19:共犯者

「ここもダメか……」


 黒いレインコートに身を包むトキオが舌打ちをした。


 トキオが持つ懐中電灯のあかりの先には、かつてコミュニティーがあったことをうかがわせる、朽ちた木造の廃屋がまばらに林立している。


「これでいくつめだよ?」

 おなじくレインコートに身を包んだハナコが言う。


「なあ、マクブライト?」

「そう言うな。おれがここいらに住んでたのは、三年以上前の話だ」


 ため息をつき、マクブライトは黒い水たまりにかる拳大こぶしだいの石を拾い上げ、なにを思ったのかそれを放り投げた。大粒の雨をはじきながら弧を描いて廃屋の屋根に当たった石が、そのまま転がり落ちて雨樋あまどいを跳ね上がり、軒下の水たまりにおちて、飛沫をまき散らす。


 ハナコは空を見上げ、冷たい雨に顔を打たれた。雨が黒くないというただそれだけの理由で心躍らせている部分もないことはないが、それにしてもこれだけ長いあいだ降りに降られるとウンザリもする。


 空が一気呵成いっきかせいに分厚い雨雲におおわれたせいで、いつのまにか夜になったことにすら気がつかなかったほど、すべてが暗い。


 いるはずもないが誰かいるかもしれないと、淡い期待を抱き、ハナコは廃村へと歩を進めた。雨音と、背後から聞こえる泥土を踏みしめる足音いがいに、鼓膜を揺らすものはなにもない。目の端に映る三軒目の廃屋にはなぜか扉が無く、虚無をはらんだ棺型の闇に吸い込まれそうな気分になった。


 以前、バーで「ゴーストタウンっていうのは、ゴーストが住む町なのか、町そのものがゴーストなのか?」というよもやま話に花を咲かせたことがある。その時には水掛け論のあげくに結局こたえも出ずじまいだったが、ここに足を踏み入れると、そのどちらもが正解なのではないのかという気になってくる。


 町がゴーストと化し、そこへゴーストが住み着き始める現象。それが《ゴーストタウン》の正体なのではないだろうか……?


「ネエさん」


 背後から呼びかけるトキオの声に驚いて振り返ると、


「戻りましょう」


 ウンザリした顔で言われた。


 平静を装いながらうなずいて車のもとへ戻ると、アリスにオモチャにされた懐中電灯によって、照らされては消え照らされては消えするマクブライトが、雨に打たれながら湿る煙草を吹かしていた。


「どうだ、ハナコ、誰かいたか?」

「いるわけないだろ。いたとしてもここじゃあね……」


 当てこすりのため息をつき、ハナコは車中へ乗り込んだ。


 続いて入ってきたトキオが、「ぜんぜん見つかりませんね」と、レインコートを脱ぎながら言う。


「あたしたちが《ゆとり特区》に入ってから、もう十時間以上は経つ。それなのに、ひとつもコミュニティーが見つからないんなら、もうお手上げだよ。第一、テレビで流れてる場所とは似ても似つかない荒野じゃないか。ここが本当に《ゆとり特区》なのかどうかすら怪しいね。あのハゲ、もしかしてハッタリをかましてるんじゃないの?」

「ふたつ、訂正させてもらうぜ」


 煙草を吸い終えて車中に乗り込んだマクブライトが言う。


「ここはまちがいなく《ゆとり特区》で、おれはハゲじゃなく、管理の行き届いたスキンヘッドだ」

「どうするんです?」


 中年の軽口を無視してトキオが訊ねる。


「……仕方がない。奥の手を使うか」


 言って、マクブライトが手近に置かれた自分のバックパックを開いて、中を乱雑に探り出した。


「なにする気?」

「これよ」


 マクブライトがバックパックから取りだしたのは、その拳よりも二倍ほどの大きさの黒いモノで、よく見るとそれは携帯電話だった。


 目顔で「なんだ?」と問うと、マクブライトは口の端を歪め、無言のままプッシュボタンを押していった。携帯電話から呼び出しベルが鳴り響く。スピーカーモードになっているらしい。マクブライトはそれをダッシュボードに備えつけられたアダプタに置いた。


