26:神のみぞ知る

 軍服姿のネロが、靴の裏にこびり着いた泥をハンカチで拭って椅子に座り、三白眼で冷たく神父を見据えた。


 ダイニングテーブルを挟んだ向こうに座る神父は、その両脇を、肩から銃をさげて立つ軍服に挟まれている。


「ほかの村人は護送トラックに収監させてもらいました、神父様。これより、あなた方を《強制収容所》へと移送します」

「なぜです? 我々は月々のノルマを達成しているはずです」


 神父の抗弁に、ネロが口の端を緩めた。


「ノルマを達成することと、反逆の意志の有無は関係ありません」

「バカな。我々は無辜むこ民草たみぐさだ。反逆の意志など――」

「通報がありましてね」


 神父を遮って言い、ネロは、となりに立つトンプソンに目顔で合図を送った。うなずいたトンプソンは、胸のポケットから四つ折りになった紙を取り出し、それを開いて神父のもとへと滑らせた。


 それは、ハナコとトキオの手配書だった。


「《へ―〇三》の隊商キャラバンから、このコミュニティーに二人が匿われているという通報がありました。ご存知でしょうが、彼らは優秀な捜索隊なので、まず間違いないでしょう。それに、たしかあなたが信仰する旧宗教では、隠匿は罪になるはずですが?」

「……本当に、なにも知らないんだ」

「そうですか。まあ、いいでしょう」


 ネロは丸眼鏡を上げてから大きくため息をつき、内ポケットから煙草を取り出した。


「恐縮ですが、ここは禁煙ですか?」

「いえ。どうぞ」


 煙草に火をつけ立ち上がったネロは、ゆっくりと神父のもとへと近づき、目配せをして両脇の軍服をうしろに退かせ、神父を前にしてテーブルへ腰を下ろした。


「これも、なかなかやめられないんですよ」


 苦笑しながら言って、神父に紫煙を吐きかけるネロ。


「体に毒ですよ。やめたほうがいい」


 顔をしかめて神父が言う。


「そうですね。幸いこれが最後の一本なので、神父様の言うとおり禁煙でも始めることにしましょう」


 言って、ネロは芝居臭く辺りを見回した。


「ところで、灰皿はありますか?」

「いえ、わたしは吸いませんから」

「そうですか……いや、あるじゃないか」


 その言葉を合図にして、軍服の一人が神父を羽交い締めにし、もう一方が、右手をテーブルの上へ押さえつけるようにして置かせた。


「なにを――」


 ネロが、ためらいもなく煙草をタトゥーの×印でねじり消した。


 肉の焼ける臭いが、部屋に充満してゆく。


「うぐぐぐぐ……」


 声を殺してこらえる神父。


「さすが神に仕える者だけのことはあるな。だが故意によらず事故によらず、発信器の損壊は看過できない重罪だ。これで《強制収容所》への移送はまぬがれないが、どうだ、送られる前にコイツらの居場所を吐いたほうが身のためだぞ?」


 口調を変え、ネロが一気にまくし立てる。


「拷問をされたところで、知らないものは吐けません」

「拷問? これがか? これはほんの挨拶だ」


 言って、立ち上がり、


「職業柄、嘘つきにはゴマンと会ってきていてね。残念ながら、お前の目は、嘘を吐いている者の目だ」


 トンプソンに目顔で命令するネロ。


「本当に、残念だよ」


 トンプソンがうなずき、ネロと変わるようにして神父の脇に立った。


「一時間だ。そののち、村人とともに連行する」


 冷徹に言って、食堂を出て行くネロ。


 それを確認し、神父に向き直ったトンプソンが首を鳴らす。


「だ、そうだ。まあ、おれとしては、今すぐに吐いてもらったほうが助かるんだが」

「知らないものは知らないと――」


 言葉を遮り、トンプソンが神父の横っ面を張った。


「いまこの時から、おれが『答えろ』と言うまでは、なんにも喋るんじゃねえ、じいさん」


 手配書を指さすトンプソン。


「コイツらはどこにいる? 答えろ」


 切ったのか、口の端から血を流した神父は、


「神のみぞ知る」


 と、トンプソンに向けて侮蔑的な笑みを向けた。


「なるほどな。さてと――」


 愉快そうにして手をいちど叩くトンプソン。


 「――始めるぞ」


 その合図で、軍服がそれぞれに神父の手をテーブルに叩きつけ、動かないようそのまま押さえつけた。


「おれは仕事熱心でね、じいさん」


 言いながらトンプソンは神父の左手の人差し指を握り、それを限界まで反らせてゆく。


「個人的に恨みはないが、これも仕事だ。悪く思うなよ」


 その言葉に重なるように、指の骨が折れる鈍い音が響く。


「どこにいる? 答えろ」


 苦しそうに息を漏らしながらも、無言を貫く神父。ふたたび、今度は中指の折れる鈍い音が響く。


「どこだ? 答えろ」


 脂汗を額に浮かばせた神父は、それでも答えない。


 トンプソンは、呆れたとばかりに首を振り、


 薬指、

 小指と、

 一気にへし折っていった。


 それでも、神父は口を固く結んだまま。


「……おれはな、じいさん、ガキの頃はあんたと同じく神に祈る日々だったんだが、一度たりとも神様に救っていただいたことはなかったぜ。あの頃は、神様どころか誰もおれを助けちゃくれなかった。それなのに、なぜ人はバカみたいに祈り続けるんだ? 答えろ」

