第2話 植松聖と西山美加
私は植松聖への取材を終えると、すぐに動画を撮って面会内容を語り、専属の編集スタッフへ送信して本日の仕事を終え、行きつけのバーに顔を出した。そこは女性同性愛者が集うビアンバーでプラチナラグーンという。私は同性愛者ではないけれど、生涯をかけて調査したい対象のために通い始め、天蛾(てんが)というバーテンと仲良くなっていた。
「いらっしゃい、笑美ちゃん。植松への取材、ネットで話題になってるよ」
「いつもの、ちょうだい」
「加賀棒茶のカクテルね」
天蛾はバーテンらしいスラックスを穿いた女性で真っ白なカッターシャツに蝶ネクタイをしている。あざやかな手さばきでカクテルを造り始めてくれた。カウンターに座った私は呑みながら問う。
「天蛾は西山美加(にしやまみか)さんのこと知ってる?」
「たしか冤罪だった人?」
「そう。六角市の湖上記念病院で看護助手をしていたけれど、亡くなった高齢者の呼吸器を外したのではないかと疑われて、15年も投獄された人」
「青春、丸潰しね」
「彼女と植松聖に似た側面と、似て非なる側面があるって話、していい?」
「はいはい、笑美ちゃんはオフになっても仕事が抜けないね。どうぞ」
「西山さんには軽い知的障碍と発達障碍があった。そこを警察官につけ込まれ、呼吸器を外したという虚偽の自供をさせられた。植松にも障碍はあった」
「大麻でラリってた?」
「それもあるし、反社会的パーソナリティなんかも言われてるけど、私は面会を繰り返しているうちに気づいた。あいつ、正真正銘のバカ」
「……まあ、バカね。普通は障碍者を虐殺しないし」
「バカの定義を、かりに知能指数76から90までとすると、どうかな? ちなみに75以下は障碍者として扱われるよ」
「あ~、なるほど……たしかに天才は知能指数が高いし、その逆はバカと。知能指数って100が平均だっけ?」
「そう、100を中央として正規分布する」
私は指先で曲線を描いた。富士山のような山で頂付近が丸い曲線。
「私の感覚に過ぎないけど、話していて植松の知能指数は80前後って気がするの。これは境界域の発達障碍に該当する」
「あんまり賢い雰囲気はないね。おいたちも」
「そう、学生時代にタトゥーを入れたりして、ああいうことは自分に自信がない人間がよくやるの」
「へぇぇ♪」
天蛾が右手でカッターシャツのお腹をつかんでグイっとあげると、よく鍛えた腹筋を見せてくれた。そして腹部の中央には大きなタトゥーがあって黒百合が乱れ咲きしている。私は失言を謝る。
「ごめん、タトゥーを入れてる人、みんながみんな、そういうわけじゃなくて…」
「いいよ、たしかに笑美ちゃんの言う通り、これを彫ってもらったのも筋トレするのも、私自身の自信の無さの補完のため。自分が同性愛者っていうマイノリティな境地を心理的に補うためだった。けど、もう今の世の中では必要ない」
天蛾が敬う視線を店内の壁に向けた。そこには天皇皇后そして典侍が並ぶ写真が額に入っている。皇后は総理大臣を兼務していたこともあり、その権力を濫用して同性婚を制度化したから、同性愛者たちにとって神であることは否定できない。
「笑美ちゃん、私の背中も見る? 私が天蛾と名乗る理由がわかるよ。ただし、ベッドの上でね」
「遠慮しときます」
「それで?」
「植松は学校の勉強についていけなかった。志望だった小学校の教師にもなれていない。これは努力もあるだろうけど、根本的に知能指数が低いと、他の受験者に勝てない」
「たしかにね」
「その結果、植松は重度障碍者を介護する仕事に就いた。これには三つの要素がある。一つは植松本人の低能さ、二つめは低能でも社会的に誇れる仕事がしたいというプライドの高さ、三つめは介護職の人手不足による就職のしやすさ、この三つが相まって植松は当初だけは天職とまで表現してる」
「たしか、西山さんも看護助手で仕事に似た面はあるわね」
「そう。医療や介護の世界には絶対的なヒエラルキーがある。医師を頂点としたピラミッド構造、その下に看護師がつき、さらに下を造るために准看護師や介護士がある。そもそも介護士は当初、ホームヘルパー1級2級という主婦が簡単な講習を受けて参入できる仕事だった名残もある。低賃金なのに仕事の責任は重い、それを立派な仕事だという名目で補っているけれど、報酬では報いない、やり甲斐搾取の典型例」
