第96話 決別と災厄の種
──スぺランサ城 パーティ会場にて。
ウィンの誕生祭で盛り上がる会場では、肝心のウィンがいつの間にか姿を消していた。その上エレナとサラマンダーまでいないというのだから、パーティ参加者の貴族達の注目がノームに集中するのは明白だった。ノームはどうにかして人混みから抜け出そうとするが勇者に目が眩んだ信者達は一筋縄ではいかなかった。
(くそ!! 早くエレナのところにいかなければいけないというのに!! ウィン殿下がエレナに何らかの接触を図っているとしたら……畜生!!)
──そんなノームの推察は不幸にも的中していた。会場とは離れた廊下でウィンがエレナに絡みついていたのだから……。
「エレナ、嗚呼、僕のエレナ……。約束したからな。ずっと傍にいるって……」
「っ、ちょ、離してください! ウィン様は私との婚約、破棄したんですよね!? それならばもう一緒にいるなんて出来る訳がないでしょう!」
「だから、僕は君を手放したつもりはないと言っているだろう。君なら僕がいちいち言わなくても僕の意図を分かってくれると思っていた。それに君がテネブリスで魔王や魔族達に媚びているのもスペランサ王国の為なのだろう。分かってるんだエレナ。僕は全て君のことを分かっている……!」
「っ、ふざけ、ないで!! 私はテネブリスに媚びているわけじゃない! テネブリスは私の大切な故郷で、魔族達は大切な家族です!」
エレナは勢いよくウィンの頬を打つ。ウィンの瞳がこれでもかというほど大きく見開かれた。己の頬を押さえ、唖然とする彼と距離をとるエレナ。エレナの真っ青な顔にウィンは言葉を失った。
「……何故、そんな顔を僕に向けるんだエレナ。そんな、恐怖に引き攣った顔を……」
「貴方が怖いからに決まってます。私はもうウィン様の婚約者でもなんでもないんです。婚約破棄されたあの日から、貴方は私にとって“他人”でしかありません!」
「っ、なにを、言って……っ。だから、あの婚約破棄は建前上必要だったんだ。それに君がスペランサに戻って来てくれれば全て上手くいくんだよ。魔獣に噛まれた枢機卿を救ったり、セロ・ディアヴォロスが出現した時に傷ついた僕ら勇者や民達を癒した君はいまや信者達に“黄金の女神様”とまで謳われるようになった。僕にはそんな君が必要なんだ! 君を婚約破棄し、処刑しようとした件について信者達は僕と父上に酷く怒っている。だから君が、僕の妻になってくれさえすれば……っ!!」
ウィンがじりじりとエレナに近寄ってくる。エレナは思わず後ずさった。
……しかし、その時だ。震える彼女の身体をそっと包み込む者がいた。
「──エレナに、何をしている!」
「っ、! ノーム!」
力強くノームの胸に引き寄せられたエレナはその温もりに酷く安堵した。今のウィンはエレナにとって恐怖の対象でしかなかったのだ。自分の胸で縮こまるエレナにノームはきつく眉を顰める。
「ウィン殿下、エレナが怖がっている。どういうつもりだ」
「……っ、貴方には前に話しただろうノーム殿下。僕はエレナを取り戻そうとしただけだ」
「取り戻す? エレナと婚約を破棄したのは貴方自身だろう。自業自得だ。エレナはもう貴方の下には戻らない。エレナは余の恋人であり、結婚も誓った仲だ。彼女は余が幸せにする!」
「ノーム……っ、」
ノームはこれ以上にないほど優しい手つきでエレナの頭を撫で、強く抱きしめた。引き攣ったエレナの顔が、一瞬で綻ぶ。そんな彼女の幸せそうな顔を見て──ウィンは、頭が真っ白になった。膝が崩れ落ちる。
「嘘だ……エレナが、僕以外を好きになるなんて、あり得ない。僕は、僕はエレナに、愛されてるんだ……っ! エレナは幼い頃からずっと僕の傍にいてくれた! 僕のことを放っておけないと言ってくれた! 君は、僕の全てなんだ! 頼む、僕の下へ戻ってきてくれ、エレナ……っ。君はノーム殿下ではなく僕と結婚しなくてはいけないんだ!
