おおやけどでぃ。太助さん、助けて~! チッ、聞いてねぇや。

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