51:毎度あり
ピクシーと446部隊との戦いから、二日が過ぎようとしていた。
大乱戦のあと、ピクシーやネロを含む戦いの犠牲者を〈船の墓場〉に埋めて葬った後、カオルは446部隊唯一の生き残りになったトンプソンを拘束し、〈赤い鷹〉の本部へと連行した。
本部でトキオやマクブライトとともに治療をうけたハナコは、傷の重いマクブライトの世話をしながら、九番街で民警にかけられた指名手配が解除されるのを待っていた。
「生き残れたのは幸いだが、この傷は災害だな。ドンさん、報酬に治療費としてイロをつけてくれないもんかね?」
医務室のベッドで半身を起こしたマクブライトが、右腕のギプスを撫でながら大きなため息をつく。
「オヤジはケチだけど筋は通す人だから、交渉してみれば?」
「そうしてみるか。しかし、ガンズのじいさんにはしてやられたな」
「まあ九番じゃ、逆にだれも怪しまなかったんだろうね」
シロー・メンゲレはガンズ・トヤマと名を偽り、誰にも知られることなくピクシーの研究を続けていたのだ。シローが九番で〈ピーク〉をばら撒いて得た資金は研究に消えていたのだろう。いま思えば、莫大な資産を持っていたはずのシローの生活はとても豪奢とは言い難いものだった。
「で、トキオは出たのか?」
「ああ、ゴエモンたちと一緒にな」
リンとともに意識を失ったまま本部に運び込まれたゴエモンは、今朝がた意識を取り戻し、シローの移動手段――恐らく車だろう――を捜す任務に同行することになった。普段から人に褒められることの少ないゴエモンにとって鼻を頼りにされることは無上の喜びだったらしく、加えてあのムラト・ヒエダの頼みとあっては断る理由はなかったらしい。
〈船の墓場〉周辺まで連中を運ぶ役目は、ハナコと同じく暇をつぶすしかなかったトキオが買って出ることになった。なるべく早くに見つけなければ、政府軍に奪われかねないということで、捜索隊が出発してからもう二時間は経つ。
「見つかると思うか? とっくにどこかへ逃げちまってるんじゃねえか?」
「まあ、大丈夫だろ。ゴエモンの鼻の凄さとトキオの運転技術は、あたしがいちばん分かってるからな」
冗談を飛ばし、ハナコはマクブライトの向こうのベッドで眠るリンを見た。
「大丈夫かな、リンのやつは」
ゴエモンとは打って変わり、リンの意識は未だ戻っていなかった。
勝手にやって来たとはいえ、巻き添えでこうなってしまったリンに対して申し訳ない気にもなる。いけ好かない女だが、それでも死んでほしいわけじゃない。
「コイツのしぶとさも、お前がいちばん分かってるだろ?」
ハナコの気持ちを察してか、マクブライトが呑気に笑う。
「だといいんだけどね」
「で、あとは報酬をもらって帰るだけだな」
「……あたしは帰らないけどね」
「お前、ほんとは迷ってるんじゃねえのか?」
「迷ってなんかいないよ。せいぜい、あたしの顔を目に焼き付けておきな」
「やなこった。おれの目はチャコちゃんを焼き付けるためだけにあるんだよ」
「薄情なおっさんだな」
マクブライトの悪態に苦笑していると、
「少しいいかな、ハナコ・プランバーゴ」
と呼びかけられ、振り向くとカオルが相変わらずの無表情で立っていた。
「名前で呼ばないで」
「これは失敬したな」
「で、なに?」
「ニコラス・トンプソンに会ってくれないか」
「あたしが? なんで?」
「ネロ・シュナイダーの最期の言葉を聞きたいそうだ。そうすれば政府や軍に関して知っているすべての情報を我々に提供するという交換条件を出してきた」
「あたしには関係ないことだろ?」
「確かにそうだ。無理強いはしない。会うか会わないかは自身で決めてくれ」
顔も見たくないクソ野郎に会う理由がないハナコは、マクブライトに目顔で訊いた。
「会ってやれ。奴の情報はアリスのためになるかもしらん」
「クソッ、アリスのためって言われたら、断れねえだろ」
憮然とした顔で立ち上がったハナコは、カオルとともに地下牢に向かった。
鉄格子の向こう、壁際の簡易ベッドに座り笑みを浮かべるトンプソンは、表情とは裏腹に憔悴している様子だった。
「よお、ハナコ・プランバーゴ」
「……名前で呼ばないで」
ここへ来たのはやっぱり間違いだったと思いながら、ハナコはトンプソンを睨みつけたまま鉄格子の前に用意されたパイプ椅子へ腰を下ろした。
