死神の話
エドワード=オズワルドの起床時間は決まっていない。かつてはそれなりに規則的な生き方をしていたが、そうする意味がなくなったからだ。暮らし方も無軌道だ。まだ眠いと考えれば再び眠りに落ち、不愉快なら気を紛らわせるための獲物を探しに出る。
エドワードは『デーモン』であり、その言葉から連想されるような生態をしている。元々は死神に魅入られた『ディアボロス』であり、更に昔は、死を救済だと思い込んだ『エクソシスト』だった。
「死んだ人間は何にも惑わされることなく、安らかな眠りに沈み続ける」
『エクソシスト』だった頃のように、そう考えることが出来たならば救われたのかもしれない。しかし、今のエドワードは『デーモン』であり、過去の思考は歪んでしまっている。だとすれば過去の、死を救済だと信じ込んでいたエドワードは救われたと言えるのか。その問いに答えられる人間は永い時の中で一人また一人と消えてしまい、最早一人もいなくなった。
「……あぁ、そうだ」
ただ一つだけ、今のエドワードが習慣としていることがある。まだ眠く不愉快でもあるが、冬眠から目覚めた蛇のように遅々とした動きでキッチンへ向かう。
気が遠くなるような時を生きた者、誰もが絶句する程凄絶な生き方をした者――その他にも様々な条件はあるが、御魂(みたま)と呼ばれる異能を得る者が存在する。その異能は個人の魂に由来するものであるからして、唯一無二であり絶対不可侵の能力である。そしてエドワードもまた御魂を持つ人間の一人であった。
「あぁ、そうだな、毎日教わっているんだ、そろそろ覚えたよ、あぁ、その通りだ、『ネクロマンサー』は殺そう、いいや違う、お前はそんなことは言わない」
『永遠の恋人(アブストラクト・ハニー)』とは、その御魂を知った者が名付けた名前だ。エドワードの中に在る、とある人間の幻像を具象化する能力。否、幻像をと言うと語弊がある。エドワードにとってその幻像は当人そのものでありまた当人を否定する存在でもあるからだ。
エドワードの思う通りの言葉を吐き思うが侭の動きをする、だからこそ彼の中に在る者とは決定的に異なる存在。それは傍から見ればそれは真黒な靄のような塊だが、エドワードにはエドワードが望む相手に見えている。
「あぁ、そうだ、違う、お前は、あぁ、そうだった、『外法使い』は殺す、指先から少しずつ刻もう、煮え滾る油を飲ませよう……違う、お前は殺すなと、いや、殺せと? 首を落とすのは花嫁達への冒涜だ……あぁ、えぇと、ここから先はどうだったか、あぁ、そうだな、覚えている、ずっと見ていたからな……」
キッチンに向かう途中で、腐った肉塊に突き立てていた包丁を抜き取りその刃を眺めるエドワード。それから危うげな足取りでキッチンに辿り着き、包丁とまな板を使って軽やかな音を奏でる。それから黒ずんだ鍋を火にかけて、鼻歌を歌って待っていた。
「煮込むと香りが飛ぶと……言っていた、いや、お前はここにいるんだから、言っている、か? 日本語は難しいな。お前の国の言葉だから、正しく使わないと……『デーモン』になってから、意味はよくわかるようになったが、話す方はまだ、あぁ、そうか? それは嬉しいな……」
ぶつぶつと、彼にだけ見えている相手に向かって話しかけながら包丁を放り投げ、玉杓子に持ち替える。
「力加減も、覚えた……人間はすぐ死ぬ、救われる……あぁ、許すものか、救われたなどと、殺す、今まで生きてきたことこそが罪だと……あぁ、そうだな、お前もそう思うだろう? 違う、お前はそこで同意なんてしない、何故だ? お前も裏切るのか? 違うな、そうじゃない、そうだろう?」
掻き混ぜる玉杓子がからからと音を立てている。エドワードは焦点の定まらない目でそこを見ている。あの日から一切変わらない、顔のない、「死んだ恋人」の姿を。エドワードの日課は、生前の恋人に教わった味噌汁を作る――
『……エドワード。焦げ付いた鍋を火にかけ続けたら、この部屋が火事になるよ』
エドワードは、不意にかけられた声を耳にして、ぎこちない動きで火を止めた。見上げた先には、ペストマスクに黒いマントを纏った、『死神』の姿。その『死神』は、呆れたように肩を竦め、宙返りをして掻き消えた。後に残ったのは、どす黒く焼け焦げた何かに満ちた鍋と、茫漠と立ち尽くす一人の『デーモン』だけ。
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