そう号泣するウィンにエレナは眉を下げた。何を言っていいのか分からず、言葉が迷う。しかしノームの温もりに勇気づけられ、拳を握りしめた。
「──ウィン様は処刑の時、私が貴方自身を見ていないと言っていましたね」
「っ、」
「だけどそれは貴方にも言えることでしょう。処刑前だって、今だって貴方はエレナ自身ではなく、“白髪の聖女”や“黄金の女神”しか求めていないではないですか。そんな貴方を私は愛せません。愛せるわけが、ないんです!」
ウィンが目を剥く。エレナは今まで“白髪の聖女”として、“スペランサの未来の王妃”として縛られてきた哀れな自分とはこれを機に決別すると決めたのだ。
「ウィン様、今の私には肩書など関係なく、“ただのエレナ”を──私自身を愛してくれる家族と恋人がいます! 私をわざわざ公の場で婚約破棄した貴方を、今まで私に無関心な態度を取ってきた貴方を、私の能力だけを求める貴方を、どうして私が愛さなければいけないのですか? もう貴方が私を縛り付ける権利はないのです」
そっとノームを見上げる。彼のネオンブルーの瞳がキラキラと輝きながらエレナを見つめ返す。そんな彼にこんな状況だというのにエレナの顔に笑みが咲いた……。
「ウィン様がどんな壮大な勘違いをしているのかは分かりませんが、私の故郷は既にスペランサではなくテネブリスです。そして私が愛しているのは貴方ではなくこのノーム・ブルー・バレンティア殿下です。この先私がスペランサの王妃候補及びウィン様の婚約者に戻ることは絶対にありえません!」
「……っ! ち、違う! 僕は、君自身を、ちゃんと愛していて……聖女なんかでなくとも君が好きなんだ……っ、」
「……。では、ウィン様は私に一度でもその気持ちを伝えてくれたことはありますか?」
ウィンの言葉が詰まる。エレナは唇を噛みしめた。
「私は、もう貴方の言葉を信じることが出来ません……」
「──、──」
ウィンが膝を崩したまま、放心する。エレナは踵を返すと、ノームと共に歩き出した。
「──さようなら、スペランサ王国ウィン様。これからは“同じ同盟の一員”として、よろしくお願いしますね……」
すると丁度、サラマンダーが眠っている部屋のドアが開く。どうやら医師の診察が終わったようだ。とは言っても魔力の消費による疲労なんて人間の医者が理解できるはずもない。困り顔の医者に礼を言って、エレナと、事情を簡潔に聞いたノームはすぐに部屋に入った。サラマンダーは何かに怯えているような寝顔ではあったが寝息は先ほどよりも安定している。エレナとノームはひとまずほっと胸を撫でおろした。
「エレナ、お前だけでも先にテネブリスへ送ろうか? あんなことがあったんだ。もうこの城にはいれまい」
「ううん、大丈夫。今のサラマンダーを放っておけないもの。それよりノーム、さっきサラマンダーが気になることを言っていたんだけれど……」
──『俺は、人を殺したんだぞ……?』
エレナはノームにサラマンダーの言葉を伝える。ノームもサラマンダーが人を殺した事実については心当たりがないようだった。二人揃って苦しげなサラマンダーを見守ることしかできない。いつか、彼が抱いている闇を彼自身から打ち明けてくれることを信じて……。
***
──シュトラール王国辺境の地 トループにて。
エレナとノームがサラマンダーの身を案じている一方で、シュトラール王国の辺境の地ではとある異変が起きていた。国の施設だと思われる石造りの巨大な建物が突然爆発したのだ。その崩れた瓦礫の上に現れた人影が、三つ。
「やぁっと、このクソみてぇな建物をぶっ壊せたなぁ、トゥエルゥ!」
「あぁ。これも全部、
双子なのだろうか、瓜二つの青年が黒と赤のオッドアイの悪魔──ベルフェゴールを見た。ベルフェゴールは恭しく礼をする。
「いえいえお気になさらず。私は悪魔らしく、貴方方を利用するまでですので。対価はきっちりいただきます」
「はっ! おもしれーやつ。まぁ、どこからオレたちのことを嗅ぎまわってきたのか知らねぇが、感謝はしておくぜベル男。これでオレらは兄弟の悲願を果たすことができる。オレらの末っ子──サラマンダーへの
「ふふ、元気にしているかなサラマンダー。生きているボク達の姿を見て、腰を抜かすに違いないよね。早く会いたいねぇ。ボク達の、可愛い可愛い、弟……」
──ニィッと口角を上げる双子は、明らかに今スぺランサ城で寝込んでいるであろうサラマンダーを脅かす災厄の種ともいうべき存在であった……。
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