「祈りは己の心と向き合うためにある。恐れ多くも、神に救いを求める行為などではない。祈りそのものが救いだ」


 言って、神父はトンプソンを憐れむように見つめた。


「……なるほどな、そういう解釈はしたことがなかったぜ。まあ、祈りがなんであれ、もうすぐもできなくなっちまうがな」


 右手の人差し指を折るトンプソン。


「あと三本。今ならまだ祈ることはできるぞ。奴らはどこだ? 答えろ」 


 痛みを耐えるようにして首を振る神父。


「さすがに尊敬するぜ」


 嘆息し、中指へと手をかけるトンプソン。


 そして、鈍い音。


「その手で祈ってみな」


 言って、トンプソンは神父の手を軍服の拘束から解き放った。


 下衆な副隊長代理へのせめてもの抵抗か、神父は祈るために指を組もうとしたが、メチャクチャになった指では不可能だった。


 それを見て、トンプソンが下卑た笑い声をあげる。


 その時、神父と軍服が背にした壁から、キツツキがこずえを優しく突くような、かすかな音が断続的に聞こえてきた。


 その音に動揺し、神父が目を見開いた。


 トンプソンが顎で指図し、一人の軍服が銃をかまえ、忍び足で壁に近づいてゆく。


 つぎの瞬間、その壁が乱暴に開き、近づいていた軍服がそれに頭を打ちつけ、もんどりうって仰向けに倒れた。


 その壁は隠し扉で、その向こうから――


 ――怒り満面のハナコが飛び出してきた。


 もう一方の、虚を突かれて動けないでいる軍服に一気に駆け寄ったハナコは、そのまま掌底をその顎に打ち込み、たたらを踏んでうしろにさがったところへ股間を蹴り上げる追撃をし、上げたままの足を思うさま鳩尾に蹴り込んだ。軍服は吹き飛び、壁に後頭部を強く打ちつけて昏倒した。


 その間にホルダーから抜き取った警棒を伸ばしながら踵を返したハナコは、立ち上がろうとするもう一方の軍服の顎を、外れるほどに強くなぎ払っていた。


 一瞬のうちに二人の軍服をねじ伏せたハナコに、


「ほお、鬼門拳か」


 トンプソンが笑いながら言い、そして立ち上がった。


「お前のような小娘が、使えるとはな」


 愉快そうに肩を揺らす巨軀きょくは、ハナコの頭ふたつぶんも大きい。


「まあ、なんにしろ、自分から出てくるとはバカな女だ」

「あんたを無性に殴りたくなっちまってね」

「奇遇だな。おれもお前を殴りたくてしょうがねえ」


 言うが早いか、渾身こんしんの右ストレートを放つトンプソン。ハナコは空を裂くいかつい拳をかわし、そのまま顎を目がけて警棒で殴りつけようとした。しかし、トンプソンがそれをあっさりと左手で掴む。


「ワンパターン」


 余裕綽々よゆうしゃくしゃくのトンプソンが、舌をチッ、チッ、と鳴らす。


 ハナコは警棒を抜き取ろうと力を込めたが、ビクともしない。


「所詮は、女だな」


 言って、右手でハナコの喉を掴み、そのまま持ち上げるトンプソン。


 ハナコの首にはゴム製の防具が巻き付いていたが、巨軀の副隊長代理は、それにもおかまいなしで力をこめてゆく。


「その防具の効果を試してやるよ」

「…だん……き……よ…ケ」


 声を振り絞るハナコ。


「あ?」


 訝しげに眉尻を上げたトンプソンを、急なシビレが襲う。


「お…お……?」


 ワケも分からぬまま、潰れたヒキガエルのように床へと突っ伏したトンプソンは、痙攣けいれんしたままその場を動けなくなった。


「油断大敵だよ、マヌケ」


 解放されたハナコは首をさすりながら唾を吐き捨てた。


 その左手には、スタンガン。


「ひ…卑怯だ……ぞ…」

「あんたがそれを言う? 使える物はなんでも使うんだよ。さあ、行こう」


 武器をしまい、神父に肩を貸して立たせるハナコ。


「なぜ、戻ってきたのですか?」


 神父が諫めるようにしてハナコに言う。


「あたしは、薄情者になりたくないだけ」

「愚かなことを……」


 神父の言葉を無視して隠し扉へと向かう。


「待て」


 その時、背後から呼び止める声が聞こえた。


 振り向くと、そこには拳銃をかまえたネロの姿があった。


「逃げられるとでも思っているのか?」

「言っておくけど、アリスはいないよ。先へ行かせたからね」

「そうか……ならば、お前に訊く番だな」


 ネロが無表情のまま言う。


「教えてやるよ。あたしたち運び屋には『たとえ何があっても、ブツを依頼人のもとまで届ける』っていう流儀があるんだよ。今回の場合、あたしを見捨ててでも、仲間がアリスを依頼人のもとまで届けてくれる」

「自己犠牲か。おれの知るかぎり、最も唾棄だきすべき行為だ」


 吐き捨てるように言って、引き金を引くネロ。


 パンという音が響き、

 

 ここまでかと目を瞑ったハナコの、

 

 となりの神父の頭が爆ぜた。


 その生温かい脳漿のうしょうと血が、ハナコの顔に降りかかる。


 一瞬のことに呆然として力の抜けたハナコの腕を滑り落ち、頭の半分無くなった神父が床にくずれおちた。


「なんてことを……」

「教えてやる。『用なしはすぐに消す』、それがおれの流儀だ」


 怜悧れいりなネロの三白眼が、ハナコをめつける。


「てめえ!」


 我を忘れてネロに飛びかかろうとすると、後頭部に衝撃を感じ、目の前に星が飛び散った。


 天地が揺らぐ。


 力を失い、床にくずおれながら、


「油断大敵だ、マヌケ」


 トンプソンの声を、


 ハナコは遠のく意識の果てに聞いた……

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