「ブラック従業員を産む温床ね」
「商品を乱暴に扱うくらいならともかく、これらの職業の商品は品じゃなくて人、乱暴に扱っていいものじゃない。けれど、実際には虐待は多い。だからこそ西山さんはヘルスケア・シリアルキラーではないかと疑われた」
「ヘルスケア・シリアルキラー?」
「医師や看護師、その他の介護者が本来は助けるべきはずの患者を故意に殺していく殺人者になった場合、そう呼ぶの。別名、死の天使、または慈悲の天使」
「植松だけじゃないわけね」
「高度な医療知識を持つ人がやる場合、なかなか発覚しない。きっと介護士より看護師の方が容易だし、さらに医師となれば死亡診断書を書いたりできる立場なわけだから、まず発覚しない。でも、バカな植松は発覚どころか隠蔽さえ試みない。そして、こういう犯罪があるからこそ西山さんは疑われてしまった。とても気の毒な被害者。医療制度と司法制度が彼女の青春を奪った。彼女は取り調べる警察官に恋心を抱き、誘導されるままに自供した。バカな女、気の毒なほどバカな女、つまり軽度の知的障碍がある女性。だから、バカな女などと言ってはいけない。むしろ、それにつけ込んだ警察官たちが悪い。ただ、警察官の仕事というのは、正義の味方じゃなくて、疑うのが仕事、怪しいと思ったら追及する、だから医療ヒエラルキーの末端にいる者が仕事や境遇に不満を抱き、その復讐に患者を殺したのではないか、という疑いをもち、その疑いを立証する証拠を集めた。誘導尋問に引っかかってくれるなら、こんなに楽なことはない。きっと警察官は知能指数100前後の健常者たち、つまり健常者が知的障碍者を都合のいいように扱った」
「………後味が悪いこと、このうえないわね」
「うん。そして、植松にもまた被害者という側面はある」
「あいつに?」
「プライドの高いバカを低賃金でやり甲斐搾取して、そのやり甲斐さえ次第に感じない環境におくと、どうなると思う? 苦労して介護している障碍者は知的障碍ゆえに感謝しないどころか、噛みつく引っ掻く叫ぶ。さらに植松は風呂で溺れた要介護者を助けたのに家族に感謝されなかったことを語ってる。低賃金なら、せめて感謝くらいされたい、けど、それも無い。それどころか独身の植松には所得税、住民税、社会保険料、年金、あらゆる負担が天引きされる。しっかり1ヶ月働かされて一人前の男の給料がもらえないのに天引き、手取り20万いかない。今後、昇給の見込みもない。このまま一生使い潰される報酬体系。さらに使うとき消費税10%。つまり給料の値打ちは9割しかない。なのに目の前の重度障碍者を養うには月に36万から64万も税金が投入される。短絡的でバカな植松が障碍者抹殺という結論に至るのは、ごく自然なこと。いいえ、政治家たちだって言わないけれど、内心では思っているし、私も考えなくもない。植松や西山さんのような努力する軽度の知的障碍者、境界域の発達障碍者に手取りの給料プラス10万円の慰労金でもあげたら、彼ら彼女らの人生は明るくなる。重度過ぎる障碍者1名に60万円を投下するのと、軽度の障碍者6名に10万円ずつあげるの、どっちが最大多数の最大幸福を満たすのか、ってね。そう、単純に知能指数100が中央なんだから、知能指数90の人には10万円、80の人には20万円、そんなベーシックインカムがあったっていいかもしれない。もっとも、その施策では知能指数100以上の労働年齢の人間だけで老人と子供と軽度重度の障碍者を支えるわけだから、肩車型社会保障どころか、一人で3人くらい背負わないといけないけどね」
「おかわり、いかが?」
「いただきます。天蛾のチョイスで」
まだ話を聴いてほしいので、私は売上に協力した。バーテンを独占している私に天蛾は高価なウイスキーを使ったカクテルを造り始めてくれた。
この物語はフィクションです。実在の人物団体国家と関係ありません。また、拙著「女子高生総理芹沢鮎美の苦悩と勇戦」の世界観を少しだけ引き継ぎますが、続編ではなくスピンオフ作品です。
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