エピローグ1-5
狭いお風呂に二人入ってると、少し窮屈なのだけど、そういう裸の付き合いっていうのを要さんは好んでいる。だから先生には煙たがられるのだけど。
要さんはあんなに戦闘漬けなのに、体に傷一つないほど肌も綺麗で、凄くこうして見ると美人さんって感じだ。
真っ赤な髪が余計に際立って、美しさが完璧の域に達しているのに、燃える様な情熱というのか、こちらが魅入られてしまうのにもかかわらず、容易に近づかせない、そんなテリトリーがしっかりしているシビアさも感じるのだから凄い。
そして、お風呂上がりにはほうじ茶を容れて飲んでいた。
これは私がそう決めて二人分容れたのである。
それまで私はジョージ・ハリスンを聴いて感傷に浸っていたのに、この時間は要さんのリクエストで、カンの『モンスター・ムーヴィー』を掛けることになった。
どうやらこの一枚目のマルコム・ムーニーのヴォーカルが相当好きらしい。
ちゃんと歌っていないのが非常に好感度が高い理由だ、と普通のポップスを聴く人からしたら意味不明な部分で選好しているらしい。
中でも二十分くらいの垂れ流し即興ジャムの様子(バンドはこれを六時間ほどやってるテープから編集したそうだ)を収録した「You Doo Right」での、やる気があるのかどうなのかみたいな、呟きじみたヴォーカルと、その反復の音楽での、ドラムスの正確に無機質なリズムをずっと刻んでいるのが、大変お好きだと私は聞かされた。
要さん、今夜は饒舌だ。
幾つか逸話なども拝聴した夜を、まだ私は覚えている。
このバンドは、十四世紀のお城を自主スタジオにして、共同生活を送りながら、こういう現代音楽的なアプローチでの革新的な曲作りをしていたこと。
セックス・ピストルズのジョニー・ロットンとして知られるジョン・ライドンは、ビートルズよりもカンの方が偉大だ、とか言ったこと。
紀美枝先生はこのバンドでは、二枚組で挑戦的な長い曲も入っていて、一部の意味不明なその当時の周囲の状況とリンクする、日本語ヴォーカルを歌ったダモ鈴木時代が特に好きだと言っていたこと。
その二代目ヴォーカリストダモ鈴木は、路上で奇声を上げるパフォーマンスをしていた所を、メンバーが発見してスカウトしたことなど。
そうやって奇跡的な出会いを果たしているのも、バンドとはどこも数奇な運命を辿るものだなと思う。
私の印象としては、ビートルズの「レヴォリューション9」を延々聴いているみたいな感じで、どこで面白がればいいのかあまり分からない、手応えが掴めない様な気持ち悪さがある旨を伝えたのだが、要さんはこう宣った。
「うん。そりゃあそうだ。だからこの手の音楽はクラウトロックって名前が付いてるし、そうそう熱狂してる聴衆なんかいないのは当たり前よ」
そして、人差し指をピンと立ててから、長い髪をフワッと揺らす。
ドライヤーで乾かしてもまだ少し濡れているのが分かる髪だ。
「だからこそ、あたしにはピリピリと刺激が貰えるんだ。スラッシュ・メタルとかのように、ただ攻撃的に速度も重視するって音楽じゃないとこがミソなんだぜ。そっちもそっちで実に痺れる音楽ではあるがな」
へへ、と照れくさそうに笑って、髪を掻き上げてまだ続けるので、反論なぞせずに黙って聞いている。
「反復の音楽は時々トランス出来る気分になれるぜ、空ちん。サイケと近いとでも言うのかね。そいでカンはドラマーがバチッとリズムをキッチリ刻んでる所が、ルーズに他も弾いているようで、グルーヴィーにも感じさせるって妙よ」
「ははあ。こんなのにも演奏技術の面白さがありますか」
「お? なんだ、演奏技術はジャズ系の専売特許だとでも思ったか。ま、ここのドラマーはジャズ畑出身でもあるが、奇天烈な実験作にもそれなりに上手い演奏者は必要ってこった」
うーむ。確かにそう聞かされると深みがある気がして来た。
何もソロパートを超絶テクニックで弾くだけが上手さじゃないっていうのは、新鮮な驚きを提供してくれる。
「花形じゃないのは理解してるんだがな。アンサンブルとかグルーヴよりも、多くの聴衆は分かりやすいソロパートが好きだからね。そういうやつには、ジミヘンでもスタジオ作の旨味は中々分からんだろうさ」
あ、ジミヘンを持ち出すんだ。確かに三枚目なんかよく分からない長い曲が幾つか入ってたりするもん。
私はまだ修行が足りないのか。
「はは、気に病むことはないぞ、空ちん。人間好きな音楽聴いて気分をコントロールすんのが一番だ。ただそれの幅を広げていれば、精神の感覚を上手く変えられるのも事実。感情の操作に音楽はかなり有効だからよ」
「ああ、それは分かります。悲しい時には逆に悲しい音楽聴いて、涙を流してスッキリした方がいいとか言いますもんね」
「そそ。自分の中のわだかまりを吐き出すのに、ちゃんとその方法論っていうかメソッドがあった方が生きやすいってこと。ムシャクシャして他人を殴ったり、その都度物ぶっ壊すよりなんぼかマシだろ?」
「ええ、それは先生にも教わりました。機関の人間は激情的であってはならないって。その場の怒りで我を忘れたら、敵にしてやられるって」
へー分かってんじゃんか、とポンと頭に手を置いてわしゃわしゃする要さん。
これは一つのこの人なりのコミュニケーションなのかも。先生と違いすぎて笑ってしまいそう。
「ああ。冷静に物事に対処しないと、マジに罠なりで死ぬからな。ジョジョの二部でも読んでるといいんじゃねえかな」
「えー。バトル漫画を参考にする戦士なんて聞いたことないですよ」
面白いこと言うなと笑う私に対して、何故か要さんは真剣だ。
「バカヤロー。あれはかなり心理戦について上手い所をついてんだぞ。相手を如何にこっちのペースに引き込むか。その読み合いに負けるようじゃ、戦う前から敗北は決まってんのよ。ま、あたしくらいになると、そんなんお構いなしに全てを蹂躙してしまえるんだがな」
うーん。この自信。それでいて傲慢ではないと分かるから凄い。
ホントにこの人は、虚実機関でも指折りのエージェントなんだ、と我が身内ながら感心するしかない。
そんな風に音楽を聴きながら、要さんの明るい前向きな話を聞いていると、妙に元気が出て来る。
何度も確認するようだけど、先生の冷静さとは対極にあると言えるんじゃないか。
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