「少佐は、どうやら本当に死んじまったみたいだな」
「ああ、ピクシーに殺られたよ」
「そうか……」
「ネロの最期の言葉が聞きたいんだって?」
「ああ」
「なんで?」
「あの人は、おれにとって神にも等しい存在なんだよ。最期になにを思って死んでいったのかを知りたいのは当然だろう?」
冷酷な〈446部隊〉の言葉とは、とても思えなかった。たしかにコイツらは冷酷非道な部隊だったが、コイツらなりの絆や行動理念はあったのだろう。
だがコイツらの事情がなんであれ、そんなもの、ハナコにとってはどうでもよかった。
「『お前の勝ちのようだな』って言われたよ。それに『お前の選択が正しいとは思わない』ともね」
「少佐らしい……ネロさんらしい言葉だな。あの人は間違えない」
「……最期は、『おれの戦いはここまでのようだ』って、言ってた」
「そうか。ネロさんは負けたんだな、お前に」
「あたしじゃない。ピクシーにだよ」
「いや、お前に負けたんだ」
二っと笑うトンプソンの目から、一筋の涙が流れ落ちる。
「あんたも泣くことがあるんだな」
「当たり前だろう、おれをなんだと思ってるんだ?」
「鬼か悪魔かクソヤローだね」
「面白い冗談だ。教えてやる、おれはただの人間だ」
「だったら――」
――感情のままに口から出かけた言葉をハナコは飲み込んだ。トンプソンにゆとり特区でのことを言ったところでどうなる? 謝罪なんかするような男じゃないし、されたところで神父さんや死んでいった人たちが戻ってくるわけじゃない。
「おれの戦いもここまでなのかもしらんな。そうだろう?」
疲れ切った顔でトンプソンがつぶやく。
「……知るかよ、クソッタレ」
吐き捨てて立ち上がったハナコは、隣で事のいきさつを見守るカオルを睨みつけた。
「もういいだろ? やっぱり会わなきゃよかった。サイテーの気分だよ」
「ご苦労だったな。さて――」トンプソンに視線を移すカオル。「――すべての情報を渡してもらおうか」
「ああ。ありがとよ、ハナコ・プランバーゴ。頼みを聞いてくれて」
「……名前で呼ばないで」
尋問を再開したカオルを後目に、ハナコはやりきれない気持ちを抱えながら階段を上がった。
「あ、ネエさん、ちょうど良かった」
一階へ出ると、ゴエモンと捜索隊と共にやって来たトキオに声をかけられた。
「帰って来てたのか」
「ええ。ついさっき」
「おれの手柄だぜ。ジイさんの車を見つけた」
トキオの横で褒めてほしいとばかりの表情でゴエモンが胸を張る。
「それで、なにか分かった?」
ゴエモンを無視して、ハナコはトキオに訊ねた。
「ええ。まず、車はガンズのジイさんのビル前にいつも停められていた、あのオンボロ車でした」
「ああ、あれか」
「そうです。〈船の墓場〉のすぐ近くで発見しました。で、車の後部ドアを開けてみたら、中でジイさんが死んでました」
ガンズ・トヤマ――シロー・メンゲレ――は死んだ。なぜ死んだのかは分からなかったが、これで本当に全ての戦いは終わったのだろう。
「これからムラトのジイさんに報告に行くの?」
「ええ」
リンのいる医務室へもどるゴエモンと別れ、ハナコはトキオたちと共にムラトがいる執務室へと向かった。途中、廊下の向こうからやって来た片腕のトラマツがハナコたちを見つけてニヤリと笑った。その左肩にはアリスを乗せている。
「いつのまに懐かれたんだ、トラマツ?」
「まあ、ヒマだからな。嬢ちゃんもここには詳しくないらしいから、ふたりで探検してたところだ。なあ、嬢ちゃん」
「はい」
楽しそうにこたえ、アリスが微笑を浮かべる。
「アリス、ちょっとは警戒しろよ」
呆れるハナコに、
「おいおい、こんな状態のおれが何かできると思ってるのか?」
と、トラマツがおどける。
「まあ、いいさ。リンが目覚めたら、とっとと九番に帰りなよ」
「分かってるさ。お前も一緒に皆で仲良く帰るとするわ」
「ふん、お断りだよ」
生意気なハナコを笑ったトラマツは、再びアリスと探検へ出発していった。
ふたりの後ろ姿を見ながら、アリスもずいぶん変わったな、とハナコは思う。
執務室に着き、兵士がドアを叩くとムラトの呼び入れる声が聞こえた。兵士に続いて入ると、六畳ほどしかない簡素な部屋の奥にある、かつての英雄が使うのにはふさわしくない小さな事務机で事務作業をしていたムラトが顔を上げた――