 それから十数回目の呼び出し音のあと、


『なんか用か?』


 という、不機嫌そうな男の声が応えた。


「まだ、捕まっていないようだな。追われていると聞いていたんだが」

『奴らが追っているのはおれの亡霊だ』


 声は言い、


は生身だから、仕事なら食い扶持ぶちをきっちり頂くぞ』


 と、ぶっきらぼうに続けた。


「情報がほしい。いま《ゆとり特区》にいるんだが、《異分子組》か《帰化組》のコミュニティーへ行きたい。この場所から一番ちかいところを教えてくれ」

『念を押しとくが、ちゃんと金は出せるのか?』

「ああ、金なら――」

「ちょっと待って」


 遮るハナコ。


「勝手に話を進められたら困る。こいつは何者なの? 信用できるわけ?」

『……こいつ、とはご挨拶だ。噂どおり、行儀の悪いネエちゃんだな、ハナコ・プランバーゴ』


 鼻で笑いながら、声が応える。


「あんた、あたしを知ってるの?」

『これでも《情報屋》の端くれなんでな。お仲間のトキオ・ユーノスのことも少々ではあるが知っているぞ。もっとも、お前らがいま運んでいるアリスとかいう娘っ子については名前いがいにはよう杳として知れんがな』

「なんなんだ、あんたは……?」

『お前らのさ』


 送話口から含み笑いが漏れ聞こえる。


 共犯者だと言われても、まるで分からない。


「まさか……」


 ピンと来たのか、後部座席から身を乗り出すトキオ。


「あんた、あの《レーダーマッキー》か?」


 トキオの言葉にマクブライトが押し殺し笑いをする。


『自らそう名乗ったことは一度もないが、おれがその名前で呼ばれている男であることにはまちがいない』


 声が愉快そうに言う。


「本当にいたのか……」


 唸るトキオ。


 声の正体を知って、少なからずハナコも動揺した。都市伝説にすぎないと思っていた怪人物とこうして会話をしているという事実を、にわかには信じがたい。だがしかし、の知り合いということであるならば、あり得ない話ではないようにも思える。


『お前らのせいで、追われる理由ができちまった』


 声――レーダーマッキーが言って、笑う。


「本当に監視カメラを壊したのは、あんたなの?」

『そんな意味のないリスクは犯さねえよ。おれは合理主義者だ』

「じゃあ、だれが?」

『それは依頼か? 調べてもいいが、金はもらうぞ』

「待て待て」


 マクブライトがあいだに入る。


「おれたちが知りたいのは、ここからいちばん近い《異分子組》か《帰化組》のコミュニティーだ。監視カメラを破壊した犯人のほうは、どうでもいい」

「でも依頼しといたほうがいいんじゃない?」

「わざわざ依頼するまでもなく、こいつはとっくに調べてるさ。なんせ、自分が犯人あつかいされているんだからな。まあ、言いたくてしょうがないんなら百歩ゆずって聞いてやってもいいが、その場合にはビタ一文も払わねえ」

『それに乗せられるほど、おれはバカじゃねえぞ』

「だがお前がそれを話すお友だちがいない、さみしい奴だってことはよく知ってる」


 笑うマクブライト。


「そして、お前がおしゃべりなうえに、実はお人好しだってこともな」

『昔からなんども言っているが、おれはお前の口車に乗せられてるんじゃない、

「まあ、そういうことにしといてやるよ」

『……どっちみち、こうなりゃ一蓮托生いちれんたくしょうかもな』


 ため息が聞こえ、


『これは極秘情報なんだが、監視カメラのシステム系統を破壊した犯人は、政府軍の連中だ』


 と、レーダーマッキーは続けた。


「なんで奴らが?」


 訊ねるハナコ。


『そのあとの、を考えりゃ丸わかりだろうが。アリスを奪い、その罪を第三者に被せるためだ。監視カメラの映像なんていう決定的な証拠があっちゃ、マズかったんだよ。お陰で、おれもお前らもに追われるハメになっちまった』

