第4話
浅倉のにやけたようすに辟易し、遠慮なく弱点をついてやった。
「お前、その調子で深町さんからかうと永遠に相手にしてもらえなくなるぞ」
「そっちへ反撃するんだ」
顔つきが変わったので俺もそれ以上つっこむのはやめた。そして浅倉は浅倉で、こちらの態度の変容にしっかりと気がついておし黙った。こういうところが、この男がもてる一要因なのだろうと俺はひとりで納得した。
「お前、あれを恋愛だと思って読んだか? あんなふうに、お互いだけがいればいいと、何もかも捨ててもいいと互いに口にしあう関係が恋愛か?」
「……や、でも、たしかに行き過ぎてたけど、ああいうのはあれが普通じゃないの?」
言いよどんだ浅倉を、一笑にふした。
「ふつうってなんだよ」
「いわゆるフィクションにおける約束事?」
「あれは虚構であって現実と違うだなんてよく言えるな」
「少女漫画とか、そうでしょ。あんな男、現実にはいないじゃん」
「馬鹿が。現実にいない理想の男を夢想する主体は、現実の女性だろ?」
「そ……だけど」
「逆も然り。現実にいない都合のいい女を妄想でつくりあげる男のポルノも、現実の男の欲望であることは変わらんよ。虚構と現実を切り離して考えるなんてのは当たり前だ。その、よってたつ地平を考えろ。フィクションをつくる人間はリアルな人間であるかぎり、それが現実とコミットメントしてないだなんて理屈は通らないんだよ。フィクションだから都合よくだの、いないとわかってるからこその理想で、なんて言いわけは、けっきょくのところ侭ならぬ現実を覆したいのに出来ないという欲望でしかない。それが悪いと言ってるわけじゃない。だが、エクスキューズはエクスキューズでしかないと弁えておいたほうがいい。それによって、傷つく現実の人間もいるんだからな。
お前、あれを深町さんに読まれるとしたら腹立たしくないか?」
浅倉は厚い唇をかむようにして言葉をのみこんだ。それから軽く頭をゆすって俺を見た。
「オレはべつに気にしないけど、言うことはわかる。あれが、誰かの書いた深町センパイと来須のそういう小説で、ほかのやつにそれを読まれたとき、オレや彼女たちがどう思うか考えろってことでしょ?」
俺はだまって頷いてのち、もう一度たずねた。
「お前、あれを恋愛だと思ったか?」
浅倉はすぐにはこたえなかった。そして、しばしのにらみ合いのあと、
「名づけが必要なのはなんで」
と、まっとうなことを訊いてきた。
俺は笑った。だからこいつを選んだのだ。
「たしかに、お前に名づけて欲しいと思ったことは一度もないな」
浅倉は首をかしげた。それから、ああ、そういうこと、とひとりで納得したようだった。
そう、このはなしの主題を握るのは浅倉じゃない。
「俺は、確かめなきゃならんことがあって、ずっと留保し続けただけだ。そのブラックボックスを開ける必要があればそれを厭わない」
浅倉は余計な口をはさまずに、俺が次になんと言い出すのか探るように太い眉を寄せていた。
「万が一の場合、深町さんに茉莉をお願いするつもりでいるから、お前、そう伝言してくれ」
浅倉は眉根がくっつきそうな顔で俺を凝視した。
「ともかく、頼んだぞ」
「ちょっと待った、あんたそれ」
「お前のほうが上手に説明できるだろ」
「そういう問題じゃ」
「そういう問題だ。俺のまわりでこの手のことを任せられるのは彼女しかいない。だが俺は、深町さんに借りはあっても貸しはない」
「あの人はそんなん気にするひとじゃないでしょう」
呆れ声の呟きには苦笑した。気にしないのではなく、わかっていてそれを見ないようにしているだけだ。そうやって負担を背負い込むことで自分が生き辛くなっていることくらい彼女はちゃんと知っている。
だが俺は、それをこいつに説明しない。
「どうせお前、電話でもろくに話してもらえないんだろ?」
浅倉は痛いところを衝かれたらしく、苦々しげにこたえた。
「言ったでしょ、婚約者がいるって。あのひと例によって妙に潔癖で、仕事のはなしだと付き合ってくれるんすけど、そうじゃないと途端に態度が冷たくなる」
「まあ、深町サンらしくて俺は安心するけどな」
「安心ってなんすか」
「公私の区別がついて情に溺れず、かといって冷淡でもなく、下心は透かさず見抜き、最終的には建設的。相談には理想的だってこと」
「そうっすか? 一緒に悩み苦しむのが基本でしょ?」
浅倉は、それができる。だから俺はこいつを信用している。だが。
「そういう人間も必要なのはわかるが、俺と茉莉にはいらん。嘆き悲しむだけの相手ならお互いだけで十分だ」
浅倉は神妙な表情で聞き終えて、唇を歪めた。笑い損なったらしくうつむいた頬のあたりが翳になり、やけに荒んで目にうつる。
「龍村さん、万が一の場合ってどの時点? いまの話だと悪い結果のときだよね。オレ、あの人が一生悩まなきゃならないようなことなら許せない」
「それはお前が決めることじゃないだろ」
「じゃあオレに話すなよっ」
まっとうな反論のようで、感情でしかものを言っていない。深町さんならそう判断するに違いない。だから俺はあのひとを信頼し、あのひとも俺の頼みを断らない。いや、断れない。
「浅倉、俺だって怖いんだよ」
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