無いもの貸し升!損料屋

紫 李鳥

第1話

 


 江戸は根津の一角に、《無いもの貸します》という損料屋そんりょうやがありまして。


 ま、今でいうレンタルショップみたいなもんで、 レンタルしていたものをざっと並べてみると、お鍋や窯、布団や下着のふんどしまで、料理道具や日常品から冠婚葬祭、旅行道具とありとあらゆるものをレンタルショップの損料屋から借りていたわけだ。



 さて、話は戻りますが、「無いものが無い!」というのをうたい文句にして、客を集めてたわけだが、この店は代々豪商の家系でして、貨殖かしょくの才があったんでしょう、蔵にも店にも所狭しとなんやかんや置いてるわけですな。


 現在、この店を継いでいるのが、お沙希さきちゃんだ。年の頃は十八、九。いわゆる“番茶も出花”って奴だ。


 ところが、このお沙希ちゃん、花も恥じらう年頃ながら、何がそうさせたのか、それとは正反対の男っぽい性格で、長年仕える番頭の新蔵しんぞう女中頭じょちゅうがしらのおかめも手を焼く始末だ。


「おう、新蔵。昨日のもうけ、一文足りねぇじゃねぇか。もういっぺん、算盤そろばんはじいてみな」


 帳簿を手にしたお沙希は容赦ようしゃない。


「へぇ、すんません」


 番頭の新蔵は、親子ほども年の離れたお沙希に形無しだ。


「こちとら、慈善事業でやってんじゃねぇんだ。一銭でも勘定が合わなきゃ、合うまで寝かせねぇよ」


 可愛い顔して、言うことがキツいね、どうも。




「寒気がする。……風邪かな」


 一方、こっちは長屋住まいの太助たすけだ。年の頃は、二十二、三てとこか。月代さかやきに、斜め丁髷ちょんまげを載っけて、なかなかのイケメンだ。


「困ったね。夏風邪はたちが悪いからね」


 こっちは、太助のおふくろ、おいねだ。


「一晩寝たら治るだろ」


「薬を買うお金はないし。……なんか温かいもんでも作るよ。汗をかいたら治るかも」


 お稲は内職の手を止めると、腰を上げた。


「……すまねぇ」


 太助は、寒そうに重ね着をした。


「あらっ、鍋に穴があいてる。これじゃ使えないわ。待っておくれ、《無いもの貸し升》で借りてくる。布団敷いて寝てな」


 お稲は急いで下駄を履いた。


「……すまねぇ」




「……すんません」


 お稲は初めて、《無いもの貸し升》の暖簾のれんをくぐった。


「へい、いらっしゃい!」


 外股で奥から現れたのは、お沙希だ。本来なら、帳場格子には番頭の新蔵が居るんですが、ご存じのとおり、昨日の勘定が一文足りなかったもんだから、まだ奥で算盤を弾いているわけでして。


「……鍋を借りたいんですが」


「あいよっ。いま、持ってくっから」


 お沙希は即答すると、背を向け、また外股で奥に引っ込んだ。


「……」




「お待ちっ!」


 お沙希が風呂敷に包んだ鍋を手にして戻ってきた。


「……幾ら……ですか?」


 いかにも聞きづらそうだ。


「なあに、金は要らないよ」


「えっ!」


 お稲は自分の耳を疑った。


 なんだなんだ? 先刻の新蔵に言った文句とはえれぇ違いじゃねぇか。


「なぁに、腐るほどあるからさ、一つあげるよ」


「……でも、そんな」


「いいっていいって。ほらほら」


 お沙希のしゃべり方は、まるでじじぃみてぇだ。


「ありがとうございます」


 お稲は深々と頭を下げた。


 そうなんですね。お沙希がお金を取るのは、生活に余裕がありそうな客からだけなんですなぁ。


 それで商売が成り立つのかと心配するこたぁちっともねぇんで。豪商のお家柄ですから、お金は余るほどあるわけでして。


 つまり、趣味半分、遊び半分の商いってこったな。新蔵へのあの言い草も、他人に厳しく、自分に甘くの類でして、ま、単にケジメをつけるための決まり文句だったわけだ。




「いい人だったよ。とっても可愛い子でね、気性もさっぱりしてて」


 お稲は、お沙希の話をしながら、豆腐やネギを入れた鍋を作った。


「……へえー」


 ここで、太助が、お沙希に興味を持つわけですな。




 その翌日、寒気が収まった太助は、お稲が褒めたお沙希の見物がてら、鍋を包んでいた風呂敷を手に、《無いもの貸し升》の暖簾をくぐった。


 あれっ、今日も新蔵が居ねぇや。ってこたぁ、まだ昨日の帳尻が合ってねぇな。


「……すんません」


「いらっしゃい!」


 廊下の奥から威勢のいいお沙希の声がするってぇと、外股でやって来た。


 が、太助の顔を見た途端とたん、内股に変更だ。


「……ようこそ、いらっしゃいませ」


 俄然がぜん、ご丁寧な接客態度だ。


「あ、おふくろに鍋をありがとうございました。風呂敷をお返しに来ました」


 綺麗に畳んだ風呂敷を差し出した。


「……まぁ、昨日のお鍋の」


 風呂敷を受け取ると、しおらしく俯いた。


「……じゃ」


 太助が背を向けようとした、その時、


「あのぅ」


 お沙希が呼び止めた。


「……はい?」


「……実は、番頭さんに叱られて」


「は?」


 意味が分からねぇ太助は、口を半開きにした顔を、正座したお沙希に向けた。


「……貸し賃、十九文、ちゃんと頂きなさい、と」


 お沙希は鍋のことを言った。


「あ、やっぱそうですよね。お宅も商売ですもんね」


「……ごめんなさい」


「いいえ、とんでもないです。……けど、いま、持ち合わせが」


「あ、いえ、今日じゃなくてもいいです。ここに住まいと名前を書いてくだされば」


 お沙希は急いで通い帳と筆を手渡した。


「あ、はい」


 筆を動かす太助の横顔を見つめながら、お沙希は長いまつげをパチパチさせると、意味深な笑みを浮かべた。


 この、お金の催促は、お沙希の思いつきだったわけですな。


 つまり、太助に一目惚れしたお沙希が考えた、繋がりを切らないようにするための手段だったわけだ。――


 太助さんか……。通い帳を胸元に置きながら、お沙希はニコッとした。

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