「奴らは一体、なんなんだ?」

『さあな。おれも色々と調べてみたんだが、奴らは隠密部隊だから、今回の作戦がどういったものにしろ、公には記録が存在しない。せめて手がかりになるようなものがあれば、が分かるんだがな。なんにしろ、政府軍は指揮系統や所属部隊がかなり複雑だから、ノーヒントじゃ、突き止めるのにかなりの時間が必要だ』

「隊員の名前が分かれば、なんとかなりますか?」


 トキオが言う。


『そうだな。少しは可能性が出てくる』

「ネロ・シュナイダー、それにニコラス・トンプソン」


 ハナコがトキオを継ぐ。


「隊長と副隊長、いや副隊長代理の名前だ。オヤジの店で名乗っていたのを聞いた。偽名かもしれないけど、使える?」

『それさえ分かれば充分だ。そっちはおれの個人的な趣味で調べさせてもらう。お礼に、なにか分かればお前らにも教えてやるよ』

「ああ、頼む」


 マクブライトが言う。


「できれば、コミュニティーのことも趣味で調べてくれりゃ助かるんだがな」

『残念だがそっちの方は依頼だ。金はもらうぞ』


 すげなく言って、『これは極秘情報なんだが――』と、レーダーマッキーは、いくつかのコミュニティーをスラスラと述べた。そのどれもが《帰化組》のもので、それに対してマクブライトが不満げにため息を吐いた。


『――できることなら《異分子組》のコミュニティーを教えてやりたかったんだが、ここ数年、激化している殲滅作戦せんめつさくせんのせいで、ほとんど残っていないんだよ。近いところでも、お前らが今いる場所から丸一日はかかる。それでもいいってんなら、話はべつだが?』


 ハナコたちの事情を知っているのだろう、レーダーマッキーは皮肉めかして言い、スピーカー越しに煙草へ火をつけるガスライターの音が聞こえた。


「いや、ありがとう」


 ハナコが言う。


『おれのオススメは、そこから二時間ばかり行ったところにある《ろ―二七》つうコミュニティーだ。《帰化組》のコミュニティーではあるが、もうずいぶんと古い村だ。ここの村長がの神父をやっているんだが、実は裏で反乱軍と通じているという噂がある。その反乱軍ってのが、お前らが依頼を受けたムラト・ヒエダ率いる《赤い鷹》であるかどうかまでは分からんが、まあ、悪くはされないだろう。今からならまだ日付が変わる前にたどり着けるだろうよ』


 レーダーマッキーがまくし立てると、後部座席からクスリと笑い声が聞こえた。見ると、アリスが顔をかすかにほころばせている。


「どうした?」


 ハナコが訊ねると、


「ほんとに、お人好しで、おしゃべりなんですね」


 と言って、アリスは笑い袋を鳴らした。


『……まあ、今おれが教えられるのはここまでだ』

「あとひとつ、依頼がある」


 ハナコが言う。


『なんだ?』

「あの時、ツラブセには《ピクシー》っていうバケモノみたいな野郎もいたんだ。ツラブセの責任者だったムゲン・モチダは、ピクシーに殺されたんだけど、奴を知っているような口ぶりだった。のことも調べてほしい」

『オーケーオーケー。まあ、とりあえず出発しろ。《ろ―二七》までナビゲートしてやる』

「ナビゲートまでできるの?」

『ああ、これは極秘情報なんだが、おれは政府が打ち捨てた最重要機密軍事衛星を拝借しているんだよ。まあ、あまり長いあいだ使用しているとバレちまうから、一日に一時間が使用限度なんだがな』

「なんでもアリね」

『とにかく、さっさと出発しろ』


 レーダーマッキーに言われ、マクブライトが車を発進させた。


 揺られながらハナコは、「アリスの笑いのツボはいまいちよく分からないな」と心中で独りごちた。

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