「――なるほど」
兵士の報告を聞いたムラトが背もたれに体をあずけて天井を仰ぎ見る。
「疑似体験とはいえ、アンバ山での一度目の死と〈船の墓場〉での二度目の死を体験したのなら、さすがにあの老体では〈負のフィードバック〉に耐えられなかったのだろうな」
「想定外のダメージだったってわけですね」
合点がいったのか、トキオが頷く。
「では報告を続けます。車にはピクシーの頭部のストックが三つほどあったのですが……」
「どうした?」
「ええ……」
躊躇う兵士を見かねて、トキオが口を開く。
「三つとも、その……子どものモノでした」
「まさか……」
絶句するムラトと同じく、ハナコも眩暈がするほどの衝撃を受けた。
「……外道め」
ようやく短い言葉を絞り出して鼻から息を漏らすムラト。
「シローがどういう経緯でピクシーを完成させたのかは知らんが、子どもの頭部が最も適していたのだろうな。まさにアリスは喉から手が出るほど欲しい存在だったわけだ」
吐き気がする真実を前に、ハナコはあることを思い出した。
「ちょっと待って。シローが〈笛吹き男〉だったってこと?」
「笛吹き男?」
「何年か前から九番で噂になっている、子どもだけを狙う人攫いのことです」
眉根を寄せるムラトにトキオが説明する。
「そうか……悉く道を踏み外していたようだな、シロー・メンゲレは。昔を知っているだけに残念だよ」
「ですが〈笛吹き男〉はシローだけじゃないと、おれは思います」
トキオの言葉に、ムラトは無言のまま小さく頷いた。
「それが〈クニオ九番街〉というわけか……」
と、その時、ムラトの言葉に呼応するかのように事務机の上の電話が鳴った。
「ムラトだ……ああ、世話になったな。報酬はすでに用意してある……ああ」
ムラトが受話器をハナコに差し出す。
「オヤジ?」
「ああ」
ムラトから受話器を受け取って出ると、
『ご苦労だったな、ハナコ』
と、聞き覚えのある声が聞こえた。
「トキオとマクブライトの指名手配は取り消された?」
『ああ。そっちで得た情報と、どういう経緯かは分からんが、レーダーマッキーから送られてきた膨大な量の情報で、ツラブセへの侵入者がお前たちではないと証明できた』
「じゃあ?」
『ああ。指名手配は解かれた』
「そう、良かった」
人の良い情報屋には、感謝してもしきれない。
『これで完全に任務完了だな、ハナコ。ご苦労だった』
「苦労なんてもんじゃなかったけどね」
『確かにな。だがこれでお前は自由だ。どこへでも行けばいい』
「それだけ?」
いつもながら淡白なドンの態度に、ハナコはすこしだけ寂しさを覚えた。
『……つぎのヤツを雇い入れるだけさ』
「分かった……」
ぶっきらぼうに返し、ハナコはムラトに受話器を戻した。
「ああ……ああ……本当に感謝するよ、ドン・イェンロン」
受話器を置き、ムラトがハナコを見据える。
「一旦、こちらで保管しておいた報酬はすでに用意してある。これで任務完了だな、ハナコ・プランバーゴ」
「毎度あり」
これで本当にすべてが終わった。あとは報酬を正式にもらい受け、分け前を引いたぶんをマクブライトに託せば、晴れて自由の身になる。だが本当にそれでいいのだろうか?
確かに九番街での生活はクソみたいなものだったが、外の世界のさまざまなものを見ているうちに、実のところどこにいようが大して変わらないんじゃないかとハナコは思うようになっていた。そして、すべての仕事を終えたいま感じているこの達成感を誇らしく思っているのも事実だ。
結局、どこで生きるかじゃなく、どう生きるかが大事なんじゃないのか?
「コブシ一家の奴ら、やりやがった!」
執務室に勢いよく入ってきたマクブライトが叫ぶ。
「なんだって?」
「ヤツら、報酬の一億を強奪して、トンズラしやがった!」
コブシ一家のとんでもない行動に、ハナコは思わず腹を抱えて笑い出した。
「ネ、ネエさん?」
「まったく。コブシ一家の奴ら、最後の最後にやってくれるよな」
笑いすぎて目に滲んだ涙を人差し指で拭って、ハナコは立ち上がった。
「追うぞ」
「は、はい?」
「いいから、急げ!」
戸惑うトキオの尻を蹴り上げ、ハナコは執務室を飛び出した。
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