第92話 テネブリスの天使

 ──ウィン・ディーネ・アレクサンダー誕生祭 当日。


「エレナのドレス姿が待ち遠しいな、サラマンダー」


 ノームの浮ついた声にサラマンダーは腕を組み、そっぽを向く。しかしどうにもそわそわと落ち着かない彼も実はエレナの晴れ姿を心待ちにしている一人だった。魔王、リリィを始めとした城の男性陣が和気あいあいとエレナのドレスの色を予想し合っている。そして、ついに──


 ──城内と中庭を繋ぐ扉が開いた。


「────、」


 皆がしんと静まり返る。扉の向こうから現れたのは純白のドレスに身を包んだ──使


「…………っ、」


 ノームは目を擦る。そしてもう一度そちらを見ると、そこにいたのは紛れもないエレナだった。いつも一つにまとめられている金髪は解放され、金色のベールのように彼女の上半身を包む。その金色のベールには小さな宝石の屑が散りばめられていた。肝心のドレスはおそらく絹で構成されており、エレナの金髪に合わせたのか黄金の刺繍がとても映える。シンプルなデザインでありながらも、だからこその圧倒的な美しさ。そしてその背中には大きなリボンが存在を主張しているのだが、ノームとサラマンダーにはそれがまさに天使の羽に見えて仕方がなかった。黙る男性陣に対してエレナが不安げに首を傾げる。


「み、みんな? どう、かな……似合ってる、かな」

「綺麗だ!」


 一番にそう言い放ったのは勿論ノーム。ノームの声をきっかけに彼女に見惚れてしまっていた男性陣が次々に興奮まじりの歓声を上げた。中庭の熱が一気に高まる。エレナの頬がピンク色に染まった。彼女の背後にはエレナを飾り付けした女性陣達が満足げに頷いている。エレナが一歩一歩歩く度に絹に浮かんだ光が流れていき、それがまた周囲が目を離せない要因となっていた。エレナはまず魔王の前に立つ。魔王がらしくもなく狼狽えていた。彼を見上げる。


「パパはどう思う? 変じゃない?」

「……言っただろうエレナ。お前が似合わないドレスがこの世にあるわけがない、とな。今回もとても似合っている。綺麗だ。わたしは、こんなに美しい娘と共にあることができて本当に誇らしいよ」


 エレナの顔が照れ臭そうにふにゃりと緩んだ。魔王はその柔らかい頬を撫で、そっとエレナの背中を押した。「行ってこい」、と。その先にはノームがいる。エレナは幸せそうに微笑んだ。白いドレスが風に揺られる。その後ろ姿がなんだか花嫁のように見えて、魔王は何とも言えない気持ちに蝕まれた。ちなみに魔王の隣にいたアムドゥキアスは我慢できずに号泣している。


「ノーム!! お待たせ!」

「あ、あぁ……」


 ノームは未だにエレナの晴れ姿に目が慣れないでいた。いつもは歯の浮くような台詞でエレナを翻弄する彼だが、今回ばかりは翻弄されてしまっている。そしてサラマンダーはというと“気にしていないフリ”をする余裕もないのか、エレナに目が釘付けであった。脳内では「綺麗だ」という言葉が素直に浮かんでいるというのに、彼の口はあくまで意地っ張りであるようだが。


「……ふん、ま、まぁまぁ、だな!」

「む。そこは素直に褒めてくれてもいいんじゃない?」

「あ、兄上が散々褒めちぎるだろうよ、どうせ」

「そうだな。余の恋人がこんなにも美しく、愛いことを早く大陸中に見せつけたいぞ」


 エレナの顔を隠そうとする金髪をノームが遮る。そしてそのまま晒されたエレナの額に口づけた。ちゅっと甘いリップ音が場に響く。周囲の魔族達からの視線の圧が一層増すが、ノームはもはや慣れてしまったようだ。

 ノームとサラマンダーはエレナの期待以上のドレス姿に心を奪われたが、エレナもエレナで見慣れない彼ら二人の正装姿にドキドキしていた。彼らの普段着はシュトラールが比較的気温の高い環境であることから、王族にしてはラフな格好である。しかし今の彼らはきっちりと立派な礼装を着こなしており、ついでにオールバックだ。


「二人もすっごく似合ってる! カッコいいよ!」

「!!」


 エレナの言葉にノームとサラマンダーの顔が同時に熱くなった。

 ──と、そうしている内に時間はどんどん過ぎていく。三人はリリスに急かされ、慌ててスぺランサへ向かうのであった……。




***




 エレナがパーティ会場であるスぺランサ城の中庭に降り立つと、それはもう周りの視線を集めた。ヒソヒソと聞こえてくる内緒話がどこか怖い。少し前まではエレナにとってこの国は敵地アウェーであったのだからエレナが恐れるのも無理はなかった。ノームがそんな彼女をしっかりエスコートする。サラマンダーもノームの反対側の彼女の隣をさりげなく陣取った。そして──


「──よ、よく来てくれたね、エレナ。君の恩情に感謝するよ」


 中庭で待機していたのだろうか、頬を桃色に染めたウィンがさっそく近づいてくる。エレナはそんな彼を見上げたが、彼の熱い視線に耐え切れずに顔を背けた。


「こんばんはウィン殿下。貴方の誕生に祝福申し上げます」

「しゅ、祝福申し上げます……ウィン殿下」


 エレナが口を迷わせていることに気づいたノームがすかさず挨拶をしてくれたので、エレナはそれに釣られて声を出すことができた。ウィンが照れたように唇で弧を描く。


「三人とも、この場に来てくれたことを心から感謝する。今夜はぜひ思う存分楽しんでくれると嬉しいよ」


 口ではそんな軽い挨拶が流れては来るが、その瞳はやはりエレナから離れないままで──エレナは少しの不安をごまかす様に、ぎゅっと拳を握り締